佐賀発「痛い教習車」を走らせる変人キャラ社長の“未来創造事業企業”
検索エンジンを開き、「大町自動車学校 鶴田英司」で検索をかける。すると、ゾンビメイクを施し、メガホンを手に叫んでいる男性の写真が現れた。この男性こそが、大町自動車学校の代表だ。「こんな面白そうな人がトップを務めているのか」と、親近感が湧いてきた。
今回インタビューしたのは、佐賀県大町町の実家が営む創業60年超の「大町自動車学校」を事業継承した代表取締役の鶴田英司さん(49)。「たのしさ生み続ける、エンジン。」をコンセプトに掲げ、自動車教習にとどまらず、地域を豊かにするさまざまなコンテンツを提供する“未来創造事業企業”を目指している。
鶴田さんが考える地方ビジネスの可能性とは何なのか。事業を続ける原動力は一体どこからくるのだろうか。
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始まり:「地域の未来創造企業」大町自動車学校
――(山本)最初に、鶴田さんの経歴を教えてください。
(鶴田)佐賀県大町町出身で、高校卒業後、東京の大学へ。卒業後はソフトウエア開発の会社からキャリアをスタートして、外資系コンサルティングファームに転職しました。コンサルとして約10年務めた後、家業を継ぐため佐賀に戻り、現在に至る……というような感じですね。
――大町自動車学校は、歴史も古いですよね。
(鶴田)創業は1960年。佐賀のちっぽけな自動車学校ですけど、60年以上の歴史があります。私が帰ってきた2016年ごろは、佐賀県全体でも普通車の自動車学校の入校生数が落ち込んでいた時期でした。代表取締役に就任した2018年当時の入校生数は360人程度。そこから、旧若楠自動車学校を買収するなどさまざまな取り組みによって、入校生が1500人を超えるまで伸ばしました。これも、働いてくれているみんなのおかげです。
――大町自動車学校は、「未来創造事業企業」を掲げていますが、これについて詳しく教えてください。
(鶴田)自動車学校のマーケットは、人口減少に伴って間違いなく小さくなっていきます。しかも、テクノロジーの進化によって自動運転が実用化されれば、更にマーケットは小さくなるわけです。長期的には、自動車学校だけでは立ち行かなくなる方向にあると思います。だから私たち自身が、さまざまな事業展開を検討していかなくてはいけないと考えています。
地域が盛り上がれば人口が増え、自動車学校に通うお客様も増える。私たちがやっているのは、そういう商売です。
「地域の未来を作ること=自動車学校の収益を上げること」。だから「未来創造企業」じゃなくて、「地域の未来創造企業」なんです。「地域」を付けないと、正確ではないと考えています。そういう観点で、事業の幅を広げていこうというのが、未来創造事業企業です。
――鶴田さん自身がグラビアアイドルと一緒に佐賀市内を激走したり、ゾンビメイク体験をしたりしている様子を見て、一種のエンタメ企業のようなイメージを抱きました。
(鶴田)私たちが目指すのは、エンタメ企業ではなくて、むしろ地域のインフラになるような企業です。地域の未来を作っていくためのコンテンツとして、そういった他ではやらないことも企画してきましたが、地域に根付いた自動車学校という事業の方こそしっかりやっているわけです。
転機:「このままでは成長がない」 だからこそ決意した“都落ち”
――事業継承する前は、外資系コンサルの仕事をしていたとのことですが、「コンサルタント」という職業にはいつ出会ったのですか?
(鶴田)私はもともと、ロジカルに議論することが得意でした。大学在学中、就職活動をする頃に、「物事をロジカルに考えることが生かせる仕事に就きたいな」と考え始めました。でも、学生生活では紆余(うよ)曲折があったので、新卒で外資系コンサルに就職するのは、おそらく難しいのではないかと考えました。そこで、外資系コンサルに転職しやすそうな企業に就職したんです。
――外資系コンサルに就職するビジョンを掲げたうえで、最初の就職先を決めたのですね。
(鶴田)初めからそのつもりでしたね。
――実際に外資系コンサルに転職して、理想とのギャップはありましたか?
(鶴田)30歳の頃でしたでしょうか、コンサルの仕事に転職したての頃は、夢がかなってうれしかったですね。だけど5年ぐらい同じ業界で働いていると、飽きてきますよね(笑い)。
仕事に慣れてくると、慣れた範囲の外に出るようなことをあまりやらなくなり、モチベーションが上がらなくなってきちゃって。コンサル人生10年のうちの後半半分は、惰性で働いていたように思います。
――コンサルの仕事が面白くなくなったのですか?
(鶴田)面白くなかったわけではありません。普通の日本企業で働くよりずっと刺激的だったと思います。でも40歳になった頃に次の人生を考えた時、「このままだと自分の成長がないな」と思いました。
――他の就職先を考えることはなかったのですか?
(鶴田)いろいろ考えてはみました。同業への転職ではあまり意味はありません。私は日本の大手企業で自分を生かせるようなタイプでもありません。起業も少し考えましたがリスクに見合う起業ネタを見つけてゼロから事業を起こすよりは、既に事業の形ができている会社を引き継ぐ方が効率がよいと考えて、最終的に実家の家業を継ぐことにしました。
――東京でバリバリキャリアを積み重ねてきて、佐賀に戻って家業を継ぐ、ということに抵抗はなかったのですか?
(鶴田)田舎に帰って、今まで蓄積してきた実力をフルで発揮しながら、いろんなことに挑戦したいと思いました。特に自動車学校経営をやりたかったというわけではありません。自分が好きなように生きるために、何ができるのか。40歳時点でのベストの選択肢は何なのかを考えて、「一旦都を落ちよう!」とUターンを決めたんです。
転機:変人キャラ?工夫と知恵?労働集約型ビジネスの競争力の源泉とは?
――2018年に代表取締役に就任するのに先立ち2016年に会社に参画しています。2年の間に、いろんな仕掛けをしたそうですね?
(鶴田)まずは僕自身の認知度向上を目指しました。20年以上も地元から離れていて、ツテもコネも何もないわけですから。積極的にいろんなイベントに顔を出すようにしましたね。普通の人だと思われたら覚えてもらえないので、「変な人」キャラを作り上げていきました。
――変な人キャラって……どういうことですか?
(鶴田)まずは、空気を読まないこと。そして、ストレートにモノを言うことを心掛けました。はっきりと的を射たことを言うと、異端児っぽく見えるんですよ。まあ、元々そういう性格だったんですけどね。
――確かに、鶴田さんと初めてお会いした時に、人とちょっと違うなと思いました(笑い)。旧若楠自動車学校を新たに大町自動車学校鍋島校として買収するという構想は、代表取締役に就任する前から抱いていたのですか?
(鶴田)田舎の小さい自動車学校を続けていても、これ以上何もない。元々チャンスがあったら近隣の自動車学校を買収したいとは思っていました。しかし、都合の良い優良案件は世の中あまりないんですよ。
若楠自動車学校もかなりリスクの高い案件でしたが、近隣の自動車学校を獲得するチャンスはそうそう巡ってくるものでもありません。だから、悪い買い物を自分の努力で良い買い物に変えるしかないと考えて獲得に動きました。
――なるほど!その他にもYouTube番組やイベント、キャラクターのデコレーションを施した教習車(以下、「痛教習車」)など、次々に企画を打ち出してきました。すべて鶴田さんの発案ですか?
(鶴田)ほとんどが私の発案ですが、全てがそうというわけではありません。「痛教習車」に関しては、サブカルが好きということと、あまり他の会社がやらないことに手を出していこうと考えのもとでやってみた企画でした。かなりバズったのですが、実はあれがなぜバズったのかよく分からないんです。企画が良かったというのもありますが、どこもやっていなかった、運が良かった、という以外にないですね。
――企画を出し続けながら、自身の認知度も上げる。それが、地域貢献にもつながっているのでしょうか。
(鶴田)地域の未来に向けて、今自分たちに何ができるのかを探索する過程なんです。でも、ぱっと目を引くような企画って、大抵は、期待したような効果を得られずに終わります。
むしろその裏側の表には出ない基本的な努力をしていることの方がずっと大事です。私たちは自動車学校なので、基本とは「優れた教習」をして、それをより多くの人に知っていただくこと。企業としてはここに一番注力しています。
――社内の働き方改革にも精力的に取り組まれていますよね。
(鶴田)実は、個々の教習生の教習進度を記録する「教習原簿」の「はんこ押印」を、日本で初めてデジタル化によって廃止したのはうちの会社なんです。
DXに取り組む理由は、はっきりしています。これから労働生産人口が減っていく中では、いかに限られた人数で高いパフォーマンスを生み出すかが重要です。そういった組織づくりこそが、労働集約型のビジネスにとって競争力の源泉になります。DXは、そのための一つの手段です。
この業界特有の「従業員の給料を抑えて安く教習を提供する」という慣習を改め、サービスにしっかり付加価値を付けて適正価格で提供していく。需要が少ないときに値引きするといった価格のコントロールや商品企画に取り組み、生産性を高めていくことは労働集約型ビジネスの生存戦略としてとても重要です。
原動力:「失敗しても何とかする」という覚悟で、常に成長を意識する
――さまざまな企画を打ち出し、働き方改革を実現する中で、一番つらかった出来事は。
(鶴田)会社が水没したことですね。2019年8月に発生した佐賀豪雨災害による被害です。ちょうど、若楠自動車学校の買収を巡る駆け引きをしていた時期でした。自動車学校の復旧作業にいくらかかるか分からない状態で、「果たしてこのまま買収してもいいのか」と、とても悩みました。
――それでも買収に踏み切った。その原動力はどこからくるのですか?
(鶴田)そうですね、「何とかなる」と思うことですかね。どれだけ考えたって、人間ってそんなに頭がよくないから、頭で描いた通りにはならないじゃないですか。潰れそうになったら、潰れないように馬力を発揮すれば、何とかなる。知恵と工夫で乗り越えていけばいい。常に成長を意識することが原動力になっていると思います。
――それも、コンサルをしていたからこそ見えてきた課題解決の「切り口」なのでしょうか。
(鶴田)外資系コンサルは、「どうすればできるか」をしっかり考えた上で、解決策を提案するんです。「解決策が出てこなかったら、出せるまで考えろ」と、入社時からしっかり仕込まれます。そういうところはプラスになっていると思います。「失敗しても何とかする」という覚悟が、「何とかなる」という考え方につながるのだと思います。
――自動車学校という業界は「変化を苦手とする業界」のように見えますが、鶴田さんが大切にしている考え方は何ですか?
(鶴田)会社は、成長しなくなったら終わりだと思っています。それは経営者も同様で、常に自分を成長させていかなくてはいけない。
最近、お年寄りのことを老害とかいうじゃないですか。そういう言葉が使われるのは、大嫌いです。ベテランの方ってすごい価値があると思っています。自動車も運転歴が長ければ長いほど知識に深みが出る。
人生そのものがそうじゃないですか。ちゃんと経験ある人をリスペクトすることがすごく大事だと思っています。お年寄りを老害呼ばわりしてしまうのは、成長がストップしちゃってる人がいるからだと思います。年寄りの経営者がいけないんじゃなくて、成長しようとしない経営者がいけないんです。
――尊敬や敬意を重んじること、そこも大切にしているのですね。
(鶴田)同じ土俵に立ったら、20歳も60歳も関係ない。だから私は、競争相手になったら若者であろうが年寄りだろうが、遠慮なくつぶしに行きます。仲間だったら20歳だろうが60歳だろうが、大切にします。有能だったら20歳だろうが60歳だろうが、関係なく重宝します。そうでなければ20歳だろうが60歳だろうが、冷たくあしらいます。
――ストレートな表現! 聞いていてすがすがしいです。鶴田さんはガンダムがお好きだと聞いていたので、鶴田さんにぴったりの名言はないかと調べてきました。
(鶴田)どんな言葉ですか?
――「実戦というのはドラマのように格好の良いものではない」という言葉です。
(鶴田)なるほど。あまり意識したことはなかったですけど……。どちらかというと「当たらなければどうということはない」(編集部注:「どれだけ強力な攻撃であろうとも、当たらなければ何も問題はない」を意味するガンダムの名セリフ)の方がしっくりきます。会社も潰れなければどうということはないですよ(笑い)。
地方でビジネスをする:80億人を対象にするビジネスより、80万人でちゃんと組み立てられるビジネスを考えた方がいい。
――どんな地域社会を作り上げていきたいですか?
(鶴田)弊社が定義しているミッションにある通り「善いことをしたら良いことが返ってくる地域」です。これは、人々が思いやりを素直に示すことを促すためのものです。日本人は、遺伝子的に不安を感じやすいと言われています。その不安から、自分と違うものを否定したくなる、いわゆる同調圧力が働くことがあります。
しかし、もし「善い行いが必ず良い結果として返ってくる」という現象が日常になったらどうでしょう。そのような世界は、自然と思いやりにあふれた社会になるでしょう。不安を解消し、同調圧力を減らすことで、人々が素直に相手に優しくできるような世の中を作りたいと思っています。
――そういう世の中ってすてきですね。
(鶴田)自分自身が生きやすい、そして自分の身近な人たちが幸せに生きられる世の中を作りたい。別に世界を変えようだなんて思っていません。
うちの会社のお客様や働いてくれるメンバー、取引先など手に届くところにいるステークホルダーの皆様が幸せで、素直に思いやりを示せるようなコミュニティーのようなものが創れたらと思っています。それが私たちのパーパスである「コンパッションあふれる世界を実現する」ということです。
――そういう思いで働いていると、地域にも伝わりますね。
(鶴田)例えば、運転が怖いという人もいるわけじゃないですか。そういう人は自分で運転しなくても、誰かが移動を手伝ってくれる。そういう人を助けた時に、自分にも良いことが返ってくる。そういう良心が循環するようなエコシステムを構築できるように、事業を広げていきたいと思っています。
――鶴田さんが考える、これからの地方ビジネスの可能性についてお聞かせください。
(鶴田)地方の良さは、村社会の良いところが残っている点にあると思います。困っている人同士、困っている人と困っていない人が互いに助け合うような社会がある。そして、良くも悪くも選択肢がない。
例えばホームページ制作の会社って大都市だと選択肢が豊富にあるけど、地方では選択肢が少ない。「あなたの会社にしかできないから、お願いする」ということがたくさんあるので、無駄に悩まなくていいというのも、「可能性」なんだと思います。
――最後に、地方ビジネスに興味のある読者へのメッセージをお願いします。
(鶴田)全世界80億人をターゲットとするビジネスじゃなくて、佐賀県の80万人をターゲットにするようなビジネスを作っていかないと、うまくいかないと思います。ビジネスの基本って「あったらいいよね」を形にするのではなく、「なくてはならない」ものを作ることです。自動車学校もそうですし、農業もそうじゃないですか。自分の知恵と工夫で、なくてはいけないもの、他にないものを作ってくのがいいんじゃないかと思います。
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