見出し画像

#21奉仕の心

おはようございます。大学3年生理学療法の勉強をしているてらっしーです。

本日もnoteを書いていきます。短い時間でサクッと。

テーマは”奉仕の心”

ではストップウォッチすたーとー


奉仕の心ということだが、その意味を検索エンジンで調べると

公のために尽くそうとする心

とでてくる。

そのような姿勢はとても素晴らしい姿勢で、きっと心がきれいなんだろうなーと思う。

悪い企みなど頭に浮かぶはずがないのだろうと。


それでだ、なんでもそもそも急に奉仕の心など言い出したかということであるが、

スマホのメモに人生の大先輩である高齢者の方のお話のメモが残っていてそれを見返して、少し奉仕の心について考えてみようと思ったからだ。

その方のお話では、

なにかを相手にしてあげた。ではなく、自分のためにそのなにかをするのだ。

見返りは求めない。困っている人がいたら声をかけるただそれだけだ。

重そうな荷物を抱えて階段を昇る人がいれば、荷物お持ちしましょうか?と声をかける。

なにかを探しているような人がいれば、なにかお探しですか?と声をかける。

ほんとにただそれだけ。手伝ってあげるんだから何かをくれ。そんなことは考えてはいけない。

見返りは求めず、助けが必要そうな人に声をかけてみる。そして必要であればお手伝いをする。

そういうことの積み重ねが信用につながる。

その信用というのは当事者間の信用だけではない。

第三者からの信用もだ。

どうやって第三者からの信用につながるのか。それは自分の奉仕の姿勢を見ていた誰かが、もしくは当事者の方が自分の知らないところで名前を広めてくれているからだ。

あの人は奉仕の心を持った信用のできる人だよ。と勝手に自分の名が知れ渡ることになる。

そのようにして積み上げた信用は気づかぬうちに、とても大きなものになり、

いずれ自分が困り果てたときにその信用を買って助けてくれる。

決してこの信用を買って助けてくれることを目論んで奉仕し続けるわけではない。そんなことを思っているようではきっと信用は築かれない。


いま自分はひたすらgiveすることを心がけて、同級生にコンテンツを提供している。オンラインサロンのような形態で。

でもそのことのどこかに誰かが自分に有益な情報を共有してくれないかなーって気持ちがある。

自分がgiveすれば、きっと誰かが自分にgiveしてくれて、それを自分はtakeできると。

まだまだ器の大きな人間には程遠そうだ。精進いたします!


おわり。18分


まだ自分は21年間しか生きてないけど、今回お話しした高齢の方は自分の4倍近く生きている方だった。

やっぱり経験知が違う。

高齢者って邪見にされがちだけど、もっと敬うべきだと思うなー。

貴重なお話をもっと聞かせてほしいな!

最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?