「自分が理解できる世界」の境界線を認識することはできるのか?
私もダイバーシティや異文化理解といったテーマを扱う手前(一応講師としてこのテーマで研修をやっています)、人間がする大抵の行為については「世の中にはこういう人もいるよね~」と受け止めることはできると思っています。(ただし、個人的な好き嫌いはあります)
例えば禁煙と書いてある場所で堂々とタバコを吸う人や、電車の中で集団で奇声を上げる人、こっちが行列に並んでいるときに平気で割り込んでくる人も、好きか嫌いかと言えば「大嫌い」ですが、彼らがそうしたくなる理由を何となく想像することはできます。
よく上司や先輩社員を悩ます「タメ口をきく新人」や「こちらが教えているときにメモを取らない新人」、「同じミスを10回も繰り返す新人」なども相手の気持ちも理解できるので全然平気です。
ところが最近は自分の理解を超えるような出来事が次々と起きており、ニュースを見て「えっ!こんなことをする人がこの世にいるの?・・・・」と感じている自分がいます。
そこで思ったのは、いくら頭で理解しようとしても自分が理解できる世界の広さには限界があり、その外側の世界にも人が存在しているということです。
ただ問題はその「境界線」がどこにあるのか見えないため、実際に出会ってみない相手のことを理解できるかどうかわかりません。
「こんな人もいるよな」と思えるような相手なら問題ないのですが、もし「こんなことをするなんて全く理解できない!」という相手に遭遇した場合、ちゃんと向き合えるかどうかは今のところ自信がありません。
それこそ地球人とは全く異なる価値観を持つ宇宙人に初めて遭遇したときに感じるような感覚かもしれません。
余談ですが、大航海時代にスペイン人がアステカ帝国といった新大陸の文明と出会いましたが、そこには人間を生贄に捧げるなど旧大陸の文明からは到底理解できない世界があったため、当時のスペイン人征服者は新大陸の文明を徹底的に破壊してしまいました。
このように歴史上「未知との遭遇」は不幸な結末につながることも多いのですが、その背景には「理解できない ⇒ 怖い・恐ろしい ⇒ 排除すべき」という人間の本能があるかもしれません。
新しい知識を得たり、新たな人と出会うことで自分が理解できる世界を少しずつ拡げることはできますが、それでも自分には到底理解できない人や、理解したくない人に出会う可能性はあります。
そんなときは不安や恐れから相手を排除しようとするのではなく、「この人は私が理解できる世界の外側にいる」ということを直視したうえで相手を理解するための努力をしようと思います。(相手を好きになる必要がありません)
そのほうが自分の世界を拡げるチャンスにもなると思います。
今回もお読みいただきありがとうございました。