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走ることから得られる示唆で、「生きること」を考えてみる

僕は、中学・高校と、陸上の長距離走を部活でやっておりました。やってた当時はかなりの意気込みで打ち込んでいたような記憶があります


いまはもう競技としてはやっていませんが、最近また長距離走を趣味として始めたところ、ランニングに関する解像度もあがり、また様々な示唆も得られたので、ここに書き残します。

目次 
 1. 末端と中心
 2. 耐えモードと疾走モード

1. 末端と中心

最近のランニングに関する発見は、
・細かくタイムを管理、
・身体の末端まで神経を集中
・頭で身体の動きを修整する
などの「頭で動かす」行為よりも、

身体の中心(みぞおちあたり)にボールがあると仮定してそれの回転する速さと方向で身体をコントロールする「中心感覚」の方が良い姿勢を保てること


現役の時は、理論書を読み漁って、タイムとか身体の動きの勉強とかしたり、身体の末端まで意識を向けることばかりしてたのが失敗だった気がします。

身体感覚はもっと"全体最適"みたいです。
中心を意識することも、末端の細かな修整と同等かそれ以上に大事みたいです。


これを人生(というか思考)に応用すると、
直観意識/身体意識といった無意識に感じるものも、自分の思考意識でハッキリと捉えられるものと同等かそれ以上に大事ということでしょうか。

思考意識は、行動手法を考えたり、分析、検討したりするのには大事ですが、自分ど真ん中(自分はいったい何が好きで、何が得意で、何をやる人間なのか?)という中心を捉えるには、直観意識/身体意識が大事になってくるのでしょう。


人生の全体最適をつかさどるのが直観意識(/身体意識)で、個別最適として細かい行動をうまくいかせるのが、要素を1つ1つ把握できる思考意識というところでしょうか。


   

2. 耐えモードと疾走モード

長距離(1000m以上)の全力疾走にもコツがあります。
ちなみにここで言う全力疾走は、一定の距離をいかに速く走れるかを競う競技としてのランニングを指します。

 

そして、長距離の全力疾走には、
基本的に、耐えモード(キツい)と疾走モード(ラク)があり、それらには周期的な波があります
いかに"耐え"の時間を短くするか(ラクに耐え忍ぶか)を自分は意識していて、その内容には、次のようなものがあります。



・負担がかかっている筋肉を別の部位にズラす
・呼吸を"吐く"重視にする(と勝手に酸素を吸える)。
・四肢の連動するリズムを整える。
・前のめりになってる/目に力が入ってるのを解く。
・登り坂はピッチを速く
・力んだ肩の力を抜く
・肩甲骨を引いて連動により骨盤から足を動かす
・心臓の鼓動、呼吸、身体の動き、気の動き、のリズムを同期させる


これをアナロジーで人生に応用を効かせてみましょう


人生も基本的には耐えモード/疾走モードの周期がある気がしています。


"耐えモード"でうまく耐え忍ぶために、


生活の中で特に負担がかかっている状況を特定して、そこの負担を減らす
(負担がかかっている筋肉を別の部位にズラす)

今一生懸命がんばっていることを、ゆるめる/立ち止まることで、逆にエネルギーを得る。
(呼吸を"吐く"重視にする(と勝手に酸素を吸える)呼吸が苦しいからと言って、吸おう吸おうとしない。
/前のめりになってる/目に力が入ってるのを解く。)


・問題の本質を見抜いて(レバレッジが効くところを見抜いて)、別の場所に力を入れる。具体的な行動じゃなくて戦略を見直すとか、自分のメンタルモデルを見直すとか
(肩甲骨を引いて連動により骨盤から足を動かす)


・自分の内側にある、様々な欲求/エネルギーのバランスをとる。抑圧しているエネルギーに目を向ける。
(四肢の連動するリズムを整える。)


・そもそもこうやっていかにして"耐えモード"を耐え忍ぶかを言語化しておく

  

以上、長距離走と、人生哲学でした!

「走る」とか、哲学(どう生きるか?)とか、ある意味自明なほどシンプルだけど、実はありえないくらいの深淵さがあるものを探求するのは僕はすごう面白いなと思います!

みなさんも身近で得意なことで、こういう風に考察してみてはいかがでしょうか!

最後までお読みいただきありがとうございます。もし何か響くものがあったり応援したいと思っていただけたらサポートいただけると嬉しいです!