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春のカミーノ④ ~オリソンからピレネー越えへ

昨夜の嵐も巡礼者たちの告白も、すべて夢であったかのような青空だった。カミーノは人生の縮図であると多くの先人たちが語っているが、その通りだ。あざなえる縄のごとく、禍福がせわしなく交互に訪れる。

冷たい雨の中を半泣きで歩いていた私は、もう遠い過去だった。厳かな神父のように振る舞っていた管理人さんも、今朝はまた元の陽気なお兄さんに戻っていた。

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一夜の教会のようだった山小屋の前で、皆で記念撮影をしてから、いよいよ本格的なピレネー越えだ。巡礼者供養のケルンの十字架までは、舗装道路が約7.5km続く。

アスファルトは足を痛めるし、無粋だといって巡礼者から嫌われがちだが、ここまでの絶景となるとあまり気にならない。むしろ、その先の険しい山道を思うと、車が通れる舗装道路は心強いともいえた。

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📷 朝から絶好調のさくらちゃんと、少しでも前に進もうとしているMiwako

Miwakoとさくらちゃんは知るよしもないのだが、私にとってこの道には、苦い思い出というか、ちょっとしたトラウマがあった。

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今から3年前の同じ5月──。ガイド本の取材班4名は、とにかくタイトなスケジュールに追われていた。約40日間の行程を、28日間で撮影しなくてはいけなかったからだ。サン=ジャンからオリソン、そしてケルンの十字架まではロケ車で移動し、そこから歩いてピレネーを越えることになっていた。

しかし、すでにお話した通り、ロケ車の代わりにやって来たのは20人乗りの大型バスだった。なるべくこっそり車移動したかったのに、目立つことこの上ない。山の中の狭い道を、巡礼者そこのけで走ることに耐えられなくなった私は、オリソンで昼食をとった後、アヤちゃんに言った。

「ここから少し先の岩の上に、有名なマリア像があるから。鳥居さんと二人で、バスで先に向かってくれる?  私と井島さんは撮影しながら歩いて追いかけるね」

優秀なアシスタントであるアヤちゃんは、英語・ドイツ語・イタリア語に堪能だったが、運転手のアベルが話せるのはスペイン語だけだった。One o'clock(1時)さえ通じなかった。それでもなんとか「マリア像まで」と伝えられたようで、バスは私と井島カメラマンを残して遠ざかっていった。

アスファルトだろうと何だろうと、自分の足で歩くカミーノは素晴らしい。井島氏はまさに水を得た魚で、各国からの巡礼者たちと談笑しながら、素敵な写真をたくさん撮ってくれた。そう、これぞ巡礼の旅だ……

ところが30分近く歩いても、マリア像は現れなかった。山の斜面に沿って、アスファルトの道がどこまでも続いているだけで、この先しばらくマリア像なんてないのは明らかだった。「少し先」というのは、私の思い違いだったようだ。そしてさらに困ったことに、やんだと思っていた雨まで降ってきた。

私も井島氏も健脚ではあったが、あと1時間かかるのか2時間なのか見当もつかない。そうなると、取材スケジュールは総崩れだ。携帯電話はまったく通じない。よりによって、ピレネー山中で置き去りになるなんて……巡礼の旅2日目にして、早くも最大のピンチに直面だった。

その同じ頃──。賢明なアヤちゃんは地図を確認し、ボスの指示が間違っていたことに気づいていた。「止まって! 戻って!」と叫んだが、アベルには通じない。ようやくバスは止まったが、わざわざ戻らないといけないなんて、彼には意味がわからなかっただろう。ついにアヤちゃんは、アベルに飛びかかって肩を揺さぶった。「いいから戻って!  タカモリさんが死んでしまう!」(と日本語で叫んでいたと、のちに鳥居さんから聞いた)

アスファルトの山道を、遠くからすごい勢いで逆走してくるバスが見えた。ピレネーをゆく巡礼者たちは、みんなびっくりして脇へ飛び退いていた。そのバスに乗っていたアヤちゃんは「あれほどはた迷惑で、恥ずかしかったことはない」と言う。私のミスで、皆を大変な目に遭わせてしまった。

3年経った今も、私は「ピレネーのマリア像」と聞くと、冷や汗が流れるのである。

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そんな因縁深いマリア像に、今回は正真正銘、歩いてたどり着くことができた。私は感慨ひとしおだった。カルマをひとつ解消したような清々しさすらあった。

(写真は、2016年5月の取材時に、井島健至氏が撮影したものである)

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カミーノは人生の縮図──今も昔も、まったくその通りだ。因縁のマリア像を過ぎたあたりから、また雲行きが怪しくなり、風も強くなってきた。今朝のさわやかな青空は跡形もない。あっという間に雨混じり、いや雪だ。たしかに白い雪がチラチラ混じっている。

Miwakoは今日も楽器は荷物搬送に預けていた。だからといって、そのぶん速く歩けるわけではないことは、昨日すでに判明している。ピレネー山中ではぐれるわけにはいかないので、私もさくらちゃんも、ずっとMiwakoにペースを合わせて歩いていた。

その結果──我々はおそらく、本日の巡礼者の最後尾だった。それはすなわち、もし遭難したら誰にも見つけてもらえない、ということを意味していた。

雪なのか霧なのか、気がつけばあたりは真っ白で、視界が効かなくなっていた。気温はどんどん下がっている。このままMiwakoがピレネーを越えるのは無理だ、と私は判断した。ケルンの十字架の手前で、車が通れる舗装道路は終わる。山道に入ってしまったら、もう後戻りはできない。さて、どうしようか……

天の助けのように、タープテントを張ったトレーラーが見えた。巡礼者のためにお菓子や飲み物などを売っている、移動販売の車だった。そうだ、これに乗せてしまおう。頼めばふもとのロンセスバージェスまで、彼女を送ってくれるだろう。

悟られないよう、注意深く捕獲しなくてはいけない。私は先にエスプレッソを注文し、テントの下で待ち構えた。さくらちゃん、そしてMiwakoが近づいてきた。

「ミワコさん、少し休憩しようよ! ほら、コーヒーもあるよ」湯気のたつ紙コップを差し出して誘い込もうとしたが、敵もさるものだった。

「休んじゃったら、私、ますます歩けなくなるから」と言って、Miwakoは飲み物に目もくれず、カタツムリのごとくゆっくりと、しかし決意をもった足取りで遠ざかっていった。捕獲失敗である。私のたくらみを察知したのかもしれない。

まあ仕方がない。さくらちゃんがついているから、何とかなるだろう。エスプレッソは自分で飲むことにした。指先はもう感覚がないくらい凍えている。熱い紙コップにふれて、初めてそのことに気がついた。こうして山で凍傷になって、指を失うことがあるのかもしれない──私は慌てて紙コップに指をすりつけ、温めたのだった。

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ケルンの十字架のところで、二人に追いついた。濃い霧で、前も後ろもまったく見えない。それが巡礼者の供養の十字架だというのも、気になるところだった。これまでの人生が走馬灯のように……いやいや、三羽ガラスそろってピレネーで遭難なんて、本当に御免だ。

そのとき──後ろのほうから、人の声が聞こえてきた。どうやら巡礼者のようだ。ああよかった、助かった!

考えてみたら、オリソン発のお仲間には置いていかれたが、サン=ジャン=ピエ=ド=ポーから歩いてくる人たちもたくさんいる。「最後尾じゃない」と思ったら、ずいぶん気が楽になった。

やって来たのは、逞しいアスリート風の男性二人組だった。ドイツ人だろうか。大きなバックパックを背負い、ストックもなしで歩いている。信じられないことに、なんと半ズボン姿だ。「ブエン・カミーノ!」と挨拶を交わすと、たちまち私たちを追い越して、霧の中に消えていった。

サン=ジャンから一日でピレネーを越えようというのだから、超健脚であるのは、これまた当然のことだった。やはり、うかうかしてはいられない。また次々と抜かされて、結局、また最後尾になってしまう。私は再び気を引き締めた……

(写真は、晴れた日のケルンの十字架。2016年5月、井島健至 撮影)

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「ミワコさーん、ファイトー!  ファイトー! イッチニッ、イッチニッ!」
さくらちゃんは、大きな声で節をつけながら腕を振り上げ、Miwakoを励ましていた。雨がまた本降りになってきたけれど、この状況を、彼女は明らかに楽しんでいる。

泣き笑いみたいな顔をしていたMiwakoも、そのうち一緒になって「ミワコ、ファイト!  ファイト!」と自分を励ましながら歩き出して、私もなんだか楽しくなってきて、しまいには雨の中を三人で大笑いしながら、フランスとスペインの国境を越えたのだった。

ここからスペイン、ナバーラ州。ピレネー越え最高地点のレポエデール峠までは、あと4.5kmの道のりだ。気づけばいつの間にか雨も霧も晴れ、うっすらと光さえ差してきた。半刻ほど前の私たちのあのパニックは、一体何だったのだろう……

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ケルンの十字架のあたりには、巡礼者を惑わす魔物が潜んでいるのではないか。私は今でもそう信じている。

春のカミーノ⑤ に続く)


三羽ガラスのピレネー越えは、次回に続きます!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
by さくらちゃん

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カバー

春のカミーノ⑤ に続く)

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