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「半自伝的エッセイ(28)」アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ

チェス喫茶「R」から徒歩5分ほどのところにイタリアンレストランがあった。大通りから細い道に曲がりさらに路地を入ったところにあるビルの二階という立地のせいで知らない人はまったく知りようのない店だった。私は「R」の誰かからその店の存在を聞いて時折訪れていた。マスターとも顔馴染みだったが、その日はいつも店を手伝っている奥さんの姿がなく、マスターが自分でお冷やなども運んでいた。帰り際に理由を尋ねると、奥さんは体調がすぐれずに床に伏せているという。医者にも見せたが原因がまだわからない。長引く恐れもある。
「藤井君、バイト代は弾むから、手伝ってくれないか?」
「奥さんの代わりなら女の子のほうがよくないですか?」
「いや、かみさんがやきもちを焼くかもしれない」
そんな経緯で翌日からランチ時と夜の七時ごろから私はこの店でアルバイトをすることになった。賄いが目当てということもあった。

隠れ家的な店といえば聞こえはいいが、あまり知られていない店なのでそれほど客の入りが多いわけではなかった。昼は周辺のサラリーマンやOLが十人ほど、夜は3組から5組ぐらいのカップルというのが平均的な一日の客の入りだった。夜は酒も出るし客単価も高いが、これだけで店を回していけるのだろうかと私は不安になった。

当時マスターは40代で、若い時に単身イタリアに渡り5年ほど修行をしたという。料理をしているところを見ると、実に手際がよく、流れるように次から次に一皿、また一皿と仕上げていく。パスタを茹でる時間を除けば、ほとんど立ち食いそばではないかと錯覚するほどの早さだった。
ある日、昼の営業を終えて賄いをいただいている時に尋ねてみた。
「イタリア料理ってみんなこんなに短時間でできるものばかりなんですか?」
「いや、時間がかかったり仕込みが大変なものもあるけど、お客さんの回転を上げたいので、そういうのは今は作らないことにしている」
とマスターは言うが、そんなに客の回転は早くはなかったし、回転が早くなければいけないほど客の入りがいいわけでもなかった。
「今、いただいている料理はメニューにはないですけど、どうして出さないんですか?」と、私は初めて食べたそのパスタ料理がとても美味しかったので聞いた。
「これ? あっ、これは、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノっていうだけど、パスタソースのベースみたいなもので、料理とはいえないんだ。和食でいうと出汁みたいなものかな」
そういわれてみれば、厨房に注文を通すとマスターは確かにこのアーリオなんとかをすぐに用意し始め、そこにベーコンやらトマトやら鶏肉、アサリなどを足して行って一皿に仕上げていた。
賄いで食べさせてもらっていた一皿は、イタリアンパセリを細かく刻んだものがオリーブオイルに浸っており、油に移ったその香りが食欲をとても刺激した。
「これ、出しましょうよ」と、私は言った。
「いや、出汁は出せないでしょ」と、マスターは却下した。

それからしばらくして、私はランチ営業が終了してから、「R」に電話をし、そこにいた何人かを店に呼んだ。
私はマスターにお願いしてみた。
「あのアーリオなんとかをみんなに食べさせてもらえませんか?」
「いいけど、あんなのでいいの?」
「お願いします」
その時、「R」からは、美大生の蒼ちゃん、印刷会社の中村さん、仕事をさぼってよく油を売っていた営業職だという田中さんが来ていた。アーリオなんとかを食べた三人は、口を揃えて、「美味しい」と言った。田中さんが一番感動したようで、「自分はあっちこっちでいろいろ食べまくってますが、これ本当に最高です」と感想を述べた。
「こんなものが?」と、マスターは田中さんに聞き返した。
「ええ、このシンプルさがいいんです。初めて行った蕎麦屋で私はまずかけそばを注文します。それが美味しければまた来ます。美味しくなければもう行きません。この店でこれを食べた人は、他の料理もきっと美味しいし、それ以上だと思うはずです」と、田中さんは力説した。
「そうなのかな・・・」と、マスターはまだ半信半疑のようだった。

私は店のレジ打ちもしていたから、このイタリアンレストランの収支もだいたい把握していた。家賃、光熱費、仕入れのコスト最大要素だけをざっくり引いただけでも、おそらく一日の利益は一万円もないはずだった。私のバイト代を差し引くと、数千円になってしまう。だから奥さんが手伝っていたのだろうが、それでも経営は苦しいに違いなかった。

その日、食べに来てくれた三人と「R」に戻った。
私は三人に尋ねた。
「今日、食べてもらったパスタ、本当に美味しかった?」
三人が三人とも肯定した。
「あれ、店で出したら、売れる?」
三人が三人とも首肯した。私はレストランの窮状を説明してから、私は蒼ちゃんにお願いをした。
「あのパスタを宣伝するためのチラシを作りたいんだけど、お願いできない?」
「美大だからよく間違われるんだけど、わたしはパースとかなの」
「パースって?」
「その説明は面倒だから。でも、藤井君の言いたいことはわかった。チラシのデザイン、やってみる」
「ということは、俺はそれを印刷すればいんだよな」と、先を見越して印刷屋の中村さんが言ってくれた。
その談合から一週間ほどでチラシが出来あがった。私は最寄りの駅の朝と夕方にそのチラシを配った。両隣の駅でも同じことをした。
チラシには、「日本で唯一、ペペロンチーノが食べられるお店!」と大文字で入れた。「日本で唯一」かどうかわからなかったが、マスターがアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを出す店はないでしょと言っていたので、「唯一」にした。料理の名前を考える時、かなり困った。なぜなら、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノと表記しても、おそらくほとんど誰もなんのことかわからいはずだからであった。ニンニクを意味するアーリオは語感は悪くないけれど、ニンニクを忌避する人がいるだろうという観点から却下され、油を意味するオーリオは女性に嫌われるかもしれないという観点から却下され、唐辛子を意味するペペロンチーノが残った。それを料理名にした。蒼ちゃんのアイデアだった。田中さんの提案で、チラシには、「イタリアのかけ蕎麦!」という文言も入れた。忙しいサラリーマンに訴求するはずということだった。

数日をかけて数千枚のチラシを配り終えたが、ペペロンチーノを注文するお客さんは一日に数人しか現れなかった。失敗したかなと思っていた時、私はかなり落ち込んでいたのだが、ある日、ランチ営業の前に店の前に行くと、店の入り口に至る階段に行列ができていた。開店すると、待っていたお客さんの9割がペペロンチーノを注文した。翌日からその状態が続いた。マスターはそれこそ立ち食い蕎麦のようにどんどん注文を捌いていった。それでも待てないお客さんが列から離れてしまうこともあった。そこで、ランチタイムはテーブル席を取り払い、店内の半分を立ち席にすることで、回転率が上がりようやくすべてのお客さんに対応できるようになった。するとさらに多くの注文に対応しなければならなくなり、マスターだけでは調理が間に合わないので、私も厨房に入ることになり、お客さんの入りに合わせてパスタを茹で、洗い物をすることで、マスターが調理に専念できるようにした。接客には蒼ちゃんを動員した。

蒼ちゃんが名付けたペペロンチーノは、減価率が一番低かった。なにせ、ベースとなるオリーブオイルにパセリを使っただけだったから。それが私の狙いでもあった。客単価は落ちるものの、回転率が急激に上がったことで、利益をかなり確保できるようになった。

アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノがうまくできるようになると大抵のパスタは作れるよとマスターが言っていたので、私は賄いの時に作り方を何度か教わった。しかし、うまくいくことは稀で、「ちょっと遅いな」とか「ちょっと早いな」といつもマスターに言われてしまった。ちょっと遅いとか早いというのは、フライパンを火から下ろすタイミングのことだった。フライパンにオリーブオイルを入れ、そこにやや厚めスライスしたニンニクを落とし、火にかけるのだが、ニンニクが焦げるか焦げないかのタイミングがベストだというものの、余熱で火が通ってしまうので、見た目より早く火から下さなければならないが、早すぎるとニンニクの生っぽさが残ってしまう。ニンニクはその日によって水分含有量が異なるので、そのタイミングは時間では計れなかった。結局、私は一度も完璧なものを作ることができなかった。しかし、ひとつのことを学んだ。学んだというより気付いたというほうが正確かもしれない。パスタのベースとなるアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノというのは、どこかチェスの序盤に似ているということだった。序盤に失敗したゲームは、どこまでいっても良くなることは稀だった。逆に、序盤を精緻に組み立てられたゲームは自然と形勢が良くなる。この note を「チェスのレシピ」としたのは、この時の思い出があるからである。


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