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【芥川龍之介『羅生門』翻案SF】The Inner City

 ある日の暮方のことである。一人の〈Untermensch〉:下級労働者が寧楽駅で雨やみを待っていた。この寧楽駅は春日の山の麓に位置しており、地下に巨大な地下空間を形成している。むさくるしいフロウたちがたむろしていて、地下には人の臭いでいっぱいだった。久しぶりに生身の人間を見たこの男、以前は平城に赴き、曲りなりにも宮仕えをしていたのだ。といっても、下級貴族の付き人、だった。解雇されたのだ。
 
 平城に再び遷都してからもうすぐ千年が経とうとしている。平城京は古代の姿を取り戻したかのように、国際性と多様性を両立した理想的な都市となっていた。しかし光が強ければ影もまた濃いもので、外京<スラム>の寂れ方はひととおりではなかった。旧記によると、時間管理局や概念的電子伽藍のハッキング事件が頻発し、文化財の贋作や、檀家に登録された個人情報などが、スラムの拡張空間にて大量に転売され、衛士の手には負えない事態にまで悪化したこともあるそうだ。当時よりも格段にセキュリティー技術は上がったものの、それらに関する法整備は後手に回り、外京の治安は悪化する一方であった。そんな始末であるから、寧楽駅の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、いつしかフロウの溜まり場となり、とうとうしまいには、都で孤独死するような引取り手のない死人を、この外京へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。文字通り寧楽駅は〈terminal〉:終着駅と化したのである。
 
 寧楽駅には行基像というありがたいお坊さんの像が立っている。なんでもその昔、第一次平城京時代に貧しい民衆に仏の教えを説いて回り、寺院や堀の建設といった社会事業に貢献したそうだ。いまもそのお方は、貧しき民に、これで日銭を稼いできなさい、と言わんばかりに、自らのブロンズの体を削り削り、もうすぐ右半身が無くなろうとしている。究極の利他の形を目撃した男は、母方の故郷にいらっしゃるという西方の人の復活に思いを馳せ、ありがたい気持ちでいっぱいになった。
  行基像のすぐそばを南に曲がると、〈Downtown〉:繁華街がある。かつての。落ちぶれた繁華街に入ると、体のどこかしらに刺青を彫った客引きの男または女が大量に待ち受けていた。酒、女、薬、カフェイン、加工肉、全てが禁止されている代物だ。アルコールと性病が蔓延したこの外京で男は生きていかねばならない。男は客引きを一瞥し、そそくさとその通りを抜けていった。しかし実のところ、コーヒーハウスで違法カフェインを摂取して、新聞を読むことは男にとっての秘密めいた憧れでもあった。下級貴族の付き人とはいえ、宮仕えをしている手前、そのようなことは口が裂けても言えなかったのだ。
  まずは仕事を探さなければならないな。と考えていた男はサルサワ池のほとりに出た。なにやら騒がしく、人が大勢集まっている。
「見世物ちゃう。集まってくんな」と衛士が言う。
 すると男の後方からフラッシュが焚かれた。
「誰や、いま撮ったんは!?」
 別の衛士が叫んだ。
 男が後ろを振り返ると、小型のカメラデバイスを首から下げた、きったない服装の男が立っていた。そいつは男と目が合うと、愛想よく笑いかけ話しかけてきた。
「ドザエモンですよ。男と女の」
「アア、なるほど。これでこの人混みですか」
 すると、さっき声を張り上げていた衛士がこのきったない男に声を掛けた。
「アンタ、なんか撮ってたよな? 返してもらおか」
「エエ? どうしてですか?」
「ジャーナリストやろ。見たら分かる。撮ったやつ、返してもらおか」
「ア~、わっかりましたよ。ハイ」
 衛士が戻っていったあと、ジャーナリスト風の男がまた口を開いた。
「いやあ、参ったよ。都の衛士は鼻が良いからね」
「渡しても良かったんですか?収入源でしょ?」
 男が聞くと、ジャーナリストもどきは、また例の愛想笑いを受かべながら自分の右目を指さしてこう言った。
「アア、アレね。ダミーなんすよ。ホンモンはこっち」
「コンタクトレンズ型なんて持ってるんですか。凄いですね」
「まあ、今どき画像メディアなんて誰も観ませんからね」
こう言い残すと自称ジャーナリストの男はその場から去って行った。

 昔はよく水死体が上がったらしい。いつだったか忘れてしまったが、拡張書架で読んだような気がする。時間耐久度の高い文芸のドキュメントには、若い男女の結ばれぬ恋の先に、あの世で一緒になろうと言いながら心中する常套手段として描かれていたことを覚えている。しかし今の時代、来世と言えば、概念的電子伽藍が管理する仮想浄土を指す言葉なので、そのような情死とは程遠くなっており、男も正直なところピンときていない。それに先ほど見たあれは、昔見た挿絵のようにブヨブヨとした水死体ではなかった。男はそうでもなかったが、女の方は美しかった。これも全て人工皮膚の賜物であろう。ちなみに人工皮膚は、法律違反ではない。ここ百年くらいの〈Zeitgeist〉:時代精神によって醸成された健康志向が病気の根治、アンチエイジングに一役買ったのである。この治療法自体は確立されてしばらく経つのだが、料金が高く、庶民にはまだまだ手が出せないのが現状なのである。以上のことを鑑みると、あの二人はかなりの富裕層だったことが窺えるな。きっと昨今の不況の煽りを直に食らってしまったのだろう。

 気付けば、春日の参道まで入ってきていた。さっきまでの喧騒が嘘のように静まりかえり——イヤ、むしろ逆だ——参道に生い茂る樹々が激しく呼吸する。男にはその音がビリビリと触覚で感じられた。地面深くに根を張って、天に枝を突き上げるその樹々たちが男の中へ入ってくるような気さえした。まるで男の思考をジャックするかのように。自然とはかくも畏ろしいエネルギーを秘めている。この山の麓にある〈外京〉のみが、その加護を受けられているとさえ思えた。「自然へ帰れ」とうたいながらも文明の歩みを止めない平城京とは、全てが逆であった。駅の方から飛んでくる夜のコモレビが参道を不自然に照らしている。ビカビカと輝くネオンライトを両脇の石灯籠が不憫そうに眺めていた。
 梅林に出た。ここの梅は遺伝子改変によって一年中美しい花を咲かせる。と、さっきAR看板に出ていた。全く、誰が見るんだか。
 雨が降ってきた。辺りはもう暗い。男は雨やみの場所を探すために、ふと脇の方を見ると、明かりが見えた。東屋に誰かいる。少し坂を下ったことろに橋が架かっている池がある。その橋の丁度真ん中あたりの東屋に誰かいるのである。雨はたった今降り出した。こんなところで何をしているのだろうと不審に思った男は、音を立てずに少しずつ橋に近づいて行った。すると、檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆が見えた。その老婆は、どうやら腕に携帯型のなんかしらの端末を装着しているようで、そこからAR画面を出していた。男が見た明かりはこれのことだったのだ。だんだんと暗闇に目が慣れてきた男は、どうしても老婆が何をしているのかが気になってしまい、自分のグラスを「望遠」に切り替えた。

 老婆が見ていたのは若い女の死体、のように見える労働ロボットだった。腕がない。その断面からは複雑な機構をもった特殊合金でできた骨と、断線した回路が飛び出してまっている。明らかに無機の女だった。しかし顔の造形は非常にくっきりとしており、まだ生きていると言われても納得してしまう不思議なオーラをそこには孕んでいた。
 すると老婆が傍に置いてあった鞄を広げ、中から外科手術用のメスを取り出した。—まさか―男は恐怖に己の身体という身体を支配されたが、またほとんど同時にこの老婆に対する激しい怒りを覚えた。
 労働ロボットというのは〈Untermensch〉つまり男の階級よりもさらに下の階級である。それこそ発電所や工事現場といった危険の伴う仕事を押し付けられる立場であるのだ。それも人間の恰好で。現代の技術力からすれば、人型でなくとも十分な働きは見込めるし、コストもかからない。それにもかかわらず、高いコストを払って人型を製造し、労働力として酷使するのだ。それも感情をもつというおまけつき。

 この老婆はなにも分かっちゃいない! 望まない労働を強いられ、生活は困窮し、死してなお尊厳を傷つけられる!これならば感情など無い方が幾分かマシではないだろうか! 男は社会にはびこるあらゆる悪に対して、倫理という銃口を突き付けようと決心した。まずはこの猿婆からだ。

 男はγ線レーザー銃に手をかけながら、大股に老婆のもとへ歩みよった。老婆が驚いたのは言うまでもない。老婆は男を見ると一目散に駆けだした。まるで超電導磁気浮上式鉄道のようだ。
「まて、どこへ行く!」
 あまりにも慌てていたのだろう。じきにこの猿婆は足をもつれさせ、つまづいてしまった。立ち上がろうとしたところ、男が追い付き、得物の冷たい口を猿の額に向けた。
「何をしていたか言え。言わなければ、これだ」
 息を切らして、眼を大きく見開きながら、男を見ている。しかしその口からはまるで幼いころからスパイの訓練でも受けてきたかのように、絶対に漏らさないという意思が見て取れる。
「婆さん、俺は兵部省の役人じゃない。もともと下級貴族のボディーガードだったんだが、それも先日付けで辞めさせられた。だからアンタに引っ立ててやろうなんてことは思っていない。ただ、今しがたあの東屋で何をしていたかを聴きたいだけなのだ」
 すると老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっと男の顔を見守った。口調は優しく語りかけているが、男のその監視カメラのような突き刺すような眼差しに、観念したのか、老婆の口からカラスの鳴くような声が聞こえてきた。
「あのロボットの皮膚をだな、切り売りしようとしてたんじゃ」
「どこへ」
「都の方じゃ」
「あそこの市場は身分証明ができなければ、入れないだろう。嘘を言うな。撃つぞ」
「ウ、嘘じゃあありませんて! ホラ! 〈Identität〉:身分証明書!」
と言うと、老婆は腕のAR端末からそれを取り出して見せた。
「どうやって手に入れた」
「それは……」
 老婆の目が泳いだ。おそらく転売か、あるいは盗みをはたらいたのだろう。ここにいる者はみんな戸籍を持っていない。しかし男にとってそんな些細なことはどうでもいいことであった。男は撃鉄を引き上げた。
「転売! 転売じゃ!」
「転売?」
「そうじゃ! 人も物も最終的にはこの〈terminal〉に着く! 死体あさって、そこで拾った金目のモンを売っとるんじゃ! この辺の奴らはみんなそれで生活しとる!」
 男はさっきの行基像を思い出していた。俺はあの像を見て、ありがたい気持ちになってしまっていた。俺も根本では同じではないのか? あのブロンズの像がいつ自分から体を差し出した? 本来ならば、あの場で大僧正にたかる者たちを一掃せねばならなかった。そうだ、そうしよう。そして俺が、この女のロボットのような弱き者を助けるのだ。
「そうか。分かった。では都に戻るとしよう」
 言うが早いか、男は老婆が持っていたAR端末をひったくり、抵抗する老婆を思いきっり蹴っ飛ばした後、γ線レーザー銃を一発打ち込んだ。そしてまたたく間に春日の森へと消えていった。

「その後の男の足取りは掴めていません」
 衛士が言った。

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