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So You found a Heart of Gold, didn't you? ーー 緑仙 1st LIVE「Ryushen」を観て




(このnoteには、個人的な話や解釈が多分に含まれます。それでも大丈夫という方だけお進みください)







Introduction : Personal Story                 (読まなくていい/飛ばしていい/蹴り飛ばしていい)


今年の春に、緑仙のメン限をやめようと考えていた。
緑仙が悪いとか、そういうことがあったわけじゃない。
というか、にじさんじを見るのをやめようとしていた。

バーチャルユーチューバーの世界が、本当に人を幸せにしているのか
わからなくなったからだった。


立春よりちょっと早い頃、私はある文章家の人とお話する機会があった。その人がバーチャルユーチューバーに言った言葉は厳しいものだった。
その人が言ったのは

もしも人が幸せを感じることがあれば、それは自分のささいな悩みなんて忘れるほど吹き飛ばすほど素敵な出会いをして、自分が変わってしまうような無我夢中の世界にいることだろう。
でもこのVtuberの子たちは、そのバーチャルの体に存在を縛り付けられている。自分自身の個性に縛り付けられて、求められる役割に雁字搦めにされている。
だから、いくら表が綺麗であろうとも裏側はどんどんボロボロになっていく。それこそ舞台の上ではずっと笑顔でいなければいけないアイドルのように。
そんな場所に人を連れてきて、卒業の時は何も残らないなんて、          そんなのは残酷なだけだ。


なかなかにきつい指摘ではあって、全てが全てを肯定するわけではない。
ただ、黛くんやメリッサさんの卒業を目の当たりにして、初期活躍していたVtuberの方々に襲う悲劇を見た上に、緑仙の『エンダー』や『ステイルメイト』といった曲を聴いていた私にはあまりにこの言葉は刺さっていた
2022年の誕生日に発表されたこの曲たちが描いていたのは、まさに配信者の元を離れた人を恨む、ズタボロになった心の中を描いていたからだった。

『エンダー』については文章を書いたこともあった。
詳しくは原文を読まれて欲しいが――要は「緑仙」という虚構の存在を守るために、苦しい戦いをしている部分が表に出ているように見えた。
「曲として」これらの曲が名曲なのは確かだとして・・・でも、これを「良い」と言っていいのかよくわからなかった。
誰も幸せにならないような気がしたからだ。

この人ほど人一倍努力していた人の行きつく先が、
人の目を気にしてばかりの地獄だとしたら。
しかもその人の目線を投げかけてしまっているうち一人が、自分だとしたら。

にじさんじにとって、春から初夏の時期はお別れの季節である。
緑仙に恨まれて、呪われるなら、心よく引き受けよう。
にじさんじを見るのもやめよう。
全部綺麗な夢のまましまえるならそれでいい。
これくらいのことはこの春には頭をよぎっていた。

そう考えて、バーチャルユーチューバーの曲をカラオケで100曲以上歌いまくったりして、お別れの準備をしていた。
もともと緑仙の動画を見てカラオケの曲を探しに来たのだから、緑仙の仲間たちの曲を全部歌って綺麗に締めよう。30年代の邦楽と、シャンソンと電子音楽の世界に帰ろう。


そう考えていた時期に、やってきたのが2023年6月8日の1stライブRyushenのお知らせである。わたしは、若干迷いながらもこのライブのことはスルーしようとしていた。

が、しかし緑仙ファンの知己の方から、一喝を入れられてしまったのだ。
さすがに「ライブ見ろ!」と叱られたのは初めてである。
残念ながら、地方在住であるのとお仕事の関係もあって、ネットでの視聴になった。しかも生じゃない(ちょっと遅れた)。

ここからえがくのは、ライブを見て思ったことを徒然なるがまま書いた
スケッチである。



First Impression: Butterflies in stomach…?



一曲目の「藍ヨリ青ク」で、「あっ、緊張してるんだな・・・」というのは明らかに分かった。もともとBメロやサビがえげつない早口のこの曲だが、今日はいつもより息が上がっててちょっと走っていた。
声がひっくり返りかけているように聞こえた。

セットリストは、オリジナル曲のほかに緑仙が所属していたグループの曲(「殺屋中毒」「ラブヘイト」)、歌ってみたで聞かれていた曲たち(「bin」「トウキョウ・シャンディ・ランデヴ」「アイディスマイル」)
に加えて、緑仙本人がアーティストとして好きなひとたちの曲と、リスナーのリクエストが多かった曲を中心に構成されていた。

今回のセットリストの曲は、私が初めて聞いた曲ばかり(絶妙に今まで聞いてなかった曲)が多かったのだが、そのおかげで気づいたことがある。
それは、緑仙の歌い方の異様な発音の聞き取りやすさである。

例えばプロのシンガーであっても、アジカンやMISIAが言葉自体の発音よりも、音楽としての「音」を重視しているという話を聞いたことがある。
しかし、緑仙の場合、おそらく日本語としてきちんと言葉が理解できる範囲内でかつ、音楽としてピッチとリズムを合わせるという繊細なバランスで歌が成り立っているように聞こえる。

その証拠に、「トウキョウ・シャンディ・ランデヴ」や「聖槍爆裂ボーイ」をわざと目をつぶって聞いて見て欲しい。元々の曲もかなり発音を(あえて)つぶし気味に歌っている所ですら、緑仙が歌うときちんと日本語になって聞こえる。 
これは、100曲カラオケとかの放送を聞くに、曲を暗記しまくったというよりは、歌を歌いこみすぎてどんな曲が来ても、どんなリズムの曲が来ても正確に発音できるようにもう体で覚えてしまっているように聞こえる
(ヤバイ)

バンドメンバーは

Gt.奈良悠樹
Gt.堀崎翔
Pf.岸田勇気
Ba.ウエムラユウキ(ポルカドットスティングレイ)
Dr.ゆーまお(ヒトリエ)

セットリスト中の「人魚」は、ポルカドットスティングレイの曲。
バンドメンバーには書かれていないが、ダンサーの方々や友情出演のパンダたちもいた。
これだけジャンルが違う曲たちを一手にまとめて演奏できるのはすさまじいことである。


Jokes (Or farewell songs for your heart By Bochi Boromaru)   

画面には、春私宜さんのイラスト


長くなってしまうが、タイトルがタイトルだけに緑仙のオリジナル曲に触れておこう。

「ジョークス」は、ぼっちぼろまるさんにより作詞・作曲・編曲され、今年の4月に発表された曲である。
そしてこの曲は、「イツライ」(2020年3月25日)、「君になりたいから」(2021年6月8日)、「藍ヨリ青ク」(2021年8月28日)「エンダー」(2022年4月16日・アザミさん作詞作曲)と、緑仙が成長した節目に発表されてきた曲のひとつだと考えていいだろう。


このマイクを食べている人がつくりました

前回のnoteでぼっちさんの曲をレビューしたのだが、ぼっちさんの曲はそのほとんどが、登場するキャラクターたちの声を聴くことである。


彼のソロ曲は、一見するとテーマがバラバラである。お正月のうた、チャイニーズガールの歌、バケモノの歌・・・
しかし、その曲たちの多くはキャラクターたちの自問自答や対話で出来ている。そして、その言葉や音楽はそのキャラがその場面になったらどう行動するか、どう感じるかを落とし込んで作られている。卯月コウの「アイシー」や、「天使と悪魔」「タンタカタンタンメン」といった曲たちはどれも、人と人が話たり、自分自身と対話するなかで生まれたエモーションを原動力にしている。

そんなキャラの言葉を聴く天才がメンター(?)になって作ったのが
イツライ」であり、「君になりたいから」であり、
今年の4月に出たばかりの新曲「ジョークス」だった。
そしてこの曲の主人公は仙河緑と、彼の憧れる存在の緑仙である。

(鏡に映る緑仙を見る仙河緑)

ぼっちさんの作る緑仙の曲の主題は、
仙河緑と緑仙の物語である。しかも、新曲が発表されるたびに、前の曲の意味も変わるような連続性を持つ物語である。

『イツライ』 2020/3/5
『君になりたいから』2021/06/08
『藍ヨリ青ク』2021/08/28(作詞作曲アザミさん)
『エンダー』2022/04/16(作詞作曲アザミさん)
『ジョークス』2023/04/16

日付は動画の公開日

ライブで披露された緑仙のソロ曲5曲は、まさに緑仙の存在を描いた
緑仙オリジンともいえる楽曲である。

これらの曲を繋げた時に見えてくるおおまかなストーリーラインはこうだろうか。
仙河緑は、元々昼は高校生、夜はバーチャルユーチューバーの緑仙として活動していた。ハンサムで仙河は、実は臆病者で学校生活も穏便に過ごせればいいと思う一方で、ひそかな願いを持っていた。


アンコール前最後に演奏された『君になりたいから』

緑仙 本名は仙河緑
本名は仙河緑 18歳の高校生
自分のことは大好きで、自分はなんでもできると思っている。
拳法を習っており、プライドが高く負けることが嫌い。
高校デビューに失敗したため配信を通して友達を作ろうと考えている。
友だちは出来ていると思う。

緑仙『君になりたいから』マンガ1P

こういう願望と憧れの存在として、仙河緑は、緑仙という存在を作り上げた。これが、最初のウソである
特に『君になりたいから』では、この憧れの存在として「緑仙」は存在している。


しかし2021年-2022年の『藍ヨリ青ク』『エンダー』はアザミさん作詞作曲ということもあり様相が変わっていた。ちなみに自分で歌ってみて分かったが、二曲ともえげつない歌唱難易度であり、ライブでよく歌い切れるなとほんとに思う。
『藍ヨリ青ク』は、PVを見るに緑仙というよりも仙河緑の心の中を描いた作品である。緑仙の曲の中でもトップクラスで歌詞が何を言っているか解読できない曲だが、ポイントは「歌を歌っている時は全てのややこしい言葉も吹き飛ばすことができる」と告げられていることだろうか。高校生から大学生に移っていく時期のモヤモヤを描いているとも捉えられる。
そして『エンダー』は緑仙という虚構の配信者が、去っていくリスナーと新しく緑仙をあがめる信者の中で憔悴していく様子を描いている。

この時期の緑仙は、企画の活動を大幅に縮小し自分とはだれかを探すために色々な試みをしていた時期だった。おそらくは、表に出さない(いや、ぶっちゃけめっちゃみえちゃってるけど)失敗や傷がたくさんあったのだろう。


今年の4月16日、誕生日にやってきた曲が『ジョークス』である。
緑仙はバーチャルユーチューバーの中でも特殊な、年齢によって「変わっていく」存在である。
この曲のギターリフや、サビ前のキメの部分は恐らくかなり『イツライ』を意識して作られている。しかし『ジョークス』側が明るく聞こえるのは、導入されたホーンが跳ね回っているからだろう。

この曲の歌詞やPVには、これまでの緑仙オリジン曲を思わせる場面も数多くあった。
二番のサビで「緑仙」と「仙河緑」が踊っているシーンは、『君になりたいから』の場面だろう。でもその下には、いっぱい失敗した緑仙が倒れている。
『エンダー』から引き続き、この曲ではっきり見えたのは仙河緑が憧れ続けたはずの緑仙は、もうすでに「配信者としての現実」を見過ぎたのか、あるいは仮面の下を覗こうとする人々に疲れ果ていたことだった。

仙河緑にとって神様だった緑仙は、ほんとうは神様じゃなかったのだ。
そんなときに、仙河緑はまた嘘をついた。
仙河緑ほど、緑仙がどんな時でも虚勢を張ってでも、堂々としていくら間違えても、いくら後悔しても、堂々と歩こうとしていたのを知っている奴はいなかった。
そして、その本音を照れ隠しで冗談にしてしまうクセも何もかも知っていた。十回も百回も、千回も見てきた。
もう緑仙も仙河緑も、どっちがどっちか、区別がつかない。

と、いうのがおおまかなストーリーラインだろうか・・・?(あまり生放送とか、Rain Dropsやこじハラとかもろもろのことを意識せずにみるとこうなる)


ぼっちぼろまる先生の曲は、そのVtuberや歌手の人が思っていることを丹念に聞いて出来ている名曲だらけである。


The Reason Why We Keep Going On Journey 


新衣装は、左足が良く見える大人っぽい感じもちょっとまとった衣装だった


序盤でガッチガチな様子だったライブは、どんどん調子が出てきたようでどんどんと声も伸びやかになって、ダンスにもキレが出てきたように見えた。

なんというか、いい意味でコトバにいちいちしなくていいくらい良いライブでした。初めて披露された『WE ARE YOU』も、これまで緑仙のオリジナル曲になかったまっすぐな曲でした。

実は、DAMのカラオケに『ジョークス』が入る時に、これまで「にじさんじ(緑仙)」で入っていたのが、「緑仙」になったのを見てメジャーに出ていくのを薄々気づいていた。「にじさんじ」が外れたことは、それはこれまでの緑仙の文脈を離れることを象徴しているように見えていた。
もう高校生でもなく、ぱっと見た姿は時代を時めくバーチャルアーティストにしか見えないことだろう。

そして、これからこの子は、にじさんじを超えて新しい人々に出会う旅に出るのだろう。



気難しいオタクくんにたいしてニヤニヤする緑仙

――ウソとは何か?それは仮面をかぶった真実でしかない。
バイロン「チャイルド・ハロルドの巡礼」

――嘘をつくものは、かれのくわだてている骨折(ほねおり)の大きさに気づいていない。なぜならかれはひとつの虚偽をささえるために二十以上の虚偽を発明しなければならぬからである
ポープ(英・詩人)

ちくま哲学の森 別館『定義集』より

『ジョークス』の歌詞とMCを含めて考えると――緑仙は幸せになることを決めたという。

人はだれも幸せになろうとしない人を幸せにできない。
そして、それは自分自身に対してもなのだろう。

「本当の自分を見て欲しい」という期待を(また出てくるかもしれないけど)投げすてたことなのかもしれない。
人の人生は言い訳と嘘に塗れているように見える。
でも緑仙は――冗談みたいな日常を続けることを選んだのだろう。






そういえば、メン限、抜けるかどうか決めてなかった。
ま、ここはあんな曲出してきた緑仙のことだし、抜けるかどうかは秘密にしとこう。もやもやさせるのがひねくれオタクのやるべきことだからだ。

ちゃんと「見て見ぬふり」をしていこうと思います。











(あ、でもカラオケにはイツライ入れてほしいなぁ)


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