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消費されたい人とはわかり合わなくていい

消費されるのが気持ちいい人は、人生まるごと搾取されまくって、しまいには消えて無くなってしまえば良い。

みんなから取られて、食べられて、こねくり回されて、どうにかなってしまえば良い。

もしそれで大金が得られることがあったとしても、そのお金の価値は少なくとも私にはわからない。

私は今、滞在制作の為に与えられた制作費の分だけ惜しみなくお金を使っているけれど、それは、出来る限り作品に使う素材を妥協したくないから。

透明度の極めて高い樹脂でできたアクリル絵具の大型ボトルを特注で作ってもらったり、会場のサイズに合わせてカーテンをオーダーしたり。

支給されるお金とはいえ、一時の展示の為に馬鹿みたいなことをしている。もっと賢く使えばいいのに。(※1)
そう思う人もいるかもしれない。
でも私は、自分の思い描く世界をなるべく鮮やかに再現したいだけ。

私の美は私の脳内にある。
それは私がどうにかしない限りこの世に存在するものとは言い難いし、誰にも伝わらない。自分でさえこの目で見ることも叶わない。

でも私は見たいから。
しかも、この世で誰よりも先に。
だから創ることをやめられない。

脳内の再現を絵画やインスタレーションにして外に出していく。
私はただそれを続けているだけ。

A、B、C。
どれが一番うけると思いますか?
どれが最もお金になると思いますか?
どれなら観たいと思いますか?
そんなこと、私は周りに聞かない。

私は、自分が自分に課した使命を貫くだけ。
私に再び筆を持たせてくれた人のために。
私自身が生きるために。


(※1)2018年〜2019年にショーウィンドウ展示の依頼が来て制作費とギャラが入った時、どうしてもやりたい事を曲げられず、最終的には予算オーバー(オーバーした分は勿論自費)してしまった。終わってから振り返ってみて、我ながら計画性の無さに困り果てた。それでも作品に関して後悔は無かった。その時の「精一杯」ができたから。

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