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「悪い事をするかもしれない人」に対する”予防的措置”は有りか?という難問

近頃ニュースを見てふと思い出したことがあります。
(ちょっと重い話です)

私が今のマンションに引っ越して間もない頃の話ですが、夜になるとたまに下の階から”人を怒鳴りつけるような声”が聞こえてくることがありました。

幸い私が住んでいる部屋はその人の部屋から離れていたのでほとんど気にならなかったのですが、真上の部屋に住んでいる人から理事会に「怖いので何とかなりませんか?」という訴えが来ました。
(そのとき私は既に理事会の一員でした)

どうやら声がうるさいだけではなく、「殺すぞ!」といった物騒な言葉で怒鳴っているため恐怖を感じたとのことですが、管理会社に確認すると賃貸で入居している独り暮らしの初老のオジサン(推定60歳近く)が怒鳴り声の主ということがわかりました。

そして怒鳴っているのは「自分の部屋の中」であり、このオジサンは一人で空間に向かって怒鳴っているというわけですが、諸般の事情により「通常の会話が通じない相手」らしく、理事会としてもお手上げの状態でした。

それがある日、役所の人がやってきてそのオジサンを連れ出して精神科の病院に強制入院させてしまったのです。

そんなことができるのかと驚いていたのですが、調べてみると「措置入院」という制度があることがわかりました。

下記の厚生労働省のページには「2名以上の精神保健指定医の診察により、自分を傷つけたり他人に危害を加えようとするおそれがあると判断された場合、都道府県知事の権限により措置入院となる」と書いてあるので、おそらく誰かが通報して役所が動いたと思われます。

おかげで怒鳴り声は無くなり、マンションに再び平和が訪れて私も心の底から安堵しましたが、よくよく考えてみるとこのオジサンは自分の部屋の中で大きな声で怒鳴っただけで、別に誰かを傷つけたわけではありません。
(大きな声で怒鳴ってはいけないという法律もないので)

それなのに「他人に危害を加えるかもしれない」という理由で、”予防的措置”として強制的に拘束されて自由を奪われてしまいました。

このようなケースは私が住んでいるマンションだけではなく世の中でよく起きていることらしく、国連からも障害者権利条約への取り組みが不十分との勧告がありました。

しかし、この問題は影響を受けない第三者の立場からは確かにいくらでも「正論」が言えますが、「被害を受けるかもしれない立場」の人間にとってはそうはいかなくなります。

というのも「事が起きるまで手を出さない」となると、何らかの手を打つのは被害が起きてからということになります。

そうなると、「被害を受けるかもしれない立場」の人は恐怖に怯えながら過ごすことになるので、それを容認できるのか問われると私も「はい」とは言えません。

綺麗事抜きで本音を言うと、「悪い事をするかもしれない人」には「事が起きる前に対処してほしい」と思っています。

しかし、このような”予防的措置”が有りとなると、今度は「どこまでやっていいのか」という線引きが難しくなります。

それこそ0.01%でも可能性があれば予防的措置を取ってよいということになると、某国で行われているように「テロリストと同じ宗教を信じている」という理由だけで監視され、少しでも怪しい行動があれば強制収容所に入れられるということがまかり通ってしまいます。
(マジョリティの不安を解消するためにマイノリティを迫害するようなものです)

戦争が起きるのも同じメカニズムであり、「あの国が攻めてくるかもしれない」と思ってしまうと「攻撃される前に先制攻撃してしまえ!」ということになり、戦争の火ぶたが切られることになります。

そんなわけで精神病院に入れられたオジサンの話を思い出したとき、「悪い事をするかもしれない人」に対する”予防的措置”には少しだけ疑問を持つようになりました。

とはいえ、人間は「目の前の不安」からどうしても逃れたいので、簡単に「予防的措置はよくない」とも言えません。「先にやられることがあっても、自分から手を出さない」というのは余程の覚悟がないとできないことです。

この問いは簡単に答えを出すことはできませんが、考え続ける必要はあるかもしれません。

ちなみにそのオジサンは強制入院になったまま、二度と帰ってくることはありませんでした。今ではその部屋は別の人が住んでいますが、オジサンの行方は全くわかりません・・・

最後までお読みいただきありがとうございます。

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