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アファンタジアってなんでしょう?

関連記事↓(有料記事。アファンタジアに関しては無料部分でも触れています。)

先日の有料記事にてアファンタジアと創作活動の相関関係について触れていきました。そこではアファンタジアとはなにかについて深堀できませんでしたので、本記事ではその補足=ある意味での本題を書いていきます。どうかお付き合いくださいませ。



◎アファンタジアってなぁに?

1.アファンタジアとは?

ひとえにアファンタジアと言っても、その感覚は抱えている人ひとりひとりで違ってくる部分もあるかと思います。

共通しつつ一番大きな特徴として、”脳内の映像的イメージが希薄もしくは存在しない”というものが挙げられます。

例えば旅行先などできれいな景色と巡り合った際、通常の方であれば多少なりとも写真映像のように記憶が残るかと思いますが、アファンタジアにはそういった映像記憶の概念がありません。記憶が残るとしても、綺麗だった・感動したという言語的イメージと抽象的な感覚が残るのみです(少なくとも私はそうです)。

2.アファンタジアの苦手な分野

先にアファンタジアが苦手とする点から取り上げていくと、

言語的イメージの記憶とマニュアルに沿った動作に関しては長ける部分もありますが、映像的な物からの学習・運動神経的な意味での精密動作性に関しては苦手分野となります。

絵を描くことで例えると、風景などのデッサンを正確に行う分には可能ですが、風景どおりの陰影をつけることは困難です。そういった部分を克服するためには感覚的な理解ができるまでの反復練習を必要とします。それはなぜかといいますと、そもそも風景が立体的に処理されないので他の人と比べて遠近感が希薄になるからだ、と私は考えています。

個人差はあるかもしれませんが、そういった映像そのままでの記憶ができないこと・遠近感や立体をとらえる感覚に疎いということはハンデになりがちであり、スポーツなどに関してはその要素が顕著に表れると思います。少なくとも私はそれで、どれだけ努力しても運動音痴が抜けきらず、類似するような事象において困難となってしまうことが沢山ありました。

以上のような通常の感覚との齟齬に関しては、それがそのまま他の人との感性の違いとなり、場合によってはディスコミュニケーションに発展することもあると思います。自分から見えている世界の感覚を説明したくても、周りとは見え方自体が違うので、それを伝えることそのものが難しいのです。

周りが映像を思い浮かべながら話をしている中で、言語と抽象的なイメージの中だけで生きているアファンタジアの捉えた世界の感覚は筆舌に尽くしがたいものがありますからね。

3.アファンタジアの長けている分野

私でいえば、0から抽象的なイメージを生み出して描く抽象画は身にあっていますが、人物などを描くのに苦戦するのがアファンタジアから来ている要素かな、と思っています。

加えて、今現在こうして記事作成している時もそうなのですが、文章を書く&読むという行為に関しては、後々の推敲や構成は必要だとしても、言葉としてのイメージは感覚的にすらすらと出てきて、そのまま文章として出力されて行っています。それで文章が洗練されているのかは置いておくとしても、それ自体はひとつの長所だと思います。

芸術関連に関しても、映像の記憶は難しいとしても映像を書き写すために手を動かすことは得意である場合も存在し、それはモデルさえあれば正確に絵を描くことも可能ではあると言えます。

私の描いている抽象分野で描いている絵に関しては、映像的イメージのないまま感情的なイメージ・言語的なイメージの抽象的出力をする、というものを心がけていまして、抽象イラストに関しても大半はそうやって描いている自分を操縦している感覚で行っています。(※詳細は関連記事参照)

こうして並べたように、アファンタジア=すべてにおいてのハンディキャップというわけではなく、特定分野においてはアファンタジアではない人に勝る部分もあると考えています。ようは脳の使い方が違うだけで、その使い方が最適な場所や仕事は必ず存在しますからね。

4.アファンタジアから見える世界

あくまで私のケースを例としてですが、アファンタジアの感性で見る世界というのは、”映像情報のほぼすべてが文字情報として記憶される世界”です。

映像記憶が難しいだけで色などの視覚的概念は備わっていますので、入力は映像でされ、記憶に関しては言葉や文章として、それでも表現しきれない部分に関しては言葉でも映像でもない抽象的なイメージとして、頭の中に溜まり続けることになります。

前述のとおり、ほぼすべてを言語として記憶する分、文章を綴る・アドリブで喋るなどの行為に関しては、それこそおそらく普通の人が映像イメージする感覚に近しく行うことができます。

映像が記憶されない脳内世界、というものに関して寂しいものと思われるかもしれませんが、必ずしもそうではなく、なれ親しんだこの脳内の感覚に私自身愛着を感じることもあり、”アファンタジアをネガティブに捉えるのではなくポジティブな要素として活かす生き方”をしていきたいと強く願っています。

そのためにも、広い分野でのクリエイティビティを磨いてくための努力は継続して行っていきたいと思います。

このnote活動もその一環です(ので、♡やフォローは素直にうれしいです)。

〇最後に

他人とは違う性質や個性全般に言えることかもしれませんが、それそのものが全てにおいてのハンディキャップとなるわけではなく、個性を持つひとりひとりが活躍できる舞台は必ずあります。

自分と同じくアファンタジアの感覚を抱えている人たちもそうではないけれどコンプレックスを抱えている人たちに対しても、「世界の全てがそれを否定するものではないんだよ。」ということを、若干気恥ずかしくもありますが、こういった発信を通じて伝えていきたいと思います。

アファンタジアを含めて様々な”他の人とは違う感覚”を抱えている人たちが、本記事を読んで少しでも共感してくだされば、それが私の本懐であります。一緒に少しでも楽しく生きていきましょう。

最後に、

長くなりましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!

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