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「半自伝的エッセイ(42)」ハルクの定理:関数=将棋・チェス→証明不可

高校時代のことである。朝自宅を出る時には学校に向かった。当たり前といえば当たり前の話である。授業も一応とはいえきちんと出ていた。だが、帰宅するのは学校からではなく雀荘からだった。

親は部活で遅くなっているものと思っていたが、私の部活といえばそれは麻雀だった。授業が終わると雀荘に直行し、まだ正気が残っていたから十九時ぐらいにはお開きにして帰宅していた。同級生で面子が揃わない時には上級生の卓に加わっていた。

そんなある日、行きつけの雀荘のひとつに私はいた。もし待っている牌が来たらどの牌を捨てるべきだろうかと相手の捨て牌を眺めながら考えていた時である。雀荘の入り口を開けて入ってきたのは、生徒指導担当のハルクであった。ハルクはその渾名のとおり、ハルク・ホーガンに似ていたからそう呼ばれていた。どこからどう見ても体育の教師でしかないのだが、実際は数学を教えていた。入り口に対面していた私は真っ先にハルクの到来に気がついたが、すでに時は遅かった。

ハルクは私たちの卓に迷わず歩み寄ると、一人ひとりの背後に周り、「うん」「なるほど」などと言いながら、それぞれの手牌を評価しているようであった。私の後ろに回ると、私の肩に手を置き、「お前、どけ」と言った。私が言われるがまま席から立ち上がった後に、ハルクがその席に座った。そして「さあ、続けるか」と言って座っている面々を見回した。

誰もが事の成り行きを理解できないでいた。学校に連れ戻されて、お説教を食らった後に、親に連絡があると思っていたからである。
「どうした、続けないのか」と言うハルクの声に促されて、西家が牌を捨てた。ハルクの背後でゲームの進行を見守っていた私は、ハルクの打ち方に感心していた。それはかなり大胆な打ち方だった。いまさら大きな役は作れないのはずなのに、8000点以上を狙っているとしか思えないものだった。そして、上がってしまった。

「俺がお前らの手牌を知っているから、上がれたと思っているのか?」そうハルクは言った。たしかにハルクは全員の手牌を知っていたわけだから、そのとおりだとも言えた。「俺が座った時まで戻せ」と言って、牌を戻させた。そして、「お前、座れ」と言って、私を席に戻させた。

私が席に戻ると、ハルクはさらに全員に手牌を場にさらすよう命令した。四人はそれに従った。「これをよく覚えておけ」とハルクは言い、場を指差した。そして、雀荘から出て行った。

数日後にハルクの授業があった。ハルクは教壇に立つや否や、「今日は麻雀を教える」と宣言した。もともと教科書をまったく使わない授業スタイルではあったが、それでも数学に関する話はしていたから、いきなり麻雀というのは私への当てつけというのか、間接的な脅しのように感じられた。麻雀と言いながらもハルクは、私が(そして教室にいた誰もがだろうが)知らない記号をどんどん黒板に書いていき、それを説明していった。しばしばその腕力でチョークが折れた。どうしてそれが麻雀に関係するのかがほとんど理解不能であった。ずいぶん何年も経ってから、ハルクが黒板の前で熱心に語っていたことは、どうやら群論についてであったようだと知った。

今でももちろん群論と麻雀がいかに関係するのか理解できないのであるが、私が漫然と悩んでいた手牌を見事に8000点に変えてしまったハルクの手際を見て、数学が麻雀に役立つらしいことに、なんとなく憧れのようなものが芽生えた。

雀荘で見つかってからもなんのお咎めもなく夏休み前の登校日になった。ホームルームみたいなものが終わり、廊下を歩いていると、ハルクが声をかけてきた。
「お前、うちの近所だよな?」
「は?」
「XX駅だろ?」
「そうですが」
「俺、XX駅」
ハルクが言った駅は私の自宅の最寄駅の隣駅だった。
「夏休み、暇だから一度うちに来いや」と行ってハルクは自宅らしき住所が書かれた紙を私に手渡した。
来いと言われてもなぜハルクの家に行かなくてはならないのかが私にはまったくわからず、かといって行かないと雀荘にいたことを咎められそうでもあり、決断がつかないままに私はひとまずハルクの家を地図で確認することにした。近所とはさすがに表現できないものの、自転車で15〜20分ぐらいで行けそうであった。ハルクの家に行くべきか行かざるべきか、私の高校二年の夏休みの始まりはその問いを考えることで過ぎていった。

もしハルクの誘いを無視した場合、夏休み明けに学校で会ってしまった時(というか必ず授業はあるのだから)、どんな顔をしてどんな言い訳をすればいいのだろうか。「忙しくて」そんな言い訳が通用するわけがなかった。夏休みの宿題というものが皆無の学校だったから、生徒はほぼ例外なく暇であった。中華料理屋の息子であった植村君は朝から店の手伝いでうんざりしていたが、そういう事情でもなければなにをしても基本的には自由だし、それが有効な時間の使い方であれ、無為な使い方であれ、個人に委ねられていた。ということは、どうやら私には夏休みのどこかのタイミングでハルクに家に行かないという選択肢はないようであった。だったら先に済ませてしまうのが賢明な人間の態度であろうと、休みに入ってから一週間ほど経った七月の下旬にハルクの自宅に自転車で向かった。

ハルクの家に辿り着き、呼び鈴を鳴らすと、玄関から少し離れたところにある小窓が開き、ハルクが顔を出した。
「待ちくたびれたぞ。さっさと入れ」
私は玄関の引き戸に手をかけてそれを開けた。鍵は掛かっていなかった。夏の眩しい日差しの下にいた私の目には玄関内部が暗闇でしかなかったが、それでもどこか異様な雰囲気を感じた。目が慣れてくると異様なものの正体が見えてきた。三和土というのだろうか、靴を脱いだり履いたりする地面の面積が異常に狭かった。なぜそんなに狭いかといえば、左右に本の山ができていたからである。その本の山は玄関を上がったところから、さらに廊下の奥にまでずっと延びていた。
「そこの襖」
私が玄関を上がったあたりのタイミングで、どこかからハルクの声がした。襖というのはすぐにわかった。なぜなら、そこだけ本の山が途切れていたからである。襖を開けた先はおそらく八畳ほどの和室だった。おそらくというのは、この部屋も周囲が本の山であって、一見しても部屋の広さが判別できなかったからである。中央に空いたスペースには、なぜか立派な将棋盤が据えられていた。

そこにしか身を置く空間がないので将棋盤の前の座布団に座って待つと、ハルクが両手になにやら抱えて部屋に入ってきた。
「おお、そっちは上座だぞ」
そう言ってハルクは、私の向かいにドスンと腰を下ろすと、ビール瓶とコップと薬缶を無造作に畳の上に置いた。
「まあ、いいや、今日はお前が客人だから、上座におれ」
そう言われても床の間があるわけでもなく、一体どういう理由で上座と下座が決まっているのかわからなかった。
「お前、ビールは?」
「いや、さすがに」
「じゃあ、俺だけいただくとするか」そう言ってハルクは瓶の蓋を抜き、グラスにビールを注いだ。「お前は、それをやってくれ」と指差された薬缶の表面には水滴がびっしりとついていた。グラスに注ぐとそれは麦茶のようであった。
「将棋、指すだろ?」
「はあ」
「はあ、じゃねーよ」
「はい、ルールぐらいは」
「お前、俺の目が節穴だと思っているのか?」
「いや、たしかに小学生の頃、しばらく夢中になってました」
「だろ?」
「でもなんで?」
「麻雀」
「麻雀?」
「麻雀やる奴は100%将棋を知ってる」
「そうなんですか?」私は尋ねることしかできなかった。
「それは俺があの学校で教員として学んだ唯一のことだ」
「麻雀をやる全員ですか?」
「100%と言っただろ」
「はい、そうでした」
「お前の麻雀はとくに将棋っぽかった」
「え?」
「まあいい、一局指そうじゃないか。先手後手どちらがいい?」
「どちらでも」
「ほお、だいぶ自信があるな」
自信があるもないも、先手のほうがいいに決まっていたが、自分の希望を述べるのが躊躇されただけだった。
「だったら俺が先手」
ハルクは遠慮なく先手を選んだ。

時折ビールを飲みながら指すハルクの手は遅かった。一手一手たっぷりと時間を使って次の手を指した。その姿はまるで持ち時間の長いタイトル戦でも戦っているかのようであった。ただ、将棋からすっかり離れていた私にはそれは好都合だった。ハルクが考えている間に次の手をじっくり考えるというか、思い出すというか、とにかく早指しだとおそらくすぐに負けていたであろうぐらい、私は長い期間将棋を指していなかった。

考えることに飽きてくると、部屋を見回したりもした。ハルクと私はぐるっと本の山に囲まれていたのだが、タイトルが読めるものはどうやらすべて数学に関する本か雑誌のようだった。数学の教員なのだからそのことに特に不思議はないのだが、玄関から続く本の山また山がどれも数学の本であったら、それはそれで異様な感じがしないでもなかった。

「今日はここまでにするか」と、指し手を長考していたハルクが唐突に宣言した。まだ三十数手ぐらいしか指していない局面だった。
「はあ」
「続きは明日」
「え?」
「明日は昼ごろ来いや」
嫌ですとも用事がありますとも言えず、私は翌日もハルクの家で将棋を指すことになった。
ハルクは昨日からの続きの一手を指してから「天丼でいいか?」と私に尋ね、私の返事も聞かずに部屋から出ていった。どこかから「上天丼二つ」という声が聞こえた。
ハルクが一晩悩んだ手は一晩悩んだだけあって私を悩ませた。封じ手を提案しなかった私は後悔した。そもそも封じ手をしなかったハルクは狡くはないか。そんな私の後悔や非難めいた思いを見透かしたかのように、「年功序列」とハルクは言った。
出前が届き、私たちは上天丼を食べながら、やはり将棋を指していた。昼休みという制度はないようであった。
「悪いな、天屋物で」
「いや、美味しいです」
実際のところ、その天丼は美味しかった。おそらく、上天丼を食べた私の最初の経験だったと思う。
「カミさんが出てっちゃってさ」
これにどんな反応をしていいのかわからず、私は話をずらした。
「ところで、先生」
「うん?」
「どうして雀荘に居たことを不問にしてくれたのですか?」
「お前らを学校にしょっ引いて、説教して、親に告げ口して、それで誰が幸せになる?」
「・・・」
「誰も幸せにならないだろ」
「助かりました。ところで、先生」
「また、ところでか」
私にはぜひにも尋ねたいことがあった。
「麻雀と関連するというあの数学の話ですが」
「ああ、あれ」
「どう関連するのかわからなかったのですが」
「俺にもわからん」
「え?」
「もしあれが俺にわかっていたら、高校でお前たちに数学なんか教えてないわな」
「どういうことですか?」
「あれはほんの入口、ただの定義の話」
「そうなると?」
「究極のところは、俺にもわからん」
「難しい分野ということですか?」
「まあ、そういうこと。それより次の手はどうした?」
そう促されて将棋を指していたことを思い出した。私は7三に桂馬を跳ねた。
「将棋に役立つような数学はないんですか?」
「あえて言えば関数かもな」
「関数ですか?」
「お前はどうすんの?」
「どうするというと?」
「文系か理系か」
そう言われれば夏休み明けにはどちらかを選択する必要があった。
「まだ決めていません」
「数学はやめとけ」
「どうしてですか?」
「少しぐらい脳味噌がいいぐらいじゃ、高校の教師になるのが関の山だからだ。俺がいい例だ。俺を見ろ」
そう言われて、盤面から顔を上げ、ハルクの顔を見た。ハルクは口の端を少し曲げて、笑うような表情をした。
「もうひとつ教えてやる。二十七手詰めだ」とハルクは言った。
「は?」
「二十七手詰め」そう言ってハルクは駒を動かしていった。本当に二十七手詰めだった。
帰り際、「ちょっと待て」と言うので待っていると、「ほれ」と本を差し出された。それは関数の本らしかった。その夏はそれから週に二、三度ほどハルクと将棋を指した。一度も勝つことができなかった。夏休みが明けて、ハルクに言われたからではないと思うのだが、私は文系を選択した。

大学に入ってすぐに私はチェスを知った。しばらくして将棋に関数が役立つならばチェスにも役立つはずだろうと思い至った。そこで私はハルクからもらった本を繙いてみた。大学で数学を専攻したのであればきっと二、三年次に勉強する内容だったから、私には最初の導入ぐらいしか理解できなかった。それでも頑張って読み進めてはみたものの、将棋にもチェスにもこれといった明確なつながりが見つけられないまま、本を閉じた。理系に進めばよかったかなという感慨がふと頭をよぎったが、その選択をしていたなら百合ちゃんとポーランドでチェスの大会に出るようなことはなかったかもしれない


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