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いつから漫画やアニメで「整合性」を重視するようになったのか?

私が好きな漫画は「北斗の拳」という昭和の漫画です。
おそらく今日でも知らない人は殆どいないぐらい有名な漫画ですが、実はストーリーや設定がメチャクチャで話が矛盾しまくりの漫画です。
はっきり言って整合性の「せ」の字もありません。

それもそのはずで、作者自身が「すべて後付け」と仰っており、後先考えずに目の前の一話一話に心血を注いだ結果このようになったとのことです。

後から読み返すと「あれ?」という箇所がいくつもありますが、それでも当時は「漫画だから」という極めつけの理由でほとんど気になりませんでした。

最近の漫画やアニメを見ると、ストーリーや設定が実に整合性が取れており、例えば第一話で出てきたエピソードがちゃんと後で意味があったようにいわゆる「伏線回収」が重視されています。

これはこれで面白いのですが、細かいところの整合性を気にしながら読むと結構疲れるので、個人的には昭和の漫画のような「細けぇこたぁいいんだよ!」的なノリのほうが気楽に読めて好きです。

ところで、いつからどのような理由で漫画やアニメで「整合性」を重視するようになったのかは気になります。

ここからは私の仮説ですが、おそらく作者の側が変わったというよりも、読者のほうが変わった(読者が整合性を求めるようになった)のではないかと考えています。

時代がアナログからデジタルへ移行する中で物事を「ロジカル」に考える必要性が高まり、論理的に破綻していることは「悪」として捉えられるようになったことで、ストーリーや設定の矛盾に対して「気持ち悪さ」を感じる人が増えていったのかもしれません。

加えてSNSの発達で作品の「細かい矛盾」が簡単に発信できるようになり、ちょっとでも整合性が取れないところがあると「ストーリーが破綻している!」とか「伏線が回収できていない!」といった声が上がってしまいます。

そのような声に対して作者も無視できなくなり、「整合性」を重視した作品が増えていったのではないかと思っています。

ただ昔からの作者の中には相変わらず「勢い」と「ノリ」で描く人もいるので、「整合性」を気にするのは若い作者のほうが多いような気がします。(最近は漫画家の年齢も謎なので)

話は変わりますが、職場でも若い世代ほど「整合性」を気にするようになってきていると感じています。

例えば上司や先輩が以前言ったこととは違うことを言い出すと「えっ、前に言ったことと矛盾しているじゃん・・」と嫌がります。同様に何かの仕事を頼んでも「何のためにその仕事をするのか」をきちんと説明できないと納得しません。(もちろん表立って反抗することはありませんが)

そこを昔のノリで「つべこべ言わずにやれ!」なんて言ってしまうと、相手は心の中で「この人破綻している」とブラック上司(もしくはブラック先輩)認定されてしまいます。

細かい矛盾なんて気にしない昭和のノリもいいのですが、時代は間違いなく変わったので私のような昭和の漫画で育った世代も「整合性」が取れるようアップデートしたほうがいいかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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