「真!!ゲッターロボ 地球最後の日(チェンゲ)」考察用メモ
【チェンゲ考察のための前提条件】
チェンゲの考察と解読のためには、まず「ゲッターロボ」の構成成分を理解する必要がある。
今川監督は原作クラッシャーとして有名だが、実は今川監督がその作品にいれた要素というのは「その作品に関係があるもの」で概ね統一されている。
少なくともGガンダムとマジンガーはそうであった。そして、ゲッターロボもそうであろう。
石川作品の基本傾向としても、作品内でオマージュされているものはその作品のベースとなったものや話筋などに関係するものであり、意味のある使い方をされている。
原作付のタイトルを冠しているにも関わらず関係ないもので全然違うことを言うのでは「オリジナルでやれ」という話にしかならないだろう。ならば少なくともそこにはなんらかの製作者の意図や思考の道筋が存在していると考えるのが妥当でもないだろうか。
〖「ゲッターロボ」の構成成分とその血脈〗
*ここに記載する内容はチェンゲに必要であろう部分に限った記載としている。バイオレンスジャック「逞馬竜」の元ネタ推測をはじめとしてゲッターロボを挟んでの石川先生と永井先生の作品の関係性など全体については下記記事に
まず最初に「デビルマン(1972年)」があった。
新しいロボットものを考案するに辺り、敵の設定をどうするか考えた時に「デーモン族」がベースとなって最終的に「爬虫人類」となった。
初期案が「古生人類」という、実質は人間と変わらない存在であったこと。
恐竜帝国の人類殲滅の理屈がデビルマンのデーモンと特に漫画版ではほぼ同じ台詞であること。
彼らの本質は「力があるからといって弱者の命や権利を奪ってしまった」ことにあること。
そして、デビルマンもまた「戦争」を描いた作品であったこと。
その後、決定稿ギリギリ(1974年初頭であろう)になって理由は不明だが竜馬と隼人の設定が入れ替わり、名前が変わった。(これに関しては以前記事をまとめている)
その際、流竜馬のリョウという愛称、また神隼人の名前で少なくとも意識しただろうウルフガイシリーズの「神(犬神)明」という名前、リョウ(了)と明という名前の組み合わせからこの二人に、漫画版デビルマンの飛鳥了要素が流竜馬に、不動明要素が神隼人に混入したのではないか。
これの状況証拠で一番大きいものは後述するゲッターロボにおける漫画版デビルマンでのオマージュ配役、ならびに「リョウは友を愛している」という読み筋が漫画版と東映版元シナリオの双方に存在する(=原案時点でそう設定されていた可能性が高い)ことがあげられる。
これらによって「ゲッターロボ」は素地に「デビルマン(特に漫画版)」を持つようになった。
そして石川先生は漫画版ゲッターロボでは「デビルマンの再構成」としてプロットまで落としたカードを組み替えるようにしてゲッターロボのプロットを描き、オマージュを描き込んでいった。
ただしゲッター世界は「最初から最後まで理性が存在する」前提であったためだろう、ある種逆転の再構成でもあった。
流竜馬→飛鳥了の核+不動明の性格╱思考と外見特徴
神隼人→不動明の核+飛鳥了の性格╱思考と外見特徴
例えば無印なら先の恐竜帝国とデーモンの理屈の一致、竜馬に了を隼人に明を被せてのオマージュ(校舎がサバトだったり、閻魔様の台詞であったり、竜馬の記憶喪失は飛鳥了がデーモンであることを思い出す逆転だったり)、終盤の「三つ巴」はアーマゲドン編であろうし、武蔵の自爆はデビルマンのラストシーン。
このデビルマンの再構成という筋は漫画版號になっても変わらなかったために、そのラストでは「世界は滅びず愛するものが残り、リョウは消える」というデビルマンの反対構造であった(石川先生のアンサーではないか)のではないかともなる。
更に名前で繋がってしまったこの「竜馬(リョウ)は友を愛している」設定が、やはり同じ名前ということでゲッターロボ開始後の「バイオレンスジャック」身堂竜馬(該当作品での登場は74年以降)にまで及んだ。
また竜馬(タツマ)にはほぼ同一人物の「三泥虎の助」という存在がガクエン退屈男(1970年)時点に存在し、これが竜馬と隼人の同一人物性に影響した疑いもある。
(これであるならば身堂竜馬→流竜馬「竜」↔神隼人「虎」←三泥虎の助を持つことともなり「ライガー」の名前などはここからではないかとも考えらえる)
今川監督は異聞を読む限り、流竜馬に身堂竜馬を被せて、隼人に三泥虎の助を割り振っているためこれら共通項には気付いていたと思われる。
流竜馬と神隼人は正反対の同一人物である。(初期設定の入れ替わり+デビルマン了と明の設定などの融合)
流竜馬は神隼人を愛している。
ゲッターロボで描かれたこれらの要素を、素地であるデビルマンとあわせて再構成した作品が「魔獣戦線(1975年~76年)」となる。
デーモンは十三使徒、新人類として再構成され、それと人間の間となる「魔獣」がデビルマンであっただろう。
また、竜馬は慎一(流竜馬→赤い竜→黙示録の獣)となり、隼人は性別を変えて真理阿(神隼人→神→聖母マリア)となった。
これの裏付けとしては慎一の宿す動物が鷹・ライオン・クマとゲットマシンの名前を想起させるもの、「三人」を強調される天涯のおじいちゃんの台詞などがある。
慎一の服装の顔に巻かれた布や指先までの包帯、「獣」という言葉から慎一のモデルは「記憶喪失時の流竜馬」であり、「記憶=理性╱愛を失った竜馬╱慎一が隼人╱真理阿と出会いそれを取り戻す話」という解釈もできよう。
そして、この「魔獣戦線」の続編を求められて石川先生が描いたのが「5000光年の虎」となる。
ここでは主人公の「虎」は「竜の息子」とある。お顔立ちとその一文からして、流竜馬の系譜であることをそうして示している。彼らの系譜は「命や権利を踏みにじられることに怒りをもって抗う」などの共通した特徴を持つ。
(先に隼人の記号が「虎」であった可能性を書いたが、竜馬と隼人は半ば同一人物であるため彼らの記号要素は混合や入れ換えで使用することも多かったことを踏まえればここに「虎」を使うことも不思議ではない)
「5000光年の虎」から始まり、後に「虚無戦記」と纏められる作品群は、結局描いていること(要素のいくつか)がゲッターロボと同じであることに気づいた読者はどれ程いるだろうか。
恐らく石川先生はゲッターロボの再構成として魔獣戦線を描き、更に再構成として「5000光年の虎」をそしてそれ以外のSF的な作品を描き、この三つの筋は「似通った内容を持つ」「別個で成立した」物語となった。
*ただし「別の話である」ことは後述の通り重要である
ゲッターロボを起点として始まった「漫画版デビルマンを素地に持つ三つのパラレルワールド」とでも言うべきこの世界達は、(私は未読なので断片的情報からの推測にすぎないが)後年の「真説・魔獣戦線」によって、「この三つの世界の先にあるものは同じ(時天空)」として、更に大きな枠組みで纏められることとなったのだろう。しかし、そもそも真説がチェンゲの影響によって描かれた作品であろうため今は考察はしない。
なので、虚無戦記とゲッターロボ世界は同じではないというゲッターロボ全書での石川先生の言葉はその通りだし、どれかの読解に際しても基本的に他のものは全く必要がないということになる。
と、ここまでが「前提」となる。
正直なところ確証は持てないのだが、「少なくとも今川監督はこれに近い解釈をしていただろう」という前提である。
【チェンゲ解読①:デビルマンから推察するゴウとケイについて】
先の前提であれば何故チェンゲに大きな要素として魔獣戦線が取り込まれたのかは納得がいくだろう。
配役はおそらくだが
慎一:竜馬、真理阿:隼人、源三:早乙女博士、慎一の母:ミチル、富三郎:武蔵と弁慶
そして號は「5000光年の虎」の虎であろう。
全身スーツのような服装、頭しかない培養ポットなど、外見の要素からそう読み取れる。
しかし、「家族を殺され四肢をバラバラにされた」要素は竜馬にいっている。
更に、竜の息子、竜馬の血筋であるのに、どうして彼には感情や自我が薄いのか。
流竜馬と神隼人は、設定が入れ替わった際に二人分の設定と、デビルマンの飛鳥了と不動明の要素まで併せ持ち、正直なところ過積載にも程があるキャラクター造形をしている。
更に今回は、その直系ともいえる魔獣戦線を主軸に置くことにした。
ここで、要素を分割して持たせようとしたのではないか。
その成立過程から魔獣戦線は竜馬と隼人から切り離すことはできない。しかし、デビルマンならどうだろうか。
竜馬に要素が付加された飛鳥了は
「実はデーモン族(厳密には更に異なる神の一族だが)で人類に擬態したがために恐怖や愛を知り、人間に近くなった」存在、不動明とは異なるもう一人のデビルマンであったという解釈ができる。
流竜馬は飛鳥了から「友を愛している」部分を継承し、元々はデーモン=力がすべての生き物だった部分は父親からの教えという形で取り込まれ、しかしそれ以外の精神性や外見は結果的には不動明により近いものとなった。
そして竜馬に継承されなかった飛鳥了の精神性、「いっそ非情なまでの合理的思考」は隼人に付加されることとなった。
ここでもチグハグに要素が持たされたのである。
ゴウに話を戻そう。
竜馬の血筋であることは明確に示唆されているにも関わらず彼には一見流竜馬の要素はない。
しかし、竜馬の血筋である以上、なんらかの彼の要素は所持していなければおかしい。
飛鳥了の本質のひとつ「実はデーモン族で人類に擬態したがために恐怖や愛を知り、人間に近くなった」存在という部分が分割委譲されてはいないだろうか。
ゴウは「人間ではない」。
これは1話の隼人の台詞から推察ができる。
ではなんなのか。
「インベーダー」ではないのか。
「インベーダー」は「ゲッター線に寄生する存在」である。
しかし、彼らはゲッター線だけに寄生する存在ではない。
樹木に擬態し、動物に寄生し、人間にまでも寄生する。
であるならば、彼らの本質というのは、「あらゆる他生物やエネルギーに寄生し取り込み╱融合してある種の進化を重ねる」種族ではないだろうか。
その本質、もしくは元ネタは恐竜帝国と同じくデビルマンのデーモンではないだろうか。
人間に擬態したインベーダー。
自我を、知性を、感情を獲得すれば「飛鳥了=もう一人のデビルマン」足りうる存在。
他者を思う心という理性を持つことができれば、真に「虎」(竜馬の息子、理性をベースに怒りをもって理不尽に抗う存在)となることができるかもしれない存在。
それがゴウではないだろうか。
……では、隼人に付加されていた不動明は何処へ行ってしまったのだろうか。デビルマンであるならば、飛鳥了がいるならば、不動明もまたいなければならないだろう。
ところで、原作を知るならば、「何故、翔ではなく渓なのか」「何故、早乙女元気を性別も異なる別人である渓と同一人物という設定にしたのか」と思う人は多かったのではなかろうか。
私もずっと引っ掛かっていた。
どうして、翔ではなかったのか。
漫画版ゲッターロボ作中には「お前となら一緒に死んでもいいと思った」という、漫画版號が「いちゃついてんじゃねえ!」と叫ぶような実質公式カップルが3組ある。
竜馬と隼人。翔とシュワルツ。そして爆弾解体のシーンをそう捉えるならば、號と渓。
これがあるがために、號の対存在を設定しようとした時に、渓でなければならなかったのではないか。
では、チェンゲのケイとは「誰」か。
飛鳥了の外見に不動明の要素を重ね持ったのが隼人だった。
サタンの身体特徴に、不動明の中核を持った人物という可能性はないだろうか。
これの可能性を説明するには、「早乙女家のインベーダー」とも呼べるものの存在を明かす必要がある。
チェンゲ本編において、早乙女博士はインベーダーに寄生されていることがわかる。
また、その娘であるミチルもまたインベーダーに寄生されており、そのために起きた事故がすべての始まりであったことも明かされている。
今川監督が脚本を書いたチェンゲ異聞の中で読み取れることとして
・インベーダーに寄生された人間はその自覚を持たない
・インベーダーに寄生されているかどうかを判別する手段が確立されていない
・早乙女ミチルは寄生された自覚がなかった
・早乙女博士はミチルが寄生されたことに気付いており、娘を生かすためにゲッター計画を実行しようとした
これらと本編3話まででわかることを組み合わせてみると
早乙女博士がゲッター線とインベーダーの存在を把握する
月世界戦争が起きる
どこかのタイミングでミチルにインベーダーが寄生する
ミチルの事故が起きる
インベーダーに寄生されていたミチルが死亡する
インベーダーに寄生されていた早乙女博士が死亡し、竜馬が収監される(本編開始3年前)
早乙女博士が蘇る(本編開始)
1話の竜馬の「どのみちあんたは死ななきゃならねえんだ」「だったら今度こそ俺の手で」という台詞から、3年前にはすでに博士はインベーダーに寄生されていたこと、その時に殺したのは竜馬ではないことがわかる。(3話の台詞からおそらく竜馬は隼人が犯人と考えていただろう)
また、竜馬はミチルを介して隼人がインベーダーに寄生されているのではないかという疑いを持っていた可能性も浮上するし、彼が激怒していた理由はそこにある可能性も存在するが今は置いておこう。
さて、この流れの中には一見二体のインベーダーが存在していたこととなる。
しかし、本当にそうだろうか。
ミチルに寄生したインベーダーが早乙女博士に移動したという可能性はないだろうか。
そして、竜馬は隼人も寄生されていると疑ったのではないかと先に書いたが、そうであるならばもっと可能性の高い人物がいる。
早乙女家の次男であったはずの「早乙女元気」。
ミチルはインベーダーに寄生されたことに気付かずに日々を過ごした。
異聞の内容も含めるならば、事故の際にそれを知った早乙女博士は、ゲッター線なしには生きることができない彼女を生かすために月に集められていたゲッター線を地球に向け、元の状態に戻すことで彼女を生かそうとした。
事故後、やはり自分の中のインベーダーに気付かずに過ごしていた彼女は何らかの理由から死亡し、この時に竜馬と隼人が関わった事から「お前達がミチルを殺した」という本編での早乙女博士の発言となった。
無自覚か意図的かは不明だが、早乙女博士にもまたミチルを経由してかインベーダーが寄生していた。
そして、早乙女博士死亡時当時三歳であった「早乙女元気」にもひっそりと寄生していた可能性はないだろうか。
もしくは、これらすべての始まりとなったインベーダーの根元(インベーダーには三体の知性を持つ親インベーダーが存在した。そのうちの一体)が誕生直後の早乙女元気に存在し、元気を中心として伝搬したか。
(最初の親インベーダーが寄生したのは「早乙女博士の妻」であり、出産時かその直後に母が亡くなり「移動せざるを得なくなった」結果の元気という可能性も存在するだろう)
インベーダーはどのようにして個体を増やすのかがわからない(これはデーモンも同様ではあるが)。
分裂するのか、子株を残すのか、それともそのようなことは一切しないのか。
それが不明であるために、推測としては信憑性は低いものとはなってしまうが。
またこの先の推測も、妄想といって差し支えない程に信憑性は著しく低いものであることは先に記しておこう。
どのタイミングかは不明だが元気に辿り着いたインベーダーは、自我が未発達である新生児~幼児に寄生したことで、寄生先の能力を利用するという性質のために複雑な論理的思考などができなくなった。
自我形成後の成人であるならば脳の発達も既に完成している。そのために人間としての意識や理性とインベーダーとしての意識や本能が衝突、人格変異を起こすのであろうが、未発達であった場合にはどうなるのか。
自閉症的な症状、というのは本当にそうだったのだろうか? 自分の中のインベーダーの本能などを圧し殺していた可能性は?
元々人間、男性として誕生した早乙女元気に寄生したインベーダーは、確固たる自我を失い元気の中に溶けたのではないか。
そして元気自身に自覚はなくとも、明がデビルマンになった時のように死を目前にした窮地に陥るか、意識に変革が起きたことで、インベーダーの特性、擬態能力が発揮され、女性の身体的特徴を持つに至った。ケイとなった、という可能性は?
(元気の髪の毛は少なくともミチル死亡時は「短い」。この時点では「男性」であった示唆の可能性はないだろうか)
それは人間から悪魔に近くなった(不動明の核)、男女両方の性を持つ(飛鳥了の外見)存在でもなかろうか。
元は人間であり、しかし自分が同時にインベーダーでもあるという意識も自覚もなく目立った特性発現もしないままに育てられた存在は果たして人間であろうか、それともインベーダーであろうか、それともデビルマンに成りうるだろうか。
(東映版のゲッターQ、ミユキの境遇にも近くならないかというご意見をいただいたが確かにそうだなと思う)
ここでゴウに話を戻そう。
彼の構成成分、細胞かDNAには「早乙女博士と早乙女ミチル」のものが使われている。
ゴウはおそらくインベーダーである。
……使った細胞は博士とミチルの「ヒト種」のものだけだっただろうか。そこには二人に共通した「インベーダー」のものも含まれてはいなかっただろうか。
ならばそれは先の妄想から言えば「早乙女元気(に寄生する既に元気であるインベーダー)=ケイ」とほぼ同一のものではないだろうか。
ならば、ゴウは早乙女博士の息子である。
早乙女博士は子供たちを愛していた、というならば、ミチル、元気=ケイ、そして元気=ケイとほぼ同一存在であるゴウも彼の愛し子とはならないか。
そこに血の繋がりはなくとも彼がゲッターチームを子供たちと思っていたように。
そしてなぜ、他の二体は竜馬と隼人であったのにその一体は、ゴウは、武蔵でも弁慶でもなく、早乙女博士とミチル由来でなければならなかったのかの説明にもならないだろうか。
早乙女博士とミチルという二人の人間に寄生したインベーダーは、人間の身体の記憶を宿し、そのために人間の姿をとることが出来た。彼らと、人類ともう一度コミュニケーションを取るためにその姿を取ったという可能性もあるかもしれない。
一方、流竜馬と神隼人はインベーダーに寄生されていた訳ではなかった。純粋な彼らの人間としての遺伝子や細胞と、純粋なインベーダーとしての記憶や知識しか持たないインベーダーの遺伝子や細胞とでは和合せず、インベーダーのほうが人間を食ってしまう形でブライとゴールの外見を持つ怪物に変化してしまったのではなかろうか。
(なぜブライとゴールだったのかといえば、インベーダー=デーモン=恐竜帝国+百鬼帝国と今川監督は解釈していたため、それを示すためのものだったのではないだろうか)
逆に二人ともが実は既にインベーダーに寄生されていた、という解釈も、この考察の元となる「元々彼らはデビルマンであった」という部分や、異聞での「竜馬と隼人を月に送ったのは博士の親心である」という描写から可能であろう。その場合、何故早乙女研究所関係者のみがインベーダーに寄生されていても理性を保てていたのかという新たな謎が浮上する。
また、このゴウと他の二体を分けた要素の大きなものとして
「愛」があったのではないだろうか、とも思う。
石川作品における「真の愛」とは恋愛や性愛とは一線を画する他人本意の愛で、「他者を思う心」の極致、「理性」の結実である。
(「ゲッターロボ」は「最後まで理性ある世界」の物語であり、「理性」とは他人を思う心である)
ダイナミック作品ではヒト種であろうとも人間であるためには「理性」を必要とする。
「理性」、「愛」を注がれたからこそ、ゴウは「人間」としての姿を持つに足り得たのではないか、と。
これらの妄想であるならば
ゴウ≒ケイであり、ゴウ↔ケイでもあるという、竜馬と隼人の関係性に似たものが構築できるのではないだろうか。
(漫画版では髪の色はパーソナルカラーであり明確に色分けられていたものが、何故かゴウとケイで同じであったことも意図的な同一人物示唆であったなら納得する)
またそれはデビルマンの再構成でもあり、それはゲッターロボでもあったとはならないだろうか。
【チェンゲ解読②:竜馬の怒りについて】
なぜチェンゲ竜馬は激怒していたのか、その理由である。
チェンゲ竜馬は間違いなく怒っている。
しかしその怒りの対象が「早乙女博士と隼人」に、とは本当にそうだろうか?
実は竜馬、「ひどい目に遭った」事には一番最初の一回しか言及していない。
隼人への怒りも「理由があった」と聞いた途端に向けなくなる。
どうもこの流竜馬という男、自分が監獄でひどい目に遭った事は傷にすらなっていないおまけ程度でしかなく、隼人は裏切ってなどいなかった「ならいいか!」であった可能性がかなりある。
そうでもなければ言及しないというのは不自然である。
これはミチルとその死についても同様で、スパロボありがちミチルが好きだった設定ならあり得ないほど言及もなければ未練もない。
ならば竜馬が怒っているのはミチルが死んだことでも無ければ、監獄に突っ込まれたことでもなく、隼人の裏切りは勘違いで……さて、何に怒っていたのだろうか?
「俺たちをバラバラにしやがって」
隼人の裏切りはなかったと知って早乙女博士に向けられる言葉であり、これが最終的に流竜馬が早乙女博士に向けた怒りである。
ゲッターロボとは「三つの心」を核とする物語である。
またゲッターロボそれ自体はパイロットを表してもいた。
三つの心を内包することではじめてひとりの人間として確立するロボットでもあった。
彼らは三人でひとつであり、ひとつで三人であった。
これをバラバラにされる、ということはこの文脈で言えば四肢をもがれるに等しい。
それは「5000光年の虎」の主人公でもあろう。
(「三つの心」にはここに書いた文脈以外の意味もあっただろうがそちらは以下の記事にまとめている)
さて、ではもうひとつ。
流竜馬はバチくそにぶちギレていて「インベーダー絶対殺すマン」状態であったのだが果たしてこれはどういうことか。
どうして隼人に怒りを向けていたのに、すぐにその怒りを引っ込めたのか。
そのコンセプトから東映版も漫画版も「個性」を重要視していたのが「ゲッターロボ」という作品であるが、ひいては漫画版においては「個」の存在が重要視されている。
そして石川先生はその個の本質を外見ではなく理性、人間性、人格、魂に置いた。上記のような台詞にわかりやすい。これは石川作品全体にも言える共通項でもあるのだが。
それゆえ「騙る」存在に対しての怒りは激しい。
唯一の個人を外見だけを装って騙り、その個人の尊厳を蹂躙する。それは間違いなく「他者を尊重しない」「悪」の諸行である。
(正直川越監督やスパロボにこれはとても言いたい。三つの心という最低限の核すら拾えないとはどういうことかくらい気付け)
竜馬の系譜はこの「どこまでがその人物か」という部分に厳しく、例え親友だろうと親だろうと、理性を失い私欲にまみれ、もしくは本能しかなくなってしまった存在には「潔く死にませい」と自ら引導を渡そうとする。魔界転生とか十兵衛死すとか。
ここまでわかれば、どうしてあそこまで怒っていたのかは理解できるのではないだろうか。
インベーダーは人間に寄生してその個人を「騙る」。
ましてそれが自分の家族である早乙女博士や、愛した隼人だと思ったものだから流竜馬は許せなかった。
なにせ隼人が外見だけで中身が違うものにされそうになったとき(Gアトランティスだがインベーダーの寄生と状況は同じである)に「死んでくれ」と言い放った男である。
そんな偽物、大切な人たちを愚弄する紛い物、自分がこの世から消し去ってやるくらいの勢いでぶちギレた。
というのが、あの「インベーダー絶対殺すマン」状態の理由だったのではなかろうか。
また竜馬が収監前の最後に隼人を見たのは回想での「早乙女博士殺害シーン」となるであろう。
あのシーンは漫画版における「竜馬記憶喪失時の早乙女博士襲撃の逆転」ではなかっただろうか。
そうであるなら、あの隼人は「一種の成り済まし」であった、少なくとも流竜馬はそう判断したということも考えられよう。「あんなのがリョウのはずがねえ」のだから。
隼人の中身、魂を奪われたと勘違いして激怒したのではなかろうか。
だから、隼人が正気で中身が変わっていないとわかった瞬間(隼人「すまないと思っている」の台詞辺り)に戸惑いのような表情を見せ、確信(おそらく同動作で銃を撃った辺り)を得てすっぱり隼人への怒りが消えた、と。
おそらくあの男、以降隼人の事はまったく怒っても恨んでも憎んでもいなかっただろう(そもそも怒りは隼人を騙るインベーダーに向けてのものだったのだから)と思うと、律儀で真面目なので引きずっただろう隼人の方が可哀想でもある。
【チェンゲ解読③:3話のミサイルとそこで起きたことについて】
3話の最後、ミサイル阻止の場面の話である。
あの時、実は竜馬は一度死んではいないだろうかという話。
まずあのミサイル自体について。
デビルマン中盤、デーモンの謀略により世界は混乱に陥る。
そして「核ミサイル」が発射され、これが「神の力」によって「消失」。
そこから連続するように悪魔狩りが始まり、人類はここで決定的に理性を失い自滅の道を駆けていく。
アーマゲドン編と呼ばれるこの展開の場面転換のポイント、切り替えを「核ミサイル」と石川先生は解釈したのではないか。
漫画版號のラスト、「ミサイル」を「真ゲッター」が取り込んで「消す」。
「白い闇」という言葉もデビルマンでは「神の力」、ゲッターロボでは「ゲッター線」に関わる描写で共通する。
ゲッターロボは反転デビルマン「人類に理性があった世界」の話であったため、ここで食い止めて人類の理性は失われずに終了とした可能性が高い。そして逆転の結果(愛した明も世界も滅びリョウただ一人だけが残る↔愛した隼人と世界を守りリョウが消える)を持って物語は終息した。
(サーガとまとめられた話は厳密には無印G→真→號であり、アークはナンバリングされていない。ここで「ゲッターロボ」は確かに完結していると思われる)
今川監督はこれに気付き、おそらくチェンゲ自体をその「ミサイルは消えたが理性の喪失を阻止できなかった世界」=「アーマゲドン編」として構成するつもりだったのではないか。
チェンゲ3話のあのシーンは、號ラストの反転オマージュであり、アーマゲドン編開始の合図だったのではないか。
またここで場面が切り替わったとしてカードとして残されている最初に戻り、爬虫人類と入れ替えての「人類が地下に逃げ延びる」展開であったのかもしれない。
百鬼帝国+恐竜帝国=デーモン=人類(デビルマンは結局デーモンと人間に違いは無く同族食いであったと解釈できる内容である)とするならば爬虫人類と人類の立場を交換することは不思議ではないだろう。
またここにデーモン=インベーダーもあわせれば、チェンゲに存在する生命というものは全て本質的には変わりのないものと読むことができる。
隼人が生き残った人類を率いるというのも、理性が失われた世界で理性あるものを見つけ出し率いる=デビルマンにおける明とデビルマン軍団だったのではなかろうか。
その後何が起きたのかについては多くは推測はできない。
ただ、ミサイル以降はアーマゲドン編であり、あえてゲッターロボではやらなかった「理性を失った人類」を入れ込もうとしていたのなら「悪魔狩り」=インベーダーに寄生されたことを疑いあい殺しあう人類という展開はあったのかもしれない、などと考えている。
「ゲッターロボサーガ」は基本的には「漫画版デビルマン」を素地としているために「三つ巴」はその構成上ほぼ必須となる。(無印Gでは恐竜と百鬼と人類、號では號とシュワルツとランドウ、ダイナミック公式監修の飛焔やダイノでは敵側が内部分裂を起こして厳密には三勢力での争いとなっている)
アーマゲドン編を行うなら尚更その構図は重要だろう。
人類VSインベーダー(デーモン)VSその狭間の存在(デビルマン)
と今川監督は構想してはいなかっただろうか。
また、この核ミサイルの顛末には東映版無印31話にある「基本無害なはずのゲッター線は放射能(ウラン)で人類に有害に変質する」が含まれていたのではないかと思うが、ならばその反対となる東映無印42話の「有害な放射能ガスを放つ隕石にゲッタービームを浴びせると無害な酸素になる」も入れ込もうとしたかもしれないとは少し思う。
ミサイルの説明をしたところで、本題に入ろう。
ミサイルには真ゲッター2の状態で突っ込んだ。もちろん隼人が先頭であり、ついでゴウ、竜馬のはずである。
しかし、なぜか生き残ったのは隼人だけであったらしい。
真っ先に死んでいるはずの隼人がどうして生きているのか。
あれが漫画版號ラストの反転オマージュであるなら尚更である。
ミサイルは阻止しきれず隼人一人だけが死んだ。
(ミサイルは消失したが、隼人一人だけが死に、世界は破滅に向かったでもいいが)
そうであった方が説明がつく。
チェンゲで主軸に被せられたのは魔獣戦線である。
慎一:竜馬、真理阿:隼人、源三:早乙女博士、慎一の母:ミチル、富三郎:武蔵と弁慶
(十三使徒、新人類=デーモン=インベーダーであったから、コーウェンとスティンガーは魔獣戦線の登場人物の姿でもあっただろう)
そのラスト、世界滅亡のスイッチである真理阿が死に、それを食い止めるために慎一は愛した真理阿を、半ば同一人物であった彼女を自分の中に取り込む。
もしくは始まりでもいい。母親が愛する慎一に自らの身体、細胞を与えたあの始まり。
実はこれと似たようなことがあの中で起きてはいなかっただろうか。
本当はあの爆発の中で隼人が死に、竜馬が生きていた。
けれども竜馬は隼人を愛していたがためにその結末を許せなかった。認められなかった。なにがなんでも覆したかった。
(漫画版でも隼人を愛していたから守るために一人置き去りにしてゲッターに乗ったと読み取れるのが竜馬である)
インベーダーでありゲッター線と関わりの深いゴウがそこに関わり、竜馬の身体を隼人に譲って隼人が生き延びた、そして竜馬は一度死に何らかの手段でもって13年後に月で復活した、というのはなかっただろうか。
正直これは魔獣戦線の筋と彼らの「入れ替わって成立している」という設定、13年後の隼人の顔に傷があることくらいしか裏付けもないが。
隼人の顔の傷というのは「元々は竜馬のものである」。
漫画版無印で竜馬が記憶喪失になった時に顔に傷がつく→號になって隼人だけ出るとなった時に隼人に竜馬の要素として付加される→竜馬の再登場で顔の傷が隼人のものに似る
このような経緯を辿って隼人についた傷であろうが、石川作品を何作か読めばわかるだろうが、顔の傷それ自体は竜馬とその血筋のシンボルであることは変わらなかった。
今川監督は観察眼のある方なのでこれに気づかないはずはなかろう。ならば隼人の顔に傷がつく、というのはそこに竜馬との入れ替わりを示唆しているのではないかという。
(また、チェンゲをベースのひとつとして石川先生は「真説・魔獣戦線」を描かれたと思われるが、こちらの導入で、何故か「慎一が行方不明となりマリアが生きている」というのも、石川先生は今川監督と直接お話をされたことがインタビューに残っていることなど考えても周辺証拠のひとつとして考えられるかもしれない)
余談:チェンゲ竜馬のキャラデザインについて
チェンゲ竜馬の「赤いマフラー」も本来は隼人のものである。
魔獣戦線の慎一さんの顔に巻いた布は89年のOVAでも白く、赤が最初に出てくるかというと疑問である。
チェンゲ製作時にゲッターロボ派生作品は存在しておらず、漫画版も東映版準拠の彩色であったことを考えれば、
また「隼人、2号、赤いマフラー、横のライン」を一揃いとして神隼人の戦闘服自体が「仮面ライダー」(71~73年)をモチーフとしていたとするならば尚更に
竜馬に赤いマフラーを渡すというのは不自然で「隼人の要素」であっただろう。
(特に漫画版仮面ライダーはデビルマン同様、一部プロットの一致などが無印作中から存在するため、主要な再構成元のひとつであると考えられる。先述の「顔の傷」並びに二人の身体に残る傷痕も「仮面ライダーの改造痕」がモチーフであろう)
これらを踏まえれば、慎一さんとの差別化やわかりやすさを取っての配色であっても意識はしていたのではないかというか。
竜馬には隼人がインベーダーに乗っ取られ殺されたと思っての形見のつもりであった疑いなどもあるが。
おそらくは竜馬のコートと隼人のコートも東映版戦闘服デザインに分かりやすい対、お揃いの要素だろう。色とダメージが違うが長さや形は似かよっている。
(魔獣戦線での慎一登場シーンの服装であるが、デビルマンでトレンチコートは飛鳥了の服装であった。同時にゲッターロボで「コートを着た竜馬」となると漫画版號ラストの姿でもある。そしてあのコートは作中では白抜きだが、単行本表紙のカラーでは黒かった=隼人の色。漫画版からあのコート自体が竜馬の出自と隼人との関係性を示すアイテムではなかっただろうか)
*こうなると竜馬のキャラデザインの中でひとつだけ「魔獣戦線」や「隼人の記号」では説明のつかないアイテムが出てくる。
手枷
これは「風魔孤太郎」原作:牛次郎 1972年 週間少年サンデー連載 が元ネタであったかもしれない。
これであるならば
・刑務所に入れたのは竜馬を思ってのものであり、入れた人間は心を痛めている
・手首の鎖は復讐が終わっていない印
などの可能性が出てくる。
また、ここまでにおける「今川監督はゲッターロボを分解、再構成を試みていた」という前提だと
・風魔孤太郎がゲッターロボかその直系である魔獣戦線辺りと関係がある
と考えての要素取り込みである可能性も出てくる。
もしくは、
・似たような共通項を持つ同じ作者の作品
であるか。確かに、「復讐を主軸とする」「主人公の双子存在がいる」など特に魔獣戦線に似た要素を持っている。
少なくとも今川監督のあの精緻な構築ならば無意味な使い方はしていないのではなかろうか。
【まとめきれていないメモ徒然と所感】
・そもそもデビルマンをイメージソースとしていたために真ゲッターはコウモリ羽根のウイングなどの要素を持った
・異聞で「ミチルの巨大像を右手に抱えるゲッター1(竜馬)」のシーンがあるので、ミチル=慎一母の可能性が高い
・隼人はユダでもないかと思っていたが、ユダ=敷島博士可能性も存在する。1話エンディングキャストクレジットの並びが以下。
竜馬・謎の男(隼人) 武蔵・弁慶 早乙女・敷島 コーウェン・スティンガー 號・元気 ナレーション 他一覧
二人ずつの表示だがこれは≒か対存在の組み合わせではなかろうか。早乙女博士の対(もしくは≒存在)が敷島博士なら、ユダは敷島博士では?
・ユダを敷島博士とした場合には彼が源三╱早乙女博士から離反するきっかけとなる「息子たち」はなんだったのか。本来敷島博士は竜馬と、早乙女博士は隼人との組み合わせが多かったのにあの組み合わせであるのは魔獣戦線を組み込むために入れ換えたんだろうとは思うが。
・なぜ名前がバルビアとシャフトではなくコーウェンとスティンガーなのか。石川作品と言うより、ダイナミック漫画作品において名前は外見よりもより本質に近いニュアンスがある。外見だけで中身は違ったのだろうか
・隼人冒頭の台詞は「フランケンシュタイン」の話であろうが「愛しい死者」とは誰か。ミチルか早乙女博士の妻? しかし、そもそもが「個の唯一性」(生命の唯一性でもあり、死の不可逆性にも通じる)を描いていた作品で「死者の蘇生」というのも違和感はある。
……もしかしてあの台詞が指していたのは永井版「キューティーハニー」の冒頭ではなかっただろうか?
調べる限り、石川ハニーには「娘」をモデルとしたという設定が存在する。「愛情をもって作られた人工生命」「姿を変える存在」そして「制作者の子供」。こちらの方がしっくり来るような気はする。
・隼人が煙草を吸っている描写について。
本編にも元ネタとなるデビルマンや仮面ライダー、ついでにガッチャマンにも基本的には存在しない=基本的には吸うイメージがありそうな人物ではない。
唯一例外というよりも、追いつめられている心理描写も含めて、飛鳥了が吸っている描写が存在する。
あのシーンでのガラスで手のひらを傷つける描写(こういったものも本編には存在しない)といい、自傷行為じみた意図が含まれてはいなかったろうか。単に絵面かっこいい汚し描写っていうのもあるだろうとは思う。
両方深い自責の念の発露、と読めるだろうが違和感のある描写である。
・武蔵や弁慶の軍服は魔獣戦線OVA(89年)での富三郎の服装からでは?
・武蔵と弁慶の登場シーンはデビルマン→ゲッター大雪山冒頭のトラック運転手のシーン
・国連軍での会話から、日本がハブられていること、早乙女博士が死ぬことで利益のあった人間が所属していることがわかる→早乙女博士殺害は国連側(コーウェンとスティンガー)の陰謀可能性は残る
・ミチルの事故時に「隼人は無事だったのか」?
最初にライガーの顔が内部圧力かで破壊されるシーンから来てるのちょっと気になる……。
「ポセイドン(ミチル機)に異常があるにも関わらず無理にライガーにチェンジしようとした」のが事故理由と早乙女博士から語られている。
・早乙女博士死亡時に隼人がわざわざナイフで竜馬を襲ったのは血液得るためだったらしいと隼人の台詞からわかる
・竜馬はコーウェンスティンガーがヤバい存在なのを多分知ってる。そう考えた方がミサイルの時の反応に辻褄が合うと思う
・隼人が口車にのせられたのも早乙女博士というか正確にはこの二人ではないか。ミチルの事故時にもいる。
・武蔵と早乙女博士がインベーダーに飲まれるシーン、インベーダーが「トカゲ」の姿をしている=達人示唆。更に元ネタのデビルマンでは「人間の中身を食って操作する」蜘蛛→敵に操られて復活するのは不思議ではない(漫画版號が達人=信一でこの流れを辿っている)
・「早乙女達人」と「橘一族」は何処へ行ってしまったのか
・ゴウが「子インベーダーに命令できる親インベーダー(ミチル+早乙女博士寄生)存在」であるなら、いきなりインベーダーが引いた辻褄が合う
・同時にあの時の早乙女博士に寄生していたのは「親インベーダーではない」かもしれない。親インベーダーが命令できるのは自分の子インベーダーだけという可能性もあるが
・チェンゲにおける真ドラゴン(ウザーラ付のあれ)について
大量生産されたゲッターGが合体する部分は魔王鬼では?
魔王鬼は竜二が「もう一人の竜╱リョウ」であったように、もうひとつのゲッターロボの側面を感じる機体でもある。(おそらく東映版の鉄甲鬼や暴竜鬼はこれの翻案)
「他人を部品とする」「ひとつの支配人格がこれを統治する」という「他人を同格の存在として併存する(ために、姿から異なる三形態が目まぐるしく切り替わる)」ゲッターロボとは真逆のコンセプトとなる機体である。
ウザーラの元ネタは、ドラゴンの仁王立ちからもデビルマン最終決戦でサタンが仁王立ちしているヤマタノオロチであろう。
そもそもゲッターロボという機体はそれそのものがパイロットたちでもあり、設定としても搭乗者にあわせてチューニングするワンオフ機体であって大量生産には向かず、「無人機」「大量生産」というのはどうも魂の無い人形のような、それを部品や道具として扱っている感がありなんとも違和感がある。
・ブラックゲッターについて
一人乗り、目の周りの赤い縁、鼻までかかるようなマスクめいた造形。
今更だけど漫画版マジンガーでは……?
漫画版マジンガーのデザインは魔王ダンテをモチーフにしているだろう。その魔王ダンテはデビルマン連載のきっかけとなった作品。
「黒いゲッターロボ」については、東映版G16話鉄甲鬼の元シナリオに「黒い偽ゲッターロボ」があるが、そもそもゲッターロボのデザインには石川先生が好きだったらしい(確かアニアクブックレットとかでスタッフから言及があったし、初代1くんの丸っこいシルエットにも影響が見て取れる)「鉄人28号」の影響があろうことを考えると根本的に「ブラックオックス」の頭部イメージもあったのではないかという疑惑もある。
どちらにせよ先祖帰りに近いイメージをどことなく受ける。
・今川監督は「ゲッター線」をどう捉えて描こうとしていたのか
漫画版でのゲッター線は「放射能をモチーフとした(最終的には)神の力」であり、「人が軽々しく扱ってはいけない力」なんならば「地上にあってはいけない力」なので、號ラストも翻案のフリーダーバグも地上から消えているのだろう。(「ゲッターとは」という台詞もこの文脈を持ってのイデオン「イデとは」からの可能性がある)
いつか人類が真に理性ある存在として共存し火星に辿り着けたときに、と。
チェンゲでは「時間」に関係しそうな描写がある(古生代に巻き戻ったような)が、これは漫画版には存在しない。
(あのシーンのイメージ自体なら小学四年生版に存在しているが、ゲッター線とは関係がなく敵のメカザウルスによってシダ系植物が異常成長するものである)
「進化」のはずなのに「退化」している。何故?
また、もうひとつ気になることとして東映版で「緑色」の光線は「ゲッター線ではなかった」ことがある。百鬼(敵)側のものが緑色だった。元来のゲッター線は「白」(神)か「赤」(魔)であっただろう。
もしも意図的に取り込んでいたなら緑色のゲッター線は「正規のものではない」もしくは「悪側の力である」仮定もできるであろうが、Gロボのシズマドライブも緑色だったことを考えると単に今川監督の好みなども否定できない。
もうひとつの可能性としては、そもそも竜馬のパイロットスーツの色は東映版デビルマンの肌色から来ていると考えて、「緑色」を「神と魔の間の存在」「人間、その理性の色」と考えての使用、とか。
「神の力」のオマージュと考えての構成であったろうとは思うが、それ以上はどれも可能性止まりなのが現状であると思う。
・プラズマエネルギーとゲッターロボ號は?
漫画版では橘博士と隼人により開発されたプラズマエネルギーを動力源とするゲッターロボ號が存在する。
*ただし、隼人にその側面が明確に付加されたのはゲッターロボの企画段階から携わったダイナミックプロの菊地忠昭さん=
団龍彦先生の小説「スーパーロボット大戦」98年以降の話であり、石川先生のゲッターロボサーガ作中でも明確になるのはその後である。
無印時点から白衣を着ていたり、そもそもの隼人の人物造形の根には本郷猛(外見2号╱中身1号)があったために科学者的側面は意識はされていたとは思うが、チェンゲ製作中には開発者であることは曖昧であったかもしれない
ゲッター線が「神の力」であるなら、このプラズマエネルギーは人類が産み出し人類が制御可能な力、「人間の力」のメタファーとも解釈できるだろう。
理性あるままに終わったサーガ世界でその先も滅ばず進むなら「ゲッターロボ號」の進化系、ゲッター線のみに頼らない機体こそが共存を知りながら進化し、そもそもゲッターエンペラーが存在しない未来となるのではないかとも思う。
(石川先生の没後作品ではあるがダイナミックプロ公式監修の飛焔がゲッター炉とプラズマ炉の両積み機体であり、飛焔は「エンペラーと糸が繋がっていない」と読み取れることなども私にはこれと関係があるように思える)
橘一族がまるごと消えている点も含めて、版権都合で出すことができなかったなども考えられなくはないのだが、どうも引っ掛かる。
・全体の構成として見るに
本編開始前→無印G(ゴールとブライが本編で使用されている、月世界「戦争」)
本編3話まで→プロローグ、G~號の間(號の「13年前」と考えれば隼人のランドウ基地壊滅と時期が一致する)
という作りであった感触がある。4話以降は漫画版號の構成分析を踏まえた上でのゴウチームの話であったのではないだろうか。
(同時に3話最後に起きたのは魔獣戦線のラストシーンと仮定すると綺麗に収まるのでは?)
無印Gの構成分析結果は3話までで提示されており、デビルマンに関しては「ゲッターロボ」全体を通してベースとされているため、これは4話以降にも踏まえられていたことだろう。しかしそれ以外の要素はどうだったのか、と言えば漫画版號の分析結果から組んでいた可能性があるのではないか。
漫画版號には終盤に「2001年宇宙の旅」の続編でのボーマン船長の台詞が竜馬に使われている。また「マジンサーガ」の影響があったために「火星」だったのではないかとは思うが、こちらの分析は進んでいない。
「マジンサーガ」に関しては「グレンダイザー」で「ゲッターロボシリーズ」と「マジンガーシリーズ」が合流していた疑惑があり、この為に「マジンサーガ」と「ゲッターロボ號」で敵の設定などに共通する部分があるかもしれない。原案を同じくしていたか號で意図的に取り込もうとしていたかもしれない。
1976年~90年までの間のダイナミック作品で石川先生が漫画版號に取り込んだものがあるのか調べれば4話以降の展開の推測に使えるかもしれない。
また、ここまでに様々な「違和感」の話を述べてきたが、
・原作は「三つの心」が核の作品、その上疑似家族的な要素が強かったにも関わらず全員バラバラ
・犯罪など起こしそうにない竜馬が捕まっていて、隼人にまで怒りを向けているというあり得ない状況
・煙草を吸わず自傷行為もしそうにない隼人がそれをしているし、一緒にいるのが敷島博士である
・ミチルさんが死んで、武蔵が生きている
・號の存在も違和感があり、何より自我を確立していないなど石川作品主人公としてはあり得ない
など、スタートの状況がどうにもチグハグである。まるでボタンをすべてかけ間違えて、バラバラに壊れてしまったように。
それゆえ、元来の想定としては「修復に向かう物語」であっただろうことは推測できる。
そもそものところを言えば、この作品のタイトルで「真」を「チェンジ」と読ませてたことについて。
これはゲッターロボという作品の根底にある「ダーウィンの進化論」は「進化=変化」だからではなかろうか。
進化とは進歩ではない。変化であり分化である。
真のゲッターロボ=進化╱変化╱チェンジするゲッターロボという。
(ダーウィンの進化論や協調性と同調性の違いなど辞書レベルのものであるが履き違えが多く、実際に川越監督分では誤っていると思われる用語などのまとめは上に)
これであるならば本来の構想の最後は(石川作品が概ねそうであるように)多様性前提世界と分化存在や可能性を見せて終わっていたのかもしれない。
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俯瞰してみるに、おそらく今川監督は「人間とは何をもってして人間であるのか」というダイナミック作品が描き続けた核や、「血縁によらない家族」「愛」といった石川作品に重要な部分を組み入れようとしていたのではないかなあとも何となく思う。
*何故こんなにもマニアックというか根っこから再構成しようと思ったのかと言えば88年~89年にかけてOVA「トップをねらえ!」が存在していることはあったのかもしれないと思う。
様々な作品のオマージュ詰めとはいえ、普通に読んだ時の漫画版ゲッターロボの大枠である「ここで勝つより他にない、後がないシビアな戦場」で「共に死ぬことをも覚悟した複数パイロット」が「身体の拡張でもあるひとつの変形合体ロボットで戦う」をあまりにも綺麗な形で描き、武蔵の最後までオマージュしていたために、タイトル作品で中途半端なものを今更やっても仕方ないと思ったのではないかと。
また、後から気付いたが、そもそも94~95年の同監督によるGガンダムが「協調性」の話であったガンダムの再構成として、明確に「協調性」をテーマとしたロボットものの始祖となるゲッターロボを取り込んでいた=正位置ゲッターロボの側面があり、95~96年の庵野監督によるエヴァンゲリオンがデビルマンと逆転ゲッターロボを下地にした「同調性」の話=逆位置ゲッターロボであった可能性もある。こう捉えていたなら「逆位置から開始して正位置で終わる」ゲッターロボを構想しても不思議ではないのかもしれない。
(本来の「ゲッターロボ」は「協調性」対「同調性」、「進化論」対「社会進化論」と見ることもできる話である。川越監督は尽くを「同調性」と「社会進化論」での殴りあい食いあいという不毛で先の無い話にしてしまったが)
石川先生が珍しく手放しで絶賛し、「自分を理解してもらえている」と思ったらしいのだから、数多い派生作品でも石川先生が見たときに一番「ゲッターロボ」であったのは今川監督制作分であったのだろうなとも思う。
その最後がデビルマンも魔獣戦線もゲッターロボもそうだったように、「愛ゆえに誰かが消える」結末であったのだとしても最後まで見てみたかったものだし、いっそ文章でもいいから叶わないことかと願うばかりである。
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