見出し画像

心は近くに

昨日は、廣瀬先生(ガチャピン先生)が運営する「ズムズム」というサークルに朝から参加させていただいた。

恐れ多いことに、廣瀬先生からお声かけいただき、二人でお話しさせていただく時間があった。

私は初参加で、初対面の方が多い中、とても緊張していた。
しかし、参会者のうなづきやのけぞるほど笑っている姿からあったかいなーと思いながら、気持ちよく参加し、話すことができた。

会が終わった後に、廣瀬先生に「ズムズム」で大事にされていることを聞いて、あのあったかい雰囲気に納得した。

“元気をもらいたいな、元気が足りていないなというときに距離は遠いけど、心は近くに”

確かに「心が近くにある」
そんな感覚だった。

私的な用事もあり、90分の参加で抜けてしまった後も、「まだまだ話し足りない」。そんな思いを抱えていると、廣瀬先生も同じような思いをもっていただけて、昨日の夜にもお話しさせていただけた。

今回は、その中で学んだことの一部に焦点を当ててまとめたいと思う。


タオルケットとキャンプファイヤー

指導を行う上で、どうありたいかという部分は、大事だと考えている。

廣瀬先生から言われた言葉で嬉しかったのが、
「タオルケットみたい」という言葉だ。

子どもたちをおっとりしながら包んでいるイメージから、「タオルケットはまだい」という称号をいただいた☺️

実際のところは、あまりできていない。しかし、ぐっと支えるというより、ふんわり支えるというイメージや、安心感を生むイメージは、自分のありたい姿につながる部分が多くあった。

タオルケットのように自分がいれる瞬間を感じていきたいと思う。

逆に廣瀬先生からリクエストがあり、何に喩えるかは正直かなり悩んだ。
ぱっと思いついたのは太陽!(ありきたりだ。)

廣瀬先生の印象といえば、
・明るい
・笑い
・計画的
・慎重
・温かさと厳しさなどが思いつく。

自分の中で右往左往したが、落ち着いたのは「キャンプファイヤー」だ。
「キャンプファイヤー」の周りには常にあったかい空気が流れていて、みんなでとても盛り上がる!ただ、近づきすぎるとパチっと熱い瞬間がある。

自分は、廣瀬先生に憧れる部分もあるが、なれないことは分かっている。しかし、話を聞くうちに重なる部分も多いことが分かってきた。


円のどこにいるか、何を見ているか

廣瀬先生の学級の様子をお聞きする中で、一人の参会者が、廣瀬先生のことを「円の中心にいる。」と表現されていた。
正直自分もしっくりくる部分があった。

ただ、廣瀬先生の話を聞くと、必要なときに協力してほしいという思いで、常にまとまりを求めているわけではなかった。

”円の中心のときに、先生というツールを使って子どもたちが繋がる。そのために中心に居るときもある。”

子どもたちのために、あえて中心にいるときもあるという話を聞いて、確かに自分もそういうときがあると感じた。


自分は、授業をする際に割と癖になっている立ち位置がある。同じ場所に立ち、同じ方向を向くことが多い。もちろん、定点観測のように同じ場所からいつも見ていることで気付くこともあるかもしれないが、デメリットも多そうだ。

先ほどの円の話でいえば、自分は円の外や円の中心にいることが多い。
円の中に入って円の外側や中間の位置の景色をあまり知らない。

まずは、子どもの席に座ってみることから始める。
自分がどこにいるか、何を見ているかの偏りを意識しつつ、視点や視座を少し動かすことをしていきたい。


愛のある評価

廣瀬先生と話の中で、教育会でもお笑いの世界でも突出する存在になると、できて当たり前みたいに見られたり、憧れの目線が多くなったりするという話になった。その状態になると適切なフィードバックが少なくなるのではないかと考えた。
ある意味、対等とは正反対である。

この話と廣瀬先生が大事にされている「評価」「脇の甘さ」の話が、つながった。

評価するならフォローまで

まず評価でいえば、プラスもマイナスも伝えるようにしているとおっしゃっていた。

フリ、オチ、フォロー

ふって終わるのではなく、オチをつけて終わるのではなく、フォローして終える。

例えば、マイナスの評価をして終わりではなく、その子に改善させて終わりでもなく、その行動を見取った上で、何をその子に伝えるかまで考えて行うということである。

廣瀬先生は、丁寧すぎるくらいフォローをしてくれる。この記事を書いている10/9は、トークの日で廣瀬先生の誕生日🎂なのだが、自分のために書いた文章に対して本当に一つ一つ返信をくださった。ありがたすぎる。

「愛情の反対は憎しみではなく、無関心」とはよく言ったもので、
マイナスでもプラスでもその子どものことを本当に思った上で伝えて、その後まで見取りフォローするという部分に愛が詰まっていると思う。


脇の甘さが対等な関係を生む!?

ここは廣瀬先生とお話しする中で、自分が考えたことなので実際はどうかは分からない。一つの仮説である。

先ほどの”突出すると適切なフィードバックが受けにくくなる”という話とつながる。これは、関係性が対等ではないからだと考えている。

廣瀬先生と話す中で、
「自分を下げることで、子どもを上げる」
「先生に勝つ部分をつくる」
という言葉があった。

これが、脇の甘さであり、対等な関係をつくるための1つの方法なのかなと考えている。

教師はどうしても先ほどのように評価する場面がある。そのような立ち位置だけでなく、あえて自分を下げることで、子どもが思っていることを言い易く、自然体でいられ、信頼関係につながるのではないかと考えた。

そういう関係性に加え、評価に愛があるために、子どもに伝えるだけで終わらず、子どもに伝わるんだと考えている。


廣瀬先生が子どもに伝えたいこと

キャンプファイヤーも円の立ち位置も、愛のある評価も全て廣瀬先生が子どもに
”自分ってすごいんやで”という思いを伝えたいからこそ、生きる方法なのだと思う。

自分でまとめていて、やっぱり憧れる。
ただ、自分は自分の道であるタオルケットを極めていきたい😂

自分は子どもに何を伝えたくて教師をしているのかは、まだ見つかっていないが、たぶんとてもシンプルなもののような気がしている。

終わりに

まだキャンプファイヤーの周りで興奮冷めやらぬ自分がイメージできる。

面白くも真面目で、楽しく学び多き時間をくださった廣瀬先生。
ありがとうございました。
ここに書き切れないくらい本当に細かいところまで、考えを教えてくださった。

自分は、子どもと”心は近くに”ありたいなと思う。
そのために、まずは視座を変える、フォローまで、タオルケットのイメージをもちながら過ごしていきたい。


最後までお読みくださり、ありがとうございました😌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?