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「問題児」を生み出すのは決して教育の敗北ではありません

社会人の教育に携わる仕事をして15年になりますが、改めて感じることは「教育は万能ではない」という現実です。

とはいえ、社員教育を行う側の期待としては「必ず成果を出すこと」なので、どんな人でも下記の例のように「あるべき姿」に到達できるよう教育することが求められます。

  • つい先日まで学生だった人が「ビジネスマナー」をちゃんと身につける

  • 仕事の手順を知らなかった人が「正しい手順」をちゃんと身につける

  • 後輩の指導をしたことが無い人が「適切な指導法」をちゃんと身につける

  • 初めて管理職になる人が「マネジメント力」ちゃんと身につける

もちろん教育を提供する側も少しでも目標達成に近づけるように最大限の努力はするものの、100%誰もがあるべき姿に到達できたら苦労しません。

どう頑張っても次のような”問題児”は一定数現れてしまいます。

  • マナーがなっていない若手社員

  • いつまでも正しい手順で仕事をしない人

  • 後輩を罵倒するような乱暴な指導をするトレーナー

  • 部下を動かすのにパワハラに走る管理職

これは別に誰が悪いというわけではありません。

社会人を対象とした教育プログラムは基本的に「マジョリティ」を基準にしているので、合わない人は必ず出てくるのがその理由です。

例えば新入社員向けに「ビジネスマナー」を教えるときにマナーの重要性について伝えますが、その際は「マナーとは、他人から”この人と一緒に仕事をしてもよい”と良い印象を持たれるための行動です」と説明します。

そこには「他人から好印象を持たれたい」と思っている人が大多数であるという前提があり、受講者がマジョリティ側にいるからこそのメッセージですが、「他人にどう思われても構わん」という人には全く響きません。

そのような人にマナーの必要性を納得していただくためには全く別の説明が必要であり、テキストに書いてある内容からは大きく逸脱してしまいます。

もし社員研修がすべて1対1の個別指導であれば一人一人の個性に合わせた教育をすればいいのですが、集団でまとめて実施するとどうしてもマジョリティ側に合わせる必要があるのでそうではない人は取り残されてしまいます。

その結果マイノリティ側の人は教育を受けても「あるべき姿」に到達できず、”問題児”扱いされてしまうのです。

特に「みんなができることができない人」は”問題児”のレッテルを貼られがちです。そして一度”問題児”のレッテルを貼られてしまうと、教育ではなく「矯正」の対象になってしまいます。

ただ「矯正」もマジョリティ側のやり方を押しつけるだけのケースが多いため、両者の関係を悪くするだけでほとんどうまくいきません。

この問題については特効薬はありませんが、次のようにするしかないと考えています。

  • 教育は万能ではなく、成果が出ない人もいるという前提に立つ

  • ”問題児”は何かが劣っているのではなく、「マイノリティ」として考える

  • 「マイノリティ」に合う教育方法は色々試してみないとわからない

学校の教育も大人数の「クラス」が存在する以上、基本的にはマジョリティ側の「標準的な子ども」を想定したものになっているため、マイノリティ側の「個性的な子ども」は確実にそこから溢れてしまいます。

そのため、本来は「マイノリティ側」の子どもに合った教育をしてあげる必要があるのですが、様々な制約があって難しいため”問題児”として放置されてしまうのがほとんどです。

ただそれは決して「教育の敗北」などではなく、「大多数の人に合う教育がその人には合わなかった」ということであり、時間をかけてでも「その人に合う教育」を見つけるしかないと思います。

「その人に合う教育」について一発で正解にたどり着くのはほぼ無理なので、「教育する側の失敗」を容認することも大切です。

ということで、教育に携わる人は”問題児”をうまく教育できないからといって自分も相手も責める必要はありません。

”問題児”に合うやり方なんてどうせ簡単には見つからないので、「気長に色々試せばいい」と割り切ったほうが実は最善の結果が得られると思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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