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グレンダイザーの血筋の話~マジンガーシリーズの養子となったゲッターロボの子

サウジアラビアの巨大立像、フランス製ゲーム(とにかく原作愛が半端ないのが未視聴ですら伝わるのすごい)に国内豪華スタッフでのリブート作品、更には永井先生直接監修でのプロジェクトなんて話が出て昨年くらいからやにわに注目を浴びているグレンダイザーに関するメモである。
ダイナミックプロ作品において「UFOロボ グレンダイザー」とはどういった位置にあり、どのような意味を持っている作品だったのか、というひとつの可能性の提示である。
しかし、私はグレンダイザーの資料を直接自分で集めたわけではない。ゲッターロボの考察をしているうちにこうだったのではないかと不意に見えてしまったものの単なるメモである。
ゲッターロボの個人的な考察を元にした話であることは特にご留意願いたいし、誤情報があるならご指摘願いたい。


そもそものはじまり~「ゲッターロボ」

さて、ことの始まりは1974年、ということにしておこう。
この年、ダイナミックプロは「デビルマン」「マジンガーZ」に引き続き、東映と共に企画を立て、テレビまんがの放映と漫画連載を平行して行った。
「マジンガーZ」の続編、「グレートマジンガー」と平行して製作、放映されたその作品「ゲッターロボ」。
マジンガーシリーズとは異なるスタッフにより製作されたこのロボットアニメは、別の基軸として二年続いた。
この「ゲッターロボ」は、複雑な成立過程と複数のベース元作品を内包し、2024年の現在でもやりきることが難しいだろう設定を持ち、後年に至ってもそれを明かすことができない作品であったと現状私は考察している。
これも製作陣に残る遠因となってしまったのか、当時の時流を含めた流行背景もあってか、主要人物のキャラクター造形、特に「流竜馬と神隼人の関係性」はロボットアニメの枠を越えて東映作品全体にも強く影響することとなったっぽい雰囲気があるのだがそれはさておき。

話はこの「ゲッターロボ」から始まる。
この作品の成立過程と人物の関係性、それに伴い内包した複数のベース元作品がこの話に大きく関わるのだが、如何せんその順を追って説明すると余りにも情報量としては膨大になるため、以前まとめた考察記事の主だったものをここにおいて以下必要な部分のみを記載していくこととする。
*なお後年作られたOVAをはじめとするダイナミックプロ未監修派生作品群は主軸の部分から異なるまったく違う作品になっていて、あれをゲッターロボと思うと無駄に混乱するばかりなので、以下の話を読む際には綺麗さっぱり忘れてほしい

ゲッターロボの東映側製作チームは、ゲッターチームの一人、三人の主人公のうちの「神隼人」に特に強い思い入れを持っていた。
デザインこそ強面ではあったが都会的で知的であり、繊細さを持ちながら反抗し、亡き母を想いどこか死に急ぐような、死の影がまとわりつくような色白で前髪の長い(演出や脚本でごり押しされる)美青年。
*隼人のようなデザインのキャラクター(ルパン三世の石川五ヱ門とか)が美青年と一般に認識されるのはゲッターロボ以降の話であろう
もう一人の主人公(ゲッターロボは三人ともが主人公であったが)、主人公の親友で相棒、主人公の正反対の同一人物、そして「主人公が愛する友」。
結果的に盛りに盛られて驚くほどの過積載ぶりでありながら奇跡的に破綻せずに立脚した人物像となったのが「神隼人」であったのだろう。
プロデューサーのみならず、脚本家やキャラデザスタッフからも書きやすかったと話されていたり好感を明言されていたり、原案者の一人が「隼人ばかり動いていた」と話されていたり、この辺の東映側の思い入れは複数資料からも読み取れるところである。

原型の製作~「宇宙円盤大戦争」

ゲッターロボの後(正確には放映中だが)、東映動画はダイナミックプロに頼らず完全オリジナルのロボットアニメを製作しようとした。
ここでゲッターロボを担当した勝田プロデューサーが企画を出した。
勝田プロデューサーは特に隼人に思い入れが強かった人物である。「キューティーハニー」からダイナミックプロ作品のアニメ化に企画から関わり、その作品の制作にも理解が深かっただろう。(勝田Pにはハニーを担当していた事からゲッターロボへの起用が決まったという話もある。実はこちらから東映版にパンサークロー内での同性愛や漫画版に同性同士の深い愛情とも言える友情が描かれてもいる)

ところで、何かを作ったことがある人間ならこの感覚は通用するかもしれないのだが、「創作する」というのはそれまでにインプットしたものすべてからのある種の変異である。
「新しいもの」は無から生まれるわけではない。
よく「似ている」というだけで「パクり」などという人間がいるが、それを言うなら現在この世にあるストーリーは神話のパクリである。アイデアだって出尽くしている。そうではない。
そこにある何かが他者の手に渡り、変異し、新しいものとして再生産されることで、数多の創作物は生まれてきた。それは分化であり進化(変化)でもある。
これの一例に、ある作品を一度プロットやテーマ性、要素などにまで削ぎ落とし、もう一度肉付けをする「換骨奪胎」という方法がある。この換骨奪胎を経て古いものは新しい別なものとして生まれ直す。
ダイナミックプロという集団は、様々な知識をもった人間により、この換骨奪胎を目を見張るレベルで行い多くの作品を世に送り出してきた。(特に石川先生の作品にわかりやすい)
そのうちのひとつが「ゲッターロボ」である。
この作品は「反転デビルマン」「最初から最後まで理性がある世界」「(すべての生命は同等であるダーウィンの進化論を根底理論におき)協調性による共存を着地点に未来へ続く物語」として漫画版デビルマンを逆転させたプロットなどを主軸に、他の同じ方向性を持つ作品の要素(例えば「仮面ライダー」)も非言語的なイメージの強化に取り込みながら巧妙に組み合わせた作品であった。
(なおダイナミックプロはこの辺筋をきっちり通していたらしく、永井先生はパロディに使用する作品の作者に直接お伺いした話があるし、例えばゲッターロボの換骨奪胎元は殆どがダイナミックプロか東映の関係作品でまとまっている)
流竜馬→表層:漫画版不動明・本郷猛+核:飛鳥了・一文字隼人
元来生き残っていた、飛鳥了の核「リョウは友を愛している」を受けついだ人物。
神隼人→表層:飛鳥了・一文字隼人+核:漫画版不動明・本郷猛
元来死んでいた、「リョウが愛している」人物。
結果、ざっくりと書けばこのような主要要素をもった人物たちであった。特にこの二名の構成要素と関係性がグレンダイザーや後の作品にまで影響した、というよりも、正確に言えば元となった漫画版デビルマンの二人だろうが。
正直に言えば特に石川漫画版ゲッターロボなどは創作者のお手本、教科書のような見事な再構成とイメージ補強技術を駆使した作品であると個人的には感じている。実際に、ダイナミック作品からその方法論を学びとったクリエイターは多かったのだろう。現在活躍する多くのクリエイターの作品からそれは読み取れる。
そして、その方法論を数年に渡って間近で、自分も仕事として深く関わっていたのが勝田Pでもあった。

さて、話はその勝田Pに戻る。
東映オリジナルアニメの企画を立てるとなった時に、ゲッターロボが漫画版デビルマンをその下地にしたように、そうして自分達の手によって生まれたゲッターロボを下地にして「隼人を主人公にした話を作ろう」と考えはしなかっただろうか?
そしてその企画に後からダイナミックプロが入って設定のブラッシュアップなどが行われた。

主な企画原案などに関わりがありそうなスタッフの方々がこちら。
企画 - 有賀健、勝田稔男(ゲッターロボのプロデューサー)
原案 - サクール・バーン(鳥海尽三=ガッチャマンの企画・脚本をされている)
原作 - 永井豪とダイナミック・プロ
脚本 - 上原正三(ゲッターロボのメインライター)

1975年7月「宇宙円盤大戦争」

劇場公開されたグレンダイザーの原作、プロトタイプに近い作品である。(ここでは参考にWikipediaをリンクするが、私にはこれがどこまで正しい情報であるのかは把握しきれていない)

これは神隼人を素地とした主人公にゲッターロボの要素を取り込んで再構成した企画ではなかっただろうか。
「宇宙円盤大戦争」「ゲッターロボ」「グレンダイザー」これら三つは勝田プロデューサーがすべて受け持って、一時はすべて同時に進めていたらしい資料も存在する。
以下にその推測の根拠となるものをあげる。

①.デュークフリードの滅ぼされた星の王子(皇太子)である設定
……今まであえて記載していなかったのだが、東映版の「神隼人」はどこまで意図的であったかは不明だが、結果として「王子属性」の匂わせとなる描写を所持していた。
「東京出身で新宿と所縁がある」「軽井沢に別荘を持つ良家の子息」「登山が趣味」
「皇家」である。
日本において唯一規定された「身分」を持つ一族。70年代当時は現在よりもマスメディアでの報道も定期的になされており、これらのイメージを持つ人も多かったのではなかろうか。
後々石川先生の描いた理性を失い絶対悪と化した存在、ゲッター「エンペラー」やそのゲッターエンペラーが率いる未来人類のモチーフにも繋がるところである。
何故この設定を匂わせたのかと言えば、そういったものを匂わせる彼を他の人物と対等に前線で戦う存在とすることで「彼が特別である」と示すのとは正反対に「すべての人間╱生物は対等である」という事を示すひとつであったのではないかとは記載する。
これらの設定は複数回二年に分けて提示されている=宇宙円盤大戦争やグレンダイザーの製作時期に被っているため、逆輸入であった可能性もあるが。

*なお、隼人の大枠となったキャラクター(石川漫画版や東映版でプロット構成が換骨奪胎されているなど影響が強いと断定できるもの)は漫画版不動明、漫画版本郷猛(石ノ森先生は永井先生の師匠にあたる)、下記のジョー(これだけ完全同業他社の上に関わりが無いせいか要素薄いが)等がいて、最初から下手なことをできるはずがないキャラ造形ではあっただろう

ともあれ、この考え方がこれら三つの作品の根本にあるためだろう、やはりデュークフリードも「王族である」事は事実だが、そこに権威や権力は付随せず(特別ではない)、ただこの地球に生きる地球人=生命のひとつ、という強調が「グレンダイザー」となっても継続されていたとも考えられる。

②.声優の繋がり
「ゲッターロボ」初期案には「ガッチャマン」の影響が強い(私服が完全にそれ)初期案設定画が存在する。
隼人にはコンドルのジョーのイメージは多少なりと意識されていただろう。G最終話展開などはガッチャマン最終話にイメージがありそうでもあるし。
このジョーの声優さん、ささきいさお氏が主人公「デュークフリード」の声優である。

③.私服も戦闘服も青く、赤いマフラーというデザイン
青も赤いマフラーも神隼人の記号であった。
「ゲッターロボ」は実は最初から三原色を三人の人物に割り当てていた。竜馬:赤、隼人:青、武蔵:黄である。これはロマンアルバムで色設定スタッフが言及している。
(地味に色はゲッターロボの系譜作品ではとても重要になってくる。翌75年始まりとなる戦隊モノの始祖となるゴレンジャーにこれは人物像や設定と共に影響しているとも思われる)
そして隼人の戦闘服にはおそらく仮面ライダーのイメージがあり、「赤いマフラー」は身体の横のラインなどとあわせてその要素のひとつだった。

④.敵となる人物のデザインとその関係性
そして隼人が持っていた、今で言う男ヒロインの走りにも近い裏設定、「主人公が愛する友」であるという設定は、彼を愛する人物の性別を変え、隼人が持っていた敵との悲劇的要素複数を含んで「敵ヒロインから愛される主人公」と形を変えた。
敵総司令官のテロンナ王女はデュークの幼なじみであり、彼に想いを寄せている。彼を連れ帰り昔のように暮らすことがすべてでもある。
友を愛していた流竜馬を敵側女性にしたような存在ではなかろうか。
幼なじみは東映版イサム(暴竜鬼)、そしてこの元になっただろう漫画版竜二(魔王鬼)の設定にも似ているがこの人物たちはそもそもが敵となった「もう一人の竜=竜馬」でもあっただろう。
金髪に赤い服というのも、竜馬が飛鳥了由来だろうハーフじみた外見を持ち、シンボルカラーが赤。

*ダイナミックプロ作品では「赤い竜」=黙示録の獣でありサタンであり基本的には「悪」のシンボルでもある。このため、飛鳥了の一族が「赤」「竜」といった記号を持つ傾向が強い。
ただし、ここでいう「悪」とは必ずしも「不正義」「倫理や道徳的に反している」等の「悪いこと」ではなく、単純に神と対応しての話も含んでいる。
神だろうが悪魔だろうが上から目線で他者の権利や尊厳を蔑ろにする存在はクソ食らえ的なメンタリティがダイナミック作品の軸に共通するため、度々主人公や味方側にも使用される。

また、流竜馬も複数のイメージ元を所持していたと考えられるが、その一つは声優が同一であった「バビル二世」である。
テロンナのお供の「マシンパンサー」は三つのしもべ「ロデム」のイメージがあったのではないか。テレパシー=超能力も同様である(竜馬=隼人でもあったため、この設定はデュークとテロンナで共有された)。

神隼人は流竜馬でもある。(同じ構成要素を表層と核でチグハグに組み替えた人物たち=正反対の同一人物)
このため、竜馬のイメージもデュークフリードには使用された可能性がある。
私服のデザインが西部劇風であることは「荒野の少年イサム」
北海道の牧場が舞台であることは東映版「バビル二世」の展開
これらは竜馬のイメージ元からではないだろうか。

*竜馬と隼人が外見と性格を入れ換えて成立した存在であったため、「もう一度入れ換えた」のではないだろうかとも思う。
神隼人のベース・核(青)+流竜馬の外見→デュークフリード
流竜馬のベース・核(赤)+神隼人(もしくは竜馬)の性別変換→テロンナ
という形で。

そして、ロボットの名前は「ガッタイガー」となった。
「ゲッターロボ」がはじめての合体ロボットであり、「協調性」のシンボルであった事は大きかったのかもしれない。
UFOというのも、初代ゲッターロボのゲットマシンがドラゴンのゲットマシンとは異なり戦闘機風のイメージからは遠いデザインをしているが、UFOのイメージがあったからかもしれない。
(これに関してはアニメアークのブックレットでロボットデザインをされた方が「ゲッターロボにはUFOのように反重力システムがあるのでは」と話されていることもある)

制作スタッフの部分を見ても紆余曲折はあったのだろうこの作品は無事に完成して75年7月に劇場公開された。
ここまでで終わるならば、その後のマジンガーやゲッターロボの歴史も大きく異なっていたのだろう。
1975年は「グレートマジンガー」の後番組が企画されていた。ここでこの「宇宙円盤大戦争」が上がることとなったのが話をややこしくする。

「グレートマジンガー」の後番組を巡って

「グレートマジンガー」は1974年9月~75年9月末まで放映された。この後番組には当初「ゴッドマジンガー」という、マジンガーシリーズの正当続編であり完結編となる企画があったそうなのだが、これが結局頓挫してしまう。

そこで、当時の「UFOブーム」に乗ろうと考えたらしい。
劇場公開された「宇宙円盤大戦争」に白羽の矢が立った。
この作品を元に、「マジンガーシリーズ」として変更をくわえて仕上げよう、と。
玩具の売り上げや視聴率も関係しての気軽な話が始まりだったのかもしれないが、これが後のダイナミックプロによる派生作品にまで大きく影響する作品の登場となる。

1975年10月「UFOロボ グレンダイザー」

まずもって思い出していただきたいのだが、「宇宙円盤大戦争」の原型は「ゲッターロボ」にある。
「マジンガーシリーズ」のつもりで作ったのではなかったのである。
この「元々は(マジンガーシリーズとは)まったく違う作品のつもりであった」ということは勝田Pのインタビューでゲッターロボ関連の資料にも幾分残されている。
そしてそうであったが故に、大揉めに揉める事態となった。
人気があった「兜甲児」をレギュラーで入れて欲しいという、テレビ側からの要望である。
これはとても嫌だった、本当は入れたくなかったとは勝田Pのインタビューにも読み取れた。
それはそうだろう。他のスタッフが育てたキャラクターでもあるし、元々これは「ゲッターロボ」の系譜であったのだ。
勝田Pは拒んだそうだが、結局は了承せざるを得ず、こうして「宇宙円盤大戦争」は明確に「マジンガーシリーズ」として組み込まれることとなった。
この際、東映動画の内部編成変更も同時に起こったのだろう。
順当に考えれば「マジンガーシリーズ」を担当していた班が担当しそうなものであるが、そちらは「鋼鉄ジーグ」の担当となり、「グレンダイザー」は「ゲッターロボ」の製作スタッフ中心の班で担当となった。
こういった流れであったために担当を変えられなかったのではなかろうか。勝田Pがオーバーワーク過ぎないかというツッコミは一旦さておき。
(当時のプロデューサーは上がってきた脚本から作品のテーマ性や方向性を踏まえて調整し作画班に回す、現在で言うシリーズ構成のような仕事まで行っていたとDVDBOXのブックレットに記載がある。なお「ゲッターロボ」は1974年4月4日~76年3月25日まで「ゲッターロボG」となって放映されていた)

さて、「兜甲児」という人物を組み込むこととなった。
彼は「もう一人の主人公」となる。
こうなれば「ゲッターロボ」文脈であればどうなるかは想像がつくだろう。
元々は隼人の要素を中心に竜馬の要素を混ぜて構成していた「デュークフリード」と、竜馬の要素を中心に構成していた「テロンナ王女」の話であったものを
竜馬の要素を強くした「デューク・フリード」と隼人の要素を入れ込んだ「兜甲児」と再設定した。
こうしてデューク・フリードと兜甲児は「親友であり相棒」「正反対の同一人物」「デュークが愛する友は甲児」という設定が恐らく付加された。

飛鳥了から流竜馬と受け継がれた「友を愛している」というその人物の核となる設定を持ったことであろう、デューク・フリードの外見も変更された。
竜馬の核に竜馬の外見では、同時に放映されている竜馬との区別=個性が薄くなってしまう。
そのため、流竜馬の外見に近いものから神隼人の要素(ストレートの長髪の美形)を強くしたものに、またもチグハグに組み合わせられたのではないだろうか。

デュークの戦闘服が赤く、甲児が青い。
甲児の戦闘服デザインが隼人のものに似ている。
甲児の科学者設定→兜家が科学者血筋+隼人のイメージ元:本郷猛(隼人は漫画版無印Gの時点で早乙女博士の助手的役割をしている描写がある)
これらもこういった経緯から取り込まれたものではなかっただろうか。

こうして「UFOロボ グレンダイザー」の大枠が固まった。
そしてこのある種「ゲッターロボを親とするマジンガーシリーズ」となった「グレンダイザー」の設定が、後年までダイナミックプロ公式設定として残り、「マジンサーガ」「ゲッターロボ號」などに繋がることになる。
実はここで「マジンガーシリーズ」と「ゲッターロボシリーズ」は要素を相互的に取り込む理論ができていたのだろう。

「グレンダイザー」の根本的なベースに「ゲッターロボ」があるのではないかと考えると
追加ヒロインとして投入された「グレース・マリア・フリード」の元ネタは誰だったのか、私には思い当たる人物もいた。

東映版ゲッターロボ担当チームが中心となって製作した「ゲッターロボの子」が「グレンダイザー」であるが、同じように漫画版ゲッターロボを担当した石川賢先生が描いた「ゲッターロボ(とデビルマン)の子」が75年時点で存在する。
「魔獣戦線」
この話は漫画版「ゲッターロボ」において記憶喪失になった竜馬と死の洗礼を浴びる前の隼人を、慎一と真理阿(マリア)として、さらにその元となったデビルマンをあわせて再構成した作品であったろう。
製作者は異なるが同じ「ゲッターロボの子」として、この「真理阿」を元ネタにしたのではないかと。
名前、死の直前に真実を告げる「お爺ちゃん」、予知能力。
隼人の血筋にあたるためにその戦闘服のデザインは甲児と同じく、隼人のものに似ることともなった。バイクもそうだろう。
しかし、あくまでも別人である。「違い」を出さなければならない。
そこで活発な性格や色は赤と竜馬由来や持たせたいイメージに近いもの(「魔女っ子メグちゃん」のメグとか。ゲッターロボと同時期に開始された東映の番組で、意図的であったか不明だが対のライバルになるノンに隼人との共通項がちらほら見られる)を入れ込み、コラージュするようにして新しいヒロインを産み出したのではなかっただろうか。

「グレンダイザー」の情報を見ていると、他にも東映版と漫画版の「ゲッターロボ」を知っていればデジャブのような感覚を持つものが多数ある。
また、このグレンダイザー劇場版コミカライズは何故か石川先生が担当されていたり、その内容ではデュークの表情が魔獣戦線の慎一を思い出させるものであったりする。
(永井先生名義で一冊にまとまっている電子書籍で手軽に読めるようになっている)

これらはこういった根底があったが為に生じたものではなかっただろうか。

*ここまでと似たような解釈を持っていたアニメ監督が今川監督であった可能性もある。
94年「機動武闘伝Gガンダム」の登場人物「ジュルジュ・ド・サンド」とその周辺は、これに似た解釈を前提にした「グレンダイザー」の再構成ではなかっただろうか。
フランス(フランスにおけるグレンダイザーという作品人気の一端とその文化的立ち位置が垣間見れる記事はこちら)、良家の子息、騎士と王族、妹的な存在「マリア」ルイゼ、お爺ちゃん→従者≒執事。
外見はその元となる隼人由来であっただろう。長い前髪に切れ長の瞳を持つ色白の美青年、線画で見れば漫画版號での隼人にも似ている。シンボルカラーの白や青、脚が印象に残る動き、首元のマフラーなどもそうだし、赤は1血筋のチボデーと色を入れ換えた結果ではなかっただろうか。
「Gガンダム」についてはゲッターロボやデビルマンの要素が各所に見られ、今川監督がなぜゲッターロボをガンダムの再構成をするに辺り基礎部分においたのかも推論はあるが長くなるためここでは割愛する。
(ただ、今川監督が富野監督のオーダーを聞きながら、「ガンダムとはどういった話だったか」を真剣に考えた結果出したアンサーだったのではないかとは記しておきたい)
そして、ここまでの前提があるから、その後のチェンゲでもゲッターロボの変形シークエンスで唐突にグレンダイザーのネタが入れ込まれていたのではなかろうか。(竜馬のデザインなどのみならず、あの初代ゲッターの手足がチップで組上がっていく様も細胞の再構成=魔獣戦線であろうし)

その後のグレンダイザー~「マジンサーガ」と「ゲッターロボ號」

ようやく私にとっての本題となる。
「ゲッターロボ號」は何故か「マジンガーシリーズ」の影響が強くみられる内容で、私はずっと不思議に思っていた。
よくよく資料を読めば、東映版ゲッターロボ號を担当したプロデューサーの話に「この後にマジンガーがあると思っていた」という話があったのだ。
ならば、最初から「ゲッターロボ」として作ってあれだった、原案を同じくして分化した漫画版も同様であるはずだ、と。
敵幹部陣や設定には強くマジンガーの影響があるのはわかるのに、どうしてこれが入ってきたのかがわからない。

しかしこれも、なんということはなかったのだ。
「グレンダイザー」の時点で、マジンガーシリーズにはゲッターロボの子が養子として入っていた。
そのため、ゲッターロボでもマジンガーを取り込もうと、そんな単純な話だったのではないだろうか。

そしてゲッターロボ號より前に、「マジンサーガ」という作品が永井先生によって連載されていたのだが、こちらと「ゲッターロボ號」で敵の名前が同じであったり、妙に似た部分があるのも要素として一部組み込もうとした結果ではなかっただろうか。原案が同じであった可能性などもあるが。
(「グレンダイザー」がゲッターロボからの養子であるなら、「マジンサーガ」をゲッターロボの養子に迎えようとしたかもしれない)

マジンサーガではやはり何故だか兜甲児とデューク・フリードの出会いがなんだか「急にどうしたこれ」という描写になっていたのも、先の人物関係の前提があったからであろうし、デュークが「紅蓮コンドル」と赤を強調されるのは言わずもがな、翼を持つのも彼のベースにあった流竜馬の更にベースは飛鳥了であるためだろう。神の一族の血筋であるから翼を持った。
(展開には「デビルマン」や「魔王ダンテ」の影響が強いが、そもそも「魔王ダンテ」から分派したのが「デビルマン」と「マジンガーZ」である)

しかしこうなると「マジンサーガ」における最後の展開が余計に気になるものである。片割れの御本人様が敵として登場(しかもどうやら本来の甲児くんの設定持ち)とはどうするつもりであったのだろう……。

「グレンダイザーU」はどうなるのか

自分用のメモとしてここまでまとめたのだが、これらを前提とするなら今度リブートされる「グレンダイザーU」が何故あのような設定やデザインを持っているのかは幾分納得できる部分があるのではなかろうか。
「魔王ダンテ」から分派した「デビルマン」と「マジンガーZ」、そしてそのデビルマンから分派した「ゲッターロボ」。
元ネタが「ゲッターロボ」の「宇宙円盤大戦争」を原案にした「マジンガーシリーズ」が「グレンダイザー」という。
ややこしいことこの上ないのだが。ゲッターロボがマジンガーシリーズに出した養子がグレンダイザーみたいな。
この流れから一度すべて要素などにまで戻して、もう一度組み立て直そうとしているのかもしれない。
(「グレンダイザー」から考えれば放映から49年という半端な2024年放映というのも、そもそもの親の「ゲッターロボ」からなら50周年という節目にあたるのも気になるところである。ただひかるさん周りだけが妙に全然わからんのだよなあ……)

……しかし少々気になるのが、デビルマンやゲッターロボの血脈は今まで映像化される度に何故だか「友を愛している」設定がオミットされるだけならまだしも(これだけでデビルマンという物語と飛鳥了には大問題すぎるが)、理性を軽視され続けていることである。
「ダーウィンの進化論と協調性」であったゲッターロボ世界の反転は「社会進化論と同調性」の世界である。

(「ダーウィンの進化論と社会進化論」「協調性と同調性」の違いなど基礎的な言葉の意味は上記記事に)

「漫画版デビルマン」が最終的に辿ってしまった世界だが、これを新しい作品として描いたものの有名どころが「旧エヴァンゲリオン」だったりもするだろう。(説明はここではしないが。最終的にここに近く至ってしまったのが桜多先生のマジンガーシリーズコミカライズだったろうとも思う。旧エヴァのラストなどはあれが下地になかろうか)
実はデビルマンやゲッターロボのダイナミックプロ未監修の派生作品群はこちらの文脈ばかりで本質的には旧エヴァという状況が30年近く続いている訳だが、
果たして今度こそまっとうに、元来のグレンダイザーのように未来へ続く「協調性」の世界となるのだろうか。
それとも、桜多先生のコミカライズや旧エヴァのように、またもいずれ滅ぶ「同調性」の世界となるのだろうか。
どちらにせよ、願うならば旧来のファンからも受け入れられるような、良い作品になればいいと思う。

おまけ:「グレンダイザー」と「鋼鉄ジーグ」

「グレンダイザー」(宇宙円盤大戦争からになるが)と「鋼鉄ジーグ」は同じダイナミックプロと東映のタッグで1975年10月5日の同日に放映開始したテレビまんが番組同士である。
もちろん、企画も同時進行していたであろう。
この時、この二つの企画、番組の「違い」を明確に出そうとはしなかっただろうか
「竜殺し」の英雄「ジークフリート」を二分割して
鋼鉄「ジーグ」↔デューク・「フリード」
と設定し
九州↔北海道(宇宙円盤大戦争の舞台)
和風↔西洋風
車↔バイク
正反対や対になるイメージを双方に持たせた。

こうであるならば納得がいく派生作品がある。
ダイナミックプロに所属する星先生が漫画を担当し、ダイナミック企画が編集協力をした「鋼鉄ジーグ a.k.a. JEEGFRIED」

元々「ジークフリート」から分派した「鋼鉄ジーグ」と「グレンダイザー」を足して換骨奪胎し、先祖であり新規である新たな竜殺しの英雄「ジーグフリード」を産み出そうとしたのではなかろうか。
「グレンダイザー」は東映主体でのゲッターロボ直系作品である。
そしてゲッターロボの漫画版を担当した石川先生にも、ゲッターロボ直系の作品が存在した。「魔獣戦線」である。
グレンダイザー≒魔獣戦線 と考えるならば
鋼鉄ジーグで西洋魔獣戦線風味をやれば、両方足したことになって「ジーグ」「フリード」になる
という理屈でもって。

なぜ「ジークフリート」でないのだろうとも思ったし、読んだ限り、ダイナミックプロの混ぜ方には一定の法則や理屈があるのに、どうしてジーグに魔獣戦線を混ぜるのかがわからないと思っていたが、これなら納得ができるのではなかろうかと。

何故かいきなり「鋼鉄神ジーグ」の地上波放映が決まったのも、今年放映予定の「グレンダイザーU」に対応しての話であるのかもしれない。

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