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「心と体のバランスを保つ」ことの難しさ、自分の理念との付き合い方


こんにちは。れいこです。


他人のことでも自分のことのように胸を痛めること、他人のことでも「何かできることはなかったのか」と反射的に感じることはありませんか。


アドラー的な解釈だと「課題の分離」なんて言葉が使われるけど、感情が落ち着かないものは落ち着かない。



昨日「嘘でしょ」、とつい口に出してしまうニュースが飛び込んできました。出先だったので帰ってから改めて確認すると嘘ではなくて。


その人と別に親しい仲ではない。特別な感情を持っていたわけでもない。会ったことすらない。それでも、なんだか他人事のように思えない。


それは一方的にもその人を見たことがあって、親近感を抱いていたからかもしれません。10代の時からいつの間にかそこにいて、友人なんかはキャーキャー言っていて。容姿の端麗さと爽やかな雰囲気が世間の目を離さなかったのでしょう。



私は医療関係者ではないしただの無職だし、「どうしてそうなったのか」はプライベートだと思うのでなんでもいい。ただ、なんだかとても苦しい。


「何かできることはなかったのか」と思ってしまうけれど、それは事実が起きてから思うわけであって事実が起きる前までは誰も気付かない。



誰も言わない。私も、「助けて」と言えないタチなので、1人で抱えることの重さを感じたことはある。心を殺して体だけで生きてる人、いるのではないでしょうか。


厄介なのは大人になっていくにつれて自分の人生経験から抜け出せなくなっていく


「自分でどうにかしたい」や「自分と向き合いたい」と思ってしまうと、知らず知らずのうちに抱え込んでしまう。


「話聞くよ」なんて
言われても何を話せばいいのかわからない。
でも、吐き出してない
言葉にしていない感情は大きくなっていく。


大きくなればなるほど、
人に出したくなくなる。


弱い人間だ」と
自覚をしてしまうような気持ちになる。



周りがそう思っていなくとも、自分が吐き出すことを「弱い」と認識してしまうと簡単なことでも頭の中を巡ってしまって難しくなってしまう。


そう思った時にやっぱり
文字にする習慣には助けられてる。



人に言葉でアウトプットをするのが苦手だけど、打ち込んでいると言葉が出てくる。大きくなる前に、小さなうちに外に出すことができる。



友人が多い人なんかはきっと聞いてもらうのが一番いいんだろうと思うけど。
私は友人に言わないし言えないし、心配されても面倒なのでここでこうやってぐだぐだ書くことが性に合っているのかもしれない。



離婚で悩んでいた時、コーチや本が私を救ってくれたし救われた経験を誰かに伝えたくて、どう伝えようかはまだ悩んでるけどとりあえずいろんな自分を残してみてる。



「死にたい」と思うことはなかったけど「消えたい」と思うことはあった。

明けない夜はないことは知っていても、
その夜がつらい。


朝がくる前に消えてなくなりたい。


そんな時はノートとペンを手にとって、
文字にした。


「なんの不安なのか」を一通り書き殴ったあとは「この後に取れる手段はなにか」を考える。3つくらい候補をあげておくと、「あ、そっか確かにこれくらいしか方法ないわ」なんて客観的に見れたりするので私にはとても効果があった。



けれど私みたいに文字を書くのが好きな人たちばかりではないとは思うので、自分のできることは、周りの人が相談しやすい自分を作っておくことなのかな、と思っています。


最近心配するのは辞めたんです。


心配してもらえる」と思うと
どこまでも弱くなれるから。


弱い人って大抵周りに誰かいるよ。誰かが心配してる。でもそれって依存に近くて、お互いに不安定になってしまうなって今回の離婚で気づいた。



なので「大丈夫だよ」を伝えていきたい。
先が見えないのはみんな怖い。
不安を考えれば広がっていく。
特に移り変わりの早いこの時代をどうやって生きていいのか。


考え出したら令和の時代は
検索してるだけで時間がすぎてしまう。


もう動くしかないですよねえ。
何が自分にできるかもわからないし、わからないから何もしないとなると不安ばっかり溜まっていくし。知らない世界を知って自分のちっぽけさと向き合っていくしかないんですよね。



でも動き出すと案外新しい発見があったりするので、「案ずるより産むが易し」は本当にやすし。「心配してくれ!」と言うと見ず知らずの人が心配してくれるこのご時世で、それがなかなか難しかったりするけど。


私は誰かの背中を推したいなあ。

本当はしたいことがある人の背中を推したい。



世の中を作ってきたのはいつでも社会不適合者だし、わがままだし、意味がわからん人たちだ。だったらやっぱり誰しもみんなそのままでいいんだと思うなあ。



そしてそんな意味のわからん人の話す意味わからんことを「すごいじゃん、やってみなよ」と無責任だけど本気で応援するような人に、私はなりたいなあ。


やってもやらなくても寿命でいつか死ぬし
寿命がこなくたって死ぬときは死ぬし



自分の理念を持つことも大事だけど、たまには少し肩の力を抜けるような、そうやって生きていきたいなあ。



まとまってないんですけど今感じてることです。


とりあえず吐き出しておきます。


自分の近くにいる人にはやりたいこと、思いっきりやってほしいなあ。犯罪とかじゃなければ。


そんなことを思っているよ。

なんでもできる時代に
動かないのはもったいないよ。


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ありがとうございます。味の素の冷凍餃子をきゃぴるんるん食べます。