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(昨日のつづき)自分も他人から見て「理解できない世界」の住人かもしれない

昨日の記事で書いたことを図にしてみました。

いくら自分では「世の中には色々な価値観がある」と理解しているつもりでも、自分が理解できる世界の「外側」にいる人が存在しており、実際に出会ってみないと理解できるかどうかわからないが、いざ出会うと不安や恐れを抱く可能性があるということです。

これはあくまで自分を中心にして見たときの図ですが、他人の視点から見ると下図のように逆になることがあります。

自分では「普通」「問題ない」と思っていることが、ある人から見ると「ありえない」「あってはならない」ことになってしまう可能性があるということです。

これもその境界線は目に見えないので、実際に出会ってみないと自分がその人から見て理解できる存在なのかどうかはわかりませんが、過去の人生を振り返ると自分では何も悪いことをした覚えがないのに相手からやたら攻撃的な態度を取られたことがあります。

おそらくその時の自分の言動が相手から見て「理解できないもの」であったため、本能的に「近づきたくないし、近寄ってほしくない」と思われたことでしょう。

当時はこっちも心の中で「何だコイツ」と思っていましたが、今になって思えば「自分が相手の理解できない世界の住人だった」というだけの話のような気もします。

理解できる世界の違いが不幸な対立に発展するとき

下図のように互いの理解できる世界が全く重ならない場合、双方が相手を「自分の理解できない世界の住人」として認識しているため、すぐに対立に発展することは少ないと思います。

例えば西洋人が初めて日本に来たときのように全く異なる文明の人同士が遭遇した場合、互いにとって相手は未知の存在であるため、最初は慎重に相手の出方を伺うと思います。

相手が理解できない行動を取っても、「まあ見た目から違う人だから」と思えるのでいきなり危害を加えてこない限りはこちらも相手を攻撃することはありません。

双方が慎重に行動しているうちに相手への理解を深まり、対話の糸口をつかめる可能性もあれば、利害の対立から戦争することもあります。

もっとも歴史上いきなり問答無用で相手を攻め滅ぼす事例もあるので一概には言えませんが、少なくとも理解できる世界の違いが大きいことは必ずしもマイナスではないと思います。

不幸な関係になりやすいのは下図のように片方は相手を理解できるが、もう片方は相手を理解できないというパターンではないかと思います。

特に2番目のケースは根深いものがあり、自分は相手のことを理解しているつもりだが、「相手は自分のことを理解できない」ということを自分が理解していません。

そのため「きっとわかってくれるはずだ」と思い込んで執拗に絡んでいった挙句に「何でわかってくれない!」と勝手に失望して相手への憎しみに発展する恐れがあります。

このパターンは親子関係や先輩後輩といった双方が比較的に近い関係でよく見られ、修復不可能なダメージを負うこともありますので結構注意が必要です。

関係が近いほど「きっと同じ世界にいる(だから理解し合えるはずだ)」という思い込みが生まれやすいので、むしろ家族だろうが友人だろうが「一人一人住む世界が微妙に違っているかも」と思ったほうが人間関係はうまくいくのかもしれません。

自分も他人からは「宇宙人」に見えるかもしれないと思えば、他人の攻撃的な言動も少しは許せる気にもなりました。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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