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ヒトの『麻痺』はどうして回復が難しいのか〜社会性を獲得した動物という視点から考える〜
脳卒中では、基本的に脳卒中を起こした半球と反対側の上下肢が麻痺を起こし、『片麻痺』と呼ばれる状態となります。
また、脊髄損傷では損傷した高位よりも下の部分が麻痺した状態となり、『下半身麻痺』などと呼ばれたりします。
このように『麻痺』と呼ばれる状態には様々なものがあり、我々理学療法士やセラピストはこの『麻痺』を改善するように試みたり、『麻痺』がある状態でも生活できるような方法を考えたり一緒に練習したりします。
多くの理学療法士が立ち向かう『麻痺』という状態ですが、残念ながら『麻痺』が治ったという事例には出会ったことがありません。
一方、人間以外の動物を対象にした実験では、人為的に起こした脳卒中による『麻痺』がほぼ治ったという報告もあります。
なぜ人間の『麻痺』は治らないのでしょうか?
様々な意見や理屈が考えられていますが、今回は二重過程説(Double Process Theory)というものに立脚して、『麻痺』が治らない理由と、人間が『麻痺』から回復するために何が必要なのかを考えてみたいと思います。
このnoteを読むと、
✅️『麻痺』の回復が難しい理由がわかる
✅️『麻痺』の回復には二つの種類(段階)があることがわかる
✅️『麻痺』を改善するために必要な『社会性』という視点が持てる
二重過程説(Double Process Theory)とは
二重過程説(Double Process Theory)は、ヒトの認知や行動は大きく分けて二つのシステム(プロセス)から形成されるという理論である。
システム1は、無意識的で自動的、迅速で直感的に働く。これに対してシステム2は、意識的に制御され、処理が遅く、熟慮的に働く。
(読書猿:独学大全, P13, 2020)
私自身、この二重過程説という考え方をなんとなく知っていたのですが、このようにしっかりと説明されたのはこの書籍が初めてだった気がします。(この本の序文だけ読んだ状態で書いています)
この理論では、システム1は生存本能に基づくような自動的なシステムであり、大昔に獲得されたものとされます。
例えば、美味しそうな食べ物を見るととりあえず食べる、みたいな行動はシステム1に基づく行動です。
一方のシステム2は、システム1の本能的な行動を理性的に抑制したり制御するように働きます。
目の前の食べ物が美味しそうで食べたいけれど、さっき食べたばかりだからと考えて我慢する、というような行動がシステム2に基づく行動です。
『独学大全』では、ヒトが学ぶ理由として二重過程説が紹介されているので、この記事とは方向性が異なります。興味のある方は『読書大全』もぜひ読んでいただければと思います。
ヒトの脳卒中後に生じる変化
脳卒中を起こした後の人間は、それまでとは全く異なる動き方をするようになります。
連合運動とか共同運動などと言われますが、ざっくり言えば目的に合った動きができなくなります。
脳神経の一部が傷付いてしまうことに由来して動くことができなくなる、という部分はもちろんありますが、厄介なのが残存した脳の機能も抑制されてしまう状態が存在するという点です。
脳の一部が損傷を受けると、急性期では損傷された部位を保護するため、脳は脳全体の機能を落とします。脳を働かせると酸素や栄養素の需要が増え、血流の要求を増やすことになり、損傷範囲の拡大に繋がるためです。
急性期を終えると、通常は少しずつ脳全体の機能を戻していくのですが、機能を低下させた状態が長く続く場合があります。これを機能解離(Diaschisis)と呼びます。
このような脳卒中後の脳の反応が大昔に獲得された生命を維持するための機能だと捉えると、次のように考えることができるかもしれません。
脳卒中を起こした人間は、身体の動きを制限してでも生命を維持する方が効率的である、ということです。
ヒトの特徴から脳卒中の回復を考える
冒頭でも書いたように、ヒト以外の動物(ラットなど)は脳卒中を起こしても、自然に四肢を動かせるようになります。つまり、脳卒中から回復することができるのです。
自然界で生きている以上、身体を動かせないということはそのまま死に直結するのですから、当然と言えば当然です。
では、ヒトの場合はどうして脳卒中から自然に回復するという機能が備わっていないのでしょうか。もしくは失われてしまったのでしょうか。
その理由には諸説あるでしょうし、ここで明確な結論を出すこともできませんが、この問題について二重過程説から考察してみたいと思います。
ヒトが他の動物と大きく異なる点として、二重過程説のシステム2が発達しているという点です。
おそらく、ラットのような動物はシステム1だけで生きていると考えて差し支えないように思います。これは、本能に従って生きているということです。犬とか猫のレベルでも同様でしょう。
しかし、ヒトはそのように生きていくことは難しい生物です。
社会を構成するようになり、抽象的な思考を獲得し、言語を操ります。そこで必要になるのがシステム2です。
ヒトの特徴は社会性と言ってしまっても過言ではないのではないでしょうか。
そんな社会性を獲得したヒトは、助け合うということを前提として進化していったのではないでしょうか。
つまり、ヒトは他の動物種とは異なり、生命を維持さえしていれば身体の動きが制限された状態でも生きていくことができる、ということを前提に進化したのではないでしょうか。
そして、身体の動きを戻すことよりも社会性を獲得・維持するための能力を優先した結果、システム1をシステム2で制御するという二重過程説で説明されるシステムを構築してきたのではないでしょうか。
ということは、相互に助け合うこと、他者に依存して生きるということは、大昔にヒトが獲得したデフォルトの機能であるとも言えるのではないでしょうか。
それでも『麻痺』は治したい
ここまでの考察が正しいのかどうかはわかりませんが、とにかく人間は生存のためには身体が動かなくなっても構わない、という道を選んだことは間違いなさそうです。
手足が動かなくても社会性を保てていれば、周りの人に助けてもらえる。
これを前提にして長い年月をかけて進化してきたのが、今のヒトの姿なのかもしれません。
しかし、私たち理学療法士やセラピストはクライアントと共に、『麻痺』の状態からの回復を目指しています。
もしもこの回復がマズローの言う『生理的欲求』や『安全の欲求』という低次のものでなく、『自己実現欲求』という高次のものだと考えるとどうでしょうか。
『麻痺』から回復することは生きるためには必ずしも必要ではないが、自分という個体の追い求める姿を実現するために必要なもの、と考えると、『麻痺』から回復したいという欲求の正体が見えてくるかもしれません。
そう考えると、『麻痺』から回復するために行うべきことは、二重過程説におけるシステム2でシステム1を制御していくということではないでしょうか。
つまり、生得的に持っている自動的に働くシステム1では『麻痺』を回復するという機能を有していないため、能動的で自発的な努力を要するシステム2を利用して『麻痺』の回復を目指さなければならないということです。
そしてシステム2は、自発的な情報収集や、外部からの補助による学習(教師が担う役割)が必要となります。
前述のように、ヒトが社会性を獲得するために、もしくは社会性を獲得した結果として『麻痺』の自然回復というプログラムを放棄したのだとしたら、社会性つまりヒト同士の関わりの中で『麻痺』の回復を目指すというのは自然なことなのかもしれません。
我々理学療法士はこのような役割を担っていることを自覚して、クライアントと向き合う必要があるのではないでしょうか。
まとめ
ヒトの『麻痺』は自然な回復が難しいこと、それがなぜなのかについて考えてきました。
おそらく、ヒトは社会というものを前提として進化してきています。
これは、個体としての生存よりも、種であったり、コミュニティの生存・発展という点を重視してきた結果だと考えられます。
そして、個体で完結する(麻痺を回復できる)システムではなく、社会の中で克服していけるようなシステムを作り上げたのではないでしょうか。
結論として、『麻痺』の回復を考える上で、次の二つの点に分けて考える必要があると考えます。
●生存のために最低限必要な『麻痺』の回復
●自己実現欲求を満たすために必要な『麻痺』の回復
端的に分けると、医療として行われるべきは前者、ヘルスケアのような領域で行われるべきは後者なのかもしれません。
この辺りは今後議論が進んでいくと思われますが、我々理学療法士が考慮すべきなのは、『麻痺』の回復にはヒトとヒトとの関わり、社会に存在している個としてのクライアント、といった視点ではないでしょうか。
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