提供する理学療法の意味を見失ったときに考えたいこと
理学療法士が理学療法を提供する場所や領域は年々拡がっています。
少し前まで理学療法士は病院に勤めるのが普通でしたが、最近では訪問やデイサービス・デイケア、行政、予防分野など、多種多様な領域で働く理学療法士が増えてきました。
理学療法士として関わる範囲・領域が拡がれば拡がるほど、それぞれの領域で理学療法を提供することの意味は多様化します。
そこで生じるのが、何のための理学療法なのか?という疑問や迷いではないでしょうか。
今回は理学療法を提供することの意味について考えてみたいと思います。
この記事を読むと、
✅️理学療法を提供することの意味を考え直すきっかけになる
✅️理学療法やリハビリテーションの背景に哲学が必要なことに気付く
✅️自分の提供する理学療法に自信をもてる
領域で異なる理学療法の意味と悩み
ちょっと前までは理学療法士は病院に勤めるのが普通であり、理学療法を提供することに迷うことは少なかったかもしれません。
急性期病院なら、リスク管理をしながら回復を促すような介入を行う。
回復期病院なら、(多くの場合)自宅へ帰るために必要な身体機能や生活能力の回復を促す。
目的が割と明確ですよね。
それが最近では、予防分野や生活期でも理学療法を提供する機会が増えています。
生活期や慢性期と呼ばれる領域では、少し間違うと漫然とした介入を行ってしまいがちではないでしょうか。
例えば、病状や身体状態が安定し、自宅で生活できている、独居の方。
訪問看護として関わることや、デイサービスやデイケアに通われる場合が多いのではないでしょうか。
このような方に対して、理学療法士として関わる場合、どのような目的で関わるべきなのでしょうか?
「訪問なんて必要ない」と終了を促してしまって良いのでしょうか?
デイサービス・デイケアに通われ、自宅で独居を続けることができているので、理学療法士として個別に関わる必要はないのでしょうか?
こんなことを考えていると、自分が提供する理学療法の意味がわからなくなり、悩んでしまうことがあるのではないでしょうか。
人生という物語の一部に関わっている
当たり前のことなのですが、目の前の患者さん・利用者さんも一人の人間であり、その人の人生があります。
その人の人生という長い物語があり、いま自分が理学療法士として関わっているのはその一部に過ぎません。
理学療法士として自分が関われている『今』があり、その前後に続いている連続した物語があるのです。
そして人間である以上、その物語には終わりがあります。
理学療法士はその物語が終わる直前まで関われるかもしれませんし、理学療法士として関わることができなくなってからも長い物語が続くかもしれません。
理学療法士として関わることの意味がわからなくなったときは、目の前の患者さん・利用者さんの物語というものを考えてみて欲しいのです。
自分が関わることで、その人の物語をどのように変えられるのか?
自分が関わった後の物語をより良い方向へ進めるために、いま自分にできることは何なのか?
その人の物語はどのように終わるのか?どのように終わって欲しいのか?
クライアントの物語に思いを馳せると、理学療法士として関われる部分が見えてきます。
そして、そのとき限りの介入ではその意味や目的に達することができず、その後のためを考えた理学療法が必要だということにも気付けるのではないでしょうか。
哲学のない理学療法に意味はあるのか?
人間は何百年も昔から、同じようなことを考え続けています。
はるか昔から人間が抱いてきた問いかけとは何か、ということです。それは次の2つに要約されます。
・世界はどうしてできたのか、また世界は何でできているのか?
・人間はどこからきてどこへ行くのか、何のために生きているのか?
(出口治明著:哲学と宗教全史, p9, 2019)
この問いに対しては、宗教、哲学、自然科学という様々な領域から様々な答えが出されてきましたが、唯一の答えというものには至っていません。
仏教という宗教の創始者である釈迦(ブッダ/ゴータマ・シッダールタ)も、そもそもは『生老病死』という4つの苦しみから逃れる方法を探して考え始めたのがその始まりでした。
人間の物語には、死という終わりがあります。
死後の世界とか極楽浄土とか言うつもりはなくて、良くも悪くも終わりがあるのですから、そこまでの物語はより良いものにしたいじゃないですか。
そこに理学療法士が関わることで少しでも良い物語にできるのであれば、少しでも良い終わり方ができるのであれば、それは意味があることではないでしょうか。
むしろ、こういったことを考えない、哲学のない理学療法に意味はあるのでしょうか?
短期的な効果を出すことはもちろん大切です。そのために手技や知識を磨き続けるというのは、とても大切なことです。
しかし一方、それはクライアントの人生においてどのような意味を持つのか?その後の人生においてどのような役に立つのか?ということを考えることも大切なことではないでしょうか。
その一時の効果・改善はクライアントの物語のごく一部かもしれませんが、その後の物語や物語の終わり方を左右しかねない出来事かもしれません。
まとめ
今回は理学療法を行うことの意味について考えてみました。
何のための理学療法をしているんだろう?というのは、理学療法士として臨床に向き合っていれば一度は悩むことではないかと思います。
その答えを見つけるのは簡単ではないですし、理学療法士一人一人、クライアント一人一人異なる答えが見つかるのかもしれません。
しかし、この記事でお伝えしたかったのは、少なくとも短期的なことばかり考えていては、その意味や目的を見失ってしまうということです。
目の前のクライアントのその後の物語を考えてみると、自分が理学療法士として関わることの意味が少しは見えてくるのではないでしょうか。
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哲学と宗教全史
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とても平易な分かり易い言葉で書かれています。
嫌われる勇気
言わずと知れた、アドラー心理学について書かれた書籍です。
人生という物語の終わりを考えるとき、アドラー心理学も参考になります。
どのようにその人と別れたいのか、ということを考えると、今自分にできることも見えてきます。
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