「もったいない」という言葉の凶器

こんにちは、ジミーです!

さて今日は、先日ある方から言われた「もったいない」という言葉の真意を自分の中で考察したいと思います。(「多分考えすぎだよ」とか「その人も悪意を持って言ったわけじゃないと思うよ」等々ご意見あると思いますが気楽に見てください笑)

先日ある方とお話をしていたときに「外国語大(以下外大)卒なのにホテルのフロントの仕事を辞められて、リゾバをするのにも清掃の仕事希望なんて、そんなのもったいないですよ」といった類の言葉を言われました。その時の自分は「英語を使って海外の方の接客をするのは全然苦じゃなかったですが〜」と必死にフォローしましたが、後々思い返すとどこかチクリとくるような言葉だなぁと思います。

外大卒だからといって語学に関連した仕事に皆が皆就くわけではないし、ITエンジニアになる人もいれば、人と関わることのない工場の仕事に就く人もいれば、はたまた私みたいに卒業してから「自分に何ができるのか」を模索しながら生活をするフリーターになって仕事をする人もいるわけです。
また、外大に通う人でも私のようにものごとを繊細に受け取るHSPの人はいるし、それが僕にとっては負担?でホテルのフロントの仕事がうまくいかなくなった要因の一つだと考えています。

そんな今の多様性のある世界の中で「〜だから〜すべき」とか「〜を勉強した人、〜を卒業した人は〜の仕事をするべき、した方が良い」とか「その学歴でこの仕事ができないなんてもったいない」などある種の昭和的な言葉に今のZ世代に響くわけがありません。HSPという言葉が昔と比べて認知されるようになった以上、全ての人がHSPという言葉を知って欲しいわけではないですが、自分とは性格も特徴も違う人がおりその人たちの集合体でこの社会や世界が成り立っている、という多種多様的な考え方をしてほしい、というものです。

私自身、昔から周囲の人に「こうすべき」や「こうした方が良い」などといった教訓のようなものを押し付けられてきた気がします。(もちろんアドバイスは聞く分には聞いてきたつもりですが)
例えば、高校進学の際に周りの同級生は近くの人気の普通科高校や私立高校にいく子が多かった中、自分は英語を勉強したくて通学に1時間近くかかる高校を選びました。その際に中学時代の先生からは「近くのここの高校にした方が良いんじゃないか」とか「ここの高校の方がいろんなことを学べるぞ」的なことを言われていました。
ただ、自分としては英語を学べる高校の方が自分の短期的な目標に近づくし、その高校の雰囲気が好きだったことがその高校に応募するきっかけになりました。おそらく、中学の先生もその高校へのアクセスや通学に伴う体調等を気遣ってそういってくれたのかと思いますが、今振り返ると”アドバイス”ではなく、それよりもっと強い”教訓”的なものだったのかなと思います。

昔と比べて仕事に対する選択肢が増えたからこそ、また、個人が自由に自分の人生を選べるようになったからこそ、その人の夢や目標、性格や特徴に合わせて仕事を選べるようになったのが今の時代だと思います。(昔の人が自由に選べていなかった、というわけではなく、終身雇用が崩壊し自分の目標やキャリア、生活観などから転職を自由にできるようになったという意)

また、そうやって「もったいない」と言われた子どもたちは、もっと親や先生の期待に応えようと他人中心の生活や意思決定を行うようになり、自分の人生なのに他人にものごとを決断してもらう人に成り下がってしまいます。親や先生は自分の子どもたちや生徒たちが幸せな人生を送るのに周りにいるはずなのに、自分たちが布施を行うことでその人生を送らせるのが叶わなくなってしまい、それでは本末転倒です。

音楽の歌詞を引用するのは場違いかもしれませんが、優里さんの「ピーターパン」にある歌詞が今の自分に響きました。

”大人の言う常識なんてものは
丸めて捨てちまえ”
”大人のあんたも知らない世界を
俺は生きてるんだ”

どこか着地点を見失ったような記事になってしまいましたが、僕自身が今後の生活を送る上で他人に決めてもらう生活やその人の価値観に沿った意見で無駄にしたくないと思ったし、今後は正社員などのいわゆる会社員と呼ばれる働き方で働きたくないなぁ、と考えているので、先日のこのある方から言われた言葉を引きずらずに自分らしく決断し行動していければと思います。(リゾバで各地を自由に旅しながら働くのが自分の現時点での理想。)

ここまで読んでいたただきありがとうございました。

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