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「半自伝的エッセイ(46)」アグネス・ラム似のアザラシに尋ねる、「時間は誰のものか」

私が足繁くチェス喫茶「R」に通っていた時分、つまり私が学生だった頃のことだが、会社勤めをしていた人は55歳だかの定年ですっぱり辞めて退職金をもらい後は年金でそれなりに暮らしていくという人が多かったように思う。退職時にはすでに孫も何人かおり、中にはもう孫が中学生だったりと、今ではちょっとなかなか見つけるのが難しいほど、人の遺伝サイクルというのだろうか、それが短かった気がする。

チェス喫茶「R」にもそういう人が何人かいて、退職後の新たな目標や趣味であったり、あるいは単に暇つぶしであったり、理由はそれぞれであっただっただろうが、第二の人生の伴侶としてチェスを覚えて指すようになった人とも知り合った。

そういう人の中には有り余る時間をチェスの研究に遺憾なく投入し、メキメキ腕を上げる人もいて、年齢が若いほどチェスが強くなるという定説が怪しくなるほどだった。三浦さんも退職してからチェスを覚えた人で、性格的なものなのかあるいは理系の知識を活かして働いてきたためなのか、チェスにも才能を発揮していた。その三浦さんが、自分の子供の年齢のような私をなぜか可愛がってくれて、何局か指した後に決まって呑みに誘ってくれた。

私からはチェスの知識ぐらいしか提供できなかったが、三浦さんの豊富な人生経験は私の未熟な人間性が暴発してしまうのに何処か歯止めをかけてくれるようなところがあった。三浦さんの指し回しはチェスを覚えて半年というキャリアからは想像ができないぐらいどっしりとしており、相手に十分な駒組みをさせてからいよいよという感じで戦端を開くのだった。そういう棋風にも三浦さんの鷹揚な人柄が現れていたが、なんとなく無理をしているようにも感じられた。

二人で呑んでいる時のことだった。
「チェスって面白いんだけど、最終的な目的というか意味というかがよくわからないんだよね」と三浦さんが言った。
それまでに何度も三浦さんとこうして呑みながら話をしていたから言いたいことはおおよそ察することができた。たぶんこういうことだった。若くして結婚し子供にも恵まれ必死になって働き子供たちを育て上げた。その子供たちも子供を作った。会社ではそれなりの実績を残し、役職にまで就いた。でも、チェスにはそういう価値観では計れないところに意義みたいなものがあるらしいのだが、自分にはそれがよくわからない。
それについては私も知りたかったが、私にだって答えはなかった。

三浦さんもチェス喫茶「R」にいた日だった。小高さんが店に入ってくるなり、「うちの近くの川にアザラシがいたんです!」とスカートの裾を揺らしながら言った。
「アザラシって北極にいるんじゃないの?」
「いや、北方領土あたりにもたしか生息してるんじゃないか?」
「それはオットセイだろ」
などと無責任な発言が相次ぎ、だったら見に行くかという話の流れとなった。私たち四、五人は戸田さんのクラシックベンツに乗ってその川まで出かけた。たぶん江戸川だったのではないかと思うのだが、ちゃんとした記憶はない。小高さんの案内でその川のアザラシがいたという土手まで車を乗り入れると、本当にアザラシらしき動物が対岸の護岸工事されたコンクリートの上で寝そべっていた。今であればスマートフォンやカメラを持った人が鈴なりに集まり、テレビ局も中継を出したりしている状況かもしれなかったが、その時は偶然犬の散歩で通りかかったというような人ぐらいしかその場にいなかった。

対岸といっても川幅はそれなりにあったから、陽を浴びて寝そべっている黒い物体がアザラシなのか別の生き物なのかよく見えなかったものの、そもそもきちんとアザラシを知っている人はそこにいなかったわけで、私たちはそれをアザラシであると考えて眺めていた。時折、胸ビレみたいなのをパタパタと動かす姿には愛嬌が感じられた。

小高さんが「おにぎりかサンドウィッチみたいなもの買ってきますね」と言って戸田さんとどこかに行ってから、残された私たちは土手に座ってアザラシを眺めていた。そうは言ってもアザラシは寝そべっているだけであり、芸を披露するでもなく鳴くでもなく、私たちの存在を気にするわけでもなく、そんなアザラシを見ていた私たちも土手の草の上に寝そべった。

私の横に寝そべっていた三浦さんが「いい感じだね」と空を見上げながら言った。私は空を見た。秋らしい雲が浮かんでいた。「そうですね」と私は答えた。
三浦さんはそうではないというふうに対岸のアザラシを指差した。
「あれ」
「アザラシですか?」
「あんな感じで時間を過ごせるといいんだけどね」と三浦さんは私にというより自分に向けて言った。
「四十年近く朝から晩まで働いてきて、そのおかげで娘たちも大学にやれたし、それなりの人のところに嫁がせることができたけど、こうして暇になると何をしていいのかわかんないんだよね」
「それでチェスを始めたのですか?」
「うん」
「でもチェスだとどこか満たされないとか?」
「そういうわけではないんだけど、なんだかうまく言えないなあ」
三浦さんの隣に寝そべっていた野月さんが、
「アザラシってどこかアグネス・ラムに似てますね」と言った。
そんな話をしていたら小高さんと戸田さんがおにぎりやら唐揚げやらを買い込んで戻ってきた。私たちはそれらを食べながら対岸のアザラシを眺めていた。
「アザラシって何を食べてるんですか?」と誰にともなく小高さんが聞いた。
「プランクトンとかじゃないか」
「それじゃ腹がくちないだろう」
「やっぱり魚ですかね」
「アザラシって哺乳類だっけ?」
「じゃあ、鯨の仲間か?」
「だってアザラシの卵って聞かないじゃないですか」
などとアザラシのことをよく知らない人たちの会話が続いた。
対岸の人間の無知に呆れたのではないだろうが、アザラシは護岸から転がるように水に落ちると姿を消した。

「それじゃちょっと遊びに行くか」と言って立ち上がったのは戸田さんだった。
「どこかに行くんですか?」と小高さんが尋ねた。
「すぐそこ」
私たちはまた戸田さんの車に乗った。助手席に座っていた私に戸田さんはズボンのポケットから財布を取り出し、「みんなに軍資金を渡して」と言った。よくわからないまま渡された戸田さんの財布を開くと札束がぎっしりと詰まっていた。
「これを分配しちゃっていいんですか?」
「アホ、とりあえず一枚ずつだ」
言われたとおり私は一万円札を後部座席の三人に配り、自分にも一枚取ってシャツの胸ポケットに入れた。この頃になると私は戸田さんが向かっている場所がわかった。競艇場に違いない。以前、戸田さんには別の競艇場に連れて行ってもらったことがあった。後ろの三人は一万円札を渡されてキョトンとしていたが、小高さんが「どこに行くんですか?」と尋ねた。
「藤井君、教えてあげて」
「たぶん、100%競艇場だと思います」
「競艇って、あそこの川でやってるやつですか?」
「そうそう」と戸田さんが嬉しそうに答えた。
戸田さんは別にして私以外に競艇をやった人はいなかった。私にしても戸田さんに連れて行ってもらった一回だけである。
「これだと思うのに賭ければいいから」と戸田さんは一通り競艇の仕組みを説明してから言った。
水面近くに陣取った私たちはボートの爆音に曝されていた。
「すごい音だね」と私の隣に座る三浦さんが言った。
思い思いに舟券を買ってみた私たちの誰も儲かっていなかった。
「ちまちま買ってないでドーンと書いなよ」と最終レース前に戸田さんが言った。結局、誰も儲けることなく、戸田さんがみんなに配った一万円札はきれいに消えてしまった。

「最初はさあ、人のお金で賭け事するってなんだか後ろめたかったんだよね」と居酒屋で二人で呑んでいた時に三浦さんが言った。
「この前の競艇のことですよね」
「そうそう。でもさあ、そのうちにこのお金を無くしてちゃっても自分の懐は痛まないんだと考えたら、ちょっと気が大きくなったんだよね」
「わかるような気がします」
「自分は働いている時に、まあ今でもそうなのかもしれないけど、お金は自分のものだと思っていて、時間も自分のものだと思っていた。でも、そう考えていると、どっちもちまちましか使えないんだよね。どこか勿体なくて」
「それもわかるような気がします」
「でもさ、時間だって誰からかもらったと考えたら、ドーンと使わないと勿体ないんじゃないかってちょっと思わされた」
「なんに使うつもりなんですか?」
「まだわからないけど、ちまちま使うのはやめる」そう宣言して三浦さんは二杯目のビールを注文した。

(この回終わり)


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