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帰り道のチーズケーキ


 幼稚園に通っていた頃、僕は送迎バスに乗って毎朝登園していた。

 幼稚園が出しているお迎えのバスが来る場所が決まっていて、そこで行きも帰りも乗り降りしていた。

 毎朝、親と一緒に歩いてバス停まで向かい、帰りは親がそこで待っていて、一緒に歩いて帰る。そういう毎日だった。

 幼稚園には遊具や砂場があったので、毎日休み時間に遊べることを楽しみに、毎日ウキウキでバスに乗り込んでいた。

 でも、行きのバスを待つときよりも、帰りのバスに乗っているときの方が僕はウキウキしていた。

 それは、「親が待っている」という小さい子供特有のかわいらしい理由もあったけれど、たまにそのバス停の近くにあるケーキ屋さんに、親が連れていってくれることがあったからだ。

 親が財布を持っていると、それはケーキを食べに行く合図だった。

「今日はケーキ食べれるかな……」とウキウキしながらバスに乗っていた。何ともゲスな子供である。

 僕は年齢が上がっていくにつれて辛い食べ物も大好きになっていったが、甘いものも大好きだ。(もとい、食べることが好きなんです)

 母が僕を妊娠したときに、甘いものを食べる衝動を抑えられなくなったらしく、相当妊娠期間太ったのだと言っていた。

 だから、受精卵のときから糖分を僕の体は欲しているのだろう。

 祖父が糖尿病で亡くなったので加減は気を付けなければならないと思うが、相も変わらず、甘いものは美味しい。

 そうして、一か月に数回程度、たまにケーキ屋さんに連れていってくれると、僕は決まってチーズケーキを食べた。

 チョコレートケーキも好きだけれど、僕はチーズケーキが好きだった。普通のショートケーキも好きだけれど、生クリームが多すぎると気分が悪くなってしまうので、少し苦手だった。

 甘さにもいろいろ種類がある。

 どんな話をそこでしていたのかはよく覚えていないけれど、僕と母の二人で行ったり、近所に住んでいる同じ幼稚園に通っている親子と行ったりしていた。

 他にも、幼稚園の年中のときに始めたサッカーを小学校六年生の時まで続けていたのだけれど、練習が終わるとたまに親がコストコでチュリトスを買ってきてくれていた。

 消費したカロリーをその場で回収する謎の行動ではあるけれど、楽しみの一つだった。

 それに、我が家では外食をしたときは、帰りに近くのコンビニでアイスを買って歩きながら食べて帰るというのがお決まりだった。

 家の近くのたまに行くお店で晩御飯を食べ、帰りにアイスを買って食べながら帰る。

 これも同じようにいい思い出として記憶に残っている。


 何か特別なことをしているわけではないけれど、凄く幸せだった記憶がある。僕は年齢が上がって来て思うのだけれど、いい思い出というものはこういう些細な幸せの積み重ねのようなものなのではないかと思う。

 幼少期の思い出を思い出しても、何か「ゲームやおもちゃを買ってもらった」という比較的高いお金がかかったり何か形として残るものよりも、公園で父親とサッカーやキャッチボールをしていたとか、たまに幼稚園の帰りにケーキを食べたとかそういう些細なもの方がいい思い出として記憶に深く刻まれている。


 僕達の人生を彩ってくれるものは、長い目で見ると刺激ではなく安心感や思い出だ。

 だから、人に与えるべきは刺激ではなく安心感や思い出だと思う。そういう小さな幸せを分け与えてあげられる人になりたいなと、ふとそう思った。






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