はまだい#小学校教員

新潟出身 #教員 #笑顔 #教員を笑顔に,子どもも笑顔に

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最近の記事

共に感じる

子どもの自立について最近考えることが多かったのだが、この言葉が響く。 一人一人に合う物差しをもつことは、前回考えたフィードバックともつながる。 その子の現在地と願いを探ることを大事にしていきたい。こういった言葉に出すだけではなく、今できる限りで一人一人を想像して書き出してみる。 そうすることが、”一人の人間として、その子に共感していけるように”という部分につながると思う。 その子に思いを巡らせ、接したり、言葉を伝えたりする中で、 「一緒に考えてくれている」 「一緒に楽しん

    • フィードバックとは

      自分の今年度の目標として、「フィードバックの量を増やす」ことを意識し、実践してきた。今までに比べれば確かにフィードバックの量は増えたのだが、少しひっかかっている部分もあった。 果たして、これが自分が意識したかったことだったのだろうか。 子どもの様子を見ていると、一人の子どもが返されたノートを見て、「先生、今日はコメントないんですか?」と伝えてくれることもあった。言葉にしなくとも、ノートを返されるとすかさずノートを開いてどのようなコメントがあったか確認する子どももいた。

      • 教えるとか教えないとか

        最近、ある先生とお話しする中で、次のような話がありました。  私は、これまでの経験からこの話にすごく共感しました。もちろん、教えること、教えないことについて考えることを否定しているわけではありません。ただ、一時期直接的に教えずに、子どもから引き出すことを大事にするあまり、指導できていなかった自分がいました。どこか直接的に教える、伝えることは、自分の力量のなさを具現化しているように感じ、自分の想いを伝えずに終わることが多くありました。  今思えば、その通りで自分の力量と思考

        • 自分なりの「教育とは?」

          先日、#watcha九州選考会の中で井上先生が、井上先生なりの教育についてお話しされていた。 ちょうどその日の問いとして、「学校とは?」「教育とは?」という問いが頭に引っかかっていたので、今回は、「自分なりの教育とは?」について考えていきたい。 「自分なりの教育の目的」 教育基本法では、次のように記載されている。 このことを踏まえた上で、一人一人に教育の目的があると思う。 もちろん重なる部分もあるが、自分でいえば “今も未来も豊かに生きるため” に教育があると思う

          アオアシと仮説

          大好きな先生から教えていただいた 『アオアシに学ぶ「考える葦」の育ち方  〜カオスな環境に強い「頭の良さとは〜』 アオアシが大好きな漫画であることに加え、自分が最近関心をもっている「仮説」についての項目があったため、即購入した。 はっきり言って、買ってよかった。 今日は、その中から一部抜粋して、まとめていきたい。 ※気付きの全てを紹介したいほど、学び多き本です。 ただ、引用しすぎるのも憚られるので、最低限のご紹介になります。 自分がすでになっているのですが、全文を読み

          心は近くに

          昨日は、廣瀬先生(ガチャピン先生)が運営する「ズムズム」というサークルに朝から参加させていただいた。 恐れ多いことに、廣瀬先生からお声かけいただき、二人でお話しさせていただく時間があった。 私は初参加で、初対面の方が多い中、とても緊張していた。 しかし、参会者のうなづきやのけぞるほど笑っている姿からあったかいなーと思いながら、気持ちよく参加し、話すことができた。 会が終わった後に、廣瀬先生に「ズムズム」で大事にされていることを聞いて、あのあったかい雰囲気に納得した。

          自分起点の学びを

          ”自分起点の学び” 最近、ある先生の投稿の中で使われていた言葉でしっくりきた言葉である。 教師自身が、”自分起点の学び”ができているか? 今の自分が大事にしている視点の1つ。 ここについて少し整理していきたい。 自分起点でない学び 他人起点の学び 今振り返れば、ここ最近までは、自分起点の学びではなく、少し辛辣な言い方をすれば、他人起点の学びだったのだろうなと思う。 「あの先生がおすすめする本だから買おう。」 「あの先生が読んでいる本を読んで、自分のあんな指導ができ

          自分起点の学びを

          自分が成長しにくかった原因

          先日、ある方とお話をする中で、自分が成長しにくかった原因が少しずつ分かってきました。 結論からいうと、教材研究の質です。 少し前までの自分 自分は、少し前までInstagramやTwitter、フォレスタネット等で担当学年の板書や実践を見ることが多かったです。 実践を見る際には、 ・子ども目線なら ・指導する目線なら ・学習材としては ・自学級で行うとしたら など 様々な目線や考え方があります。 見る実践の単元にもよるのですが、教材についての知識が少なければ、自分は

          自分が成長しにくかった原因

          本当に子どものためになる教育とは

          2022/08/27は,算数夏祭りがありました。 自分は,ずっとこの副題である「本当に子どものためになる教育」について考えたいなと楽しみにしていました。 研修前の自分の考え この副題に対して,研修の前には次のようなことを考えていました。 「個別最適な学びと協働的な学びを実現できているかな?」 「課題を設定したけど,子どもの追究したいものになっていたかな?」 また,ある方からは,次のようなお言葉をいただきました。 この言葉を聞いたとき,「確かに!」と納得したのですが,

          本当に子どものためになる教育とは

          「褒める」「認める」「価値付ける」

          年々、「褒める」ことを躊躇するようになってきました。 「自分の価値観を押し付けていないか。」 「過度にコントロールしようとしていないか。」 褒める前に自問自答し、結局伝えないという選択肢を取ることも多くなってきたように思います。 それによって、自分の中で違いが分かっていない「認める」「価値づける」も同時に減ってしまったように思います。 このままだと、子どもの行動に対して、適切なフィードバックができないと思い、今回は「褒める」「認める」「価値付ける」について整理していきた

          「褒める」「認める」「価値付ける」

          子と個

          先日,全国算数授業研究大会「今こそ問う,個を大切にする授業とは」に参加した。その中で,ある先生が,次のようなことを投げかけていた。 非常に重要な視点だと思う。 また,教育の文脈において「個」という言葉をよく耳にする。 自分でも「個」という言葉をよく使うときがあるが,「子」との違いについても疑問に感じた。 そこで,今回は,上のような視点に加え,まずもって「個とは何か。」「どういう意味が込められているのか。」について考えいきたい。 調べる前の「子」と「個」の使い分け ・

          今,どこを向いていますか?

          2022/08/11は,朝と夜に人と話す機会があった。 その際,響いた言葉が ”自分の内なるものを大切にする” ”どこを向いているのか?” の2つである。 ふとした疑問 最近,ふと自分の学級経営の軸ってなんだっけ?と分からなくなることがあった。 「お互いの笑顔を大切にする」 ふと出てきた言葉だったが,なんとなくしっくり来ない部分があった。 きっとこれまで,いろんな本を読んで,いろんな人と出会って,様々な価値観に触れて,影響を受けてきたと思う。それ自体はいいことだと思うし

          今,どこを向いていますか?

          「個別最適な学び」を実現するための,大事なこと②

          今回は,夏のリレー講演の2回目を振り返っていきたいと思います☺️第2回目は,若松先生のご講演がありました。 今回,学んだことや自分なりに調べていきたいことを整理していきたいと思います。自分語りになってしまっている部分もありますがご容赦ください。 研修前の自分のハテナ 「見取る」ことの目的を明確にすることによって,「見取り方」も変わってくると思います。自分は漠然と「見取ることがまだまだできていないのがダメだな」という段階だったので,今回を通じてより一層整理していきたいと考

          「個別最適な学び」を実現するための,大事なこと②

          「個別最適な学び」を実現するために,大事なこと①

          2022/07/30には,夏のリレー講演がスタートしました😌 第一回目は宗實直樹先生のご講演がありました。今回は,学んだことや自分なりに調べたいことを整理していきたいと思います。 何のための「個別最適な学び」か まず,そもそも何のための「個別最適な学び」かというお話がありました。 「すべての子ども」という言葉が,今の自分にとても響きました。 そのために,一斉授業や個別の時間などという形態に囚われることなく,「個」を見取り,その子の学びになっているかを探っていく必要性を感

          「個別最適な学び」を実現するために,大事なこと①

          「聴き合う」とは

          2022/07/30はモヤ活2に参加し,「聴き合う」をテーマに話し合いました。 自分の考えていた「聴き合う」 会に参加する前に考えていた聴き合うは, 「お互いの考えを聴いて,気になることや納得することが見つかること」と考えていました。 今,思えば聴き合うこと自体の捉えではなく,聴き合うことの目的に近かったと思っています。 他の方の「聴き合う」と「聴き合うではないこと」 まずは,それぞれが思っている「聴き合う」を共有しました。 ・討論とは違って相手の考えを受け入れる

          「聴き合う」とは

          指導を見直す

          ICT×学級経営研究会主催の「【出版記念セミナー第2弾!】叱る?叱らない?どう指導する?」に参加しました。 このセミナーは,自分の課題意識にもつながる部分がありました。 「指導が子どもに届いているのか?」 「叱るになっているのではないか?」 自分の中でも,日々指導をする中で,疑問をもつことがありました。自分の軸が定まっていない不安定な感覚もありました。そして,その不安定さを「教育に正解はない。」という言葉のもと,正当化してしまっていたかもしれません。 セミナーを受け