世の中いろんな人がいるが、”いろんな”の範囲は想像より遥かに広かった
「多様性」という言葉について考えたとき、よく「世の中いろんな人がいる」という表現をすることがあります。
これは確かにそうですが、”いろんな人がいる”のはどういう状態なのかを図にすると多くの人は次のようなイメージを持つのではないかと思います。
この図は「色が異なる様々な人がいる」ということを表したものですが、前提として皆が自分と同じ世界に住んでいるというのがポイントです。
例えば社会人向けの研修の場に「いろんな人がいる状態とはどんな状態ですか?」を尋ねてみると、以下のような答えが返ってくるかもしれません。
日本人もいれば、外国人もいる
地味な人もいれば、派手な人もいる
礼儀正しい人もいれば、態度が悪い人もいる
頭がいい人もいれば、バカなことをする人もいる
お金持ちもいれば、貧しい人もいる
「世の中には自分とは違う人がいる」ことは認識できるが、「そういう人もいるよね」という自分の常識の範囲内での”いろんな人”というわけです。
ところが現実はこういう人も世の中にはいるわけです。
誰もがバカバカしいと思うことに時間とお金を惜しげもなくつぎ込む人
(他人にとっては”バカバカしいこと”でも、本人にとっては”生きがい”)普通の人が絶対やらないようなことを平気でやってしまう人
誰もができることがどうしてもできない(やらない)人
こういう人はある意味「自分が知らない世界」の住人と言えます。
人間はどうしても「自分が知っている世界」の中で「多様性」を考えようとしますが、実際は自分が知っている世界の外側にも知らない世界が数多く存在しており、そこにいる人たちも「多様性」の一つだったりします。
”いろんな世界”にいる”いろんな人”のイメージは上の図のようになりますが、問題は「自分が知らない世界」がどのぐらい広いのかは自分でも正しく認識できないということです。
人生50年生きてきた中で、未だに「まさかこんな人はいないだろう」という人に出会うことがあります。そのような人に出会うと「多様性の範囲を勝手に限定していた自分」に気づかされます。
おそらく「宇宙の果て」がどこにあるのかわからないように、自分が知っている世界の外側がどのぐらい広いのかは「わからない」と思った方がよいでしょう。
自分では「マジョリティ」側に属しているつもりが、自分が知らない世界まで含めると実は「マイノリティ」だったということもあります。
そんなわけで人生はいくつになっても「自分が知らない世界はある」と思ったほうが良いかもしれません。
変に「世界のすべてを知っている」と決めつけるよりも、素直に「知らない」「わからない」と謙虚に考えた方がいざ自分とは異質な人に出会ったときに柔軟に受け止められるようになると思います。
まあ世の中のことを何でも知っているより、「知らない世界がある」ほうが人生はワクワクできるので
最後まで読んでいただきありがとうございます。