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「個別最適な学び」を実現するための,大事なこと②

今回は,夏のリレー講演の2回目を振り返っていきたいと思います☺️第2回目は,若松先生のご講演がありました。

今回,学んだことや自分なりに調べていきたいことを整理していきたいと思います。自分語りになってしまっている部分もありますがご容赦ください。

研修前の自分のハテナ

・見取るとは何だろう。
・なぜ「見取る」ことは,大事なのだろう。

「見取る」ことの目的を明確にすることによって,「見取り方」も変わってくると思います。自分は漠然と「見取ることがまだまだできていないのがダメだな」という段階だったので,今回を通じてより一層整理していきたいと考えていました。

「個別最適な学び」を実現するために大事なことは?

一番最初に若松先生からこのような問いかけがありました。

自分は,「観と見取り」とノートに書きましたが,チャットには「観」とだけ打ち込みました。きっと以前の自分なら「見取り」や「子どもに選択させる自由度」などと打ち込んでいたと思います。もちろん,「見取り」も「選択させる自由度」も大事かもしれません。ただ,前回の学びから自分にまず足りないことが「観」だと考えたので,その言葉を打ち込みました。

「学ぶ」とは?

次に,若松先生から投げかけられた問いかけは,「学ぶとは?」です。

私は,「自分の知っていることを広げたり,深めたりすること。」が学ぶことと捉えていました。

他の方の考えの中には,以下のようなものもありました。

・変わる
・ゆたかに生きる
・自分が新しくなる

いろんな視点からの「学ぶ」があって面白いです。

本研修の前に若松先生の著書である『教師のための「支え方」の技術』を読んでいたのですが,そこには次のように書かれています。

私は,学ぶとは「『自分』をつくること,生きること」と考えます。学ぶことで自分の世界を広げたり,新たな自分をつくったりすることができます。
若松(2022),p.15

この捉えを読んだとき,若松先生は子どもが「生きる」ということを大事にされていると考えていました。

ご講演の最中に紹介されたのは,この後半である「自分の世界を広げたり,新たな自分をつくったりすること」でした。若松先生にもいろんな背景があると思いますが,私はこのとき『どうして「生きること」を入れなかったのか?』,「もしかしたら,若松先生の中で『自分の世界を広げる』という意味合いが大きくなってきたのか。」と考えていました。本当のことはわかりませんが,若松先生の捉えも試行錯誤の中でどんどん変わっているように感じて,ありきたりな言葉ですが,すごいと感じました。

そして,「学ぶ」を自分なりに整理するためでなく,目の前の子どもの姿からその捉えを見つめ直すとお話されていました。

「個別最適な学び」と「個別最適じゃない学び」

「個別最適な学びを実現するのは子ども?教師?」という問いかけや,具体的な選択肢から「個別最適じゃない学び」に対して参会者のみなさんで考える中で,改めて学ぶとは学習形態ではないことに気づかされました。

「結果」だけでなく「過程」を見つめる
「個別最適な学び」の理想像を追いかけようとしない。
「方法」だけでなく「過程」を見つめる
「個別最適な学び」の方法を追いかけようとしない。

研修前のハテナに対する考え


ここまで聞いて,研修前に考えていた自分のハテナが,かなりすっきりしてきました。
・なぜ「見取る」ことは,大事なのだろう。
→子どもの学びを支えるため

いくら教師が優れた方法論をもっていたとしても,「すべての子ども」の学びにつながりやすいということはないと思います。「方法」を追い求めるのではなく,目の前の子どもの学ぶ過程も見取ることによって,支えることができるのだと思いました。


見えないものを見取ろうとする

最後の方は,授業中の見取りを具体的な授業場面で話してくださいました。
若松先生は,今回見取るポイントを子どもを知りたいという視点からの「探る」と教師の願いという視点からの「捉える」に分けて整理されていました。

個人的にこの両輪のような視点がとてもおもしろかったです。その子の世界に浸って「探る」見方と教師の願いから「捉える」見方の両輪があるからこそ,その子どもの学びがより自然に近いものになっていき,なおかつ育てたい資質・能力につながると感じました。

若松先生の圧倒的な部分は,試行錯誤の回数だと思っています。具体的な場面の中で,見取りから児童に対する仮説をいくつももち,その上でどう学びを支えるかの選択肢としての仮説をいくつも立てる。そして,その仮説から選択をし,実行されていました。さらに,その支え方の仮説の妥当性を振り返り,また見取るというサイクルを何度も試行されてきたのだと思います。

自分なりに若松先生の試行のサイクルを図に表すとするなら,以下のように捉えました。

自分はまだまだ,表層的な部分しか見取れていません。
「あの子どもは,ノートに面白い考えを書いていた。」
「あの子どもは,別の教科書のページを開いている。つまらないのかな。」など
どうしても活動の見取りや見守りになってしまいがちです。
いわば,「見えやすいもの」だけを見ている状況です。

若松先生のお話を聞いて,「見えないものを見取ろうとする」大切さを感じました。また,何より思考し,試行することを楽しみながら行っている若松先生の姿から,自分も自然と楽しみたいという思いになりました。


響いたこと,考えていきたいこと

最後に響いたことと,これから考えていきたいことを整理していきたいと思います。

【響いたこと】
・あてはめようとするのではない
・いきなり全てが最適になるわけではない
・絶えず学びと学び方をつなげられるようにする
・振り返らせても,教師ががんがん出たらもったいない。

会が終わった後に,若松先生のTweetを見つけたので引用させていただきます。

どれも響くものばかりです。
会を通して,改めて「方法」に引っ張られている自分や,目の前の子どもを「変えよう」としている自分に気付かされました。


【考えてみたいこと】
・「学ぶ」と「育つ」の関係性
→若松先生は途中,『「育つ」を支える』と『「学ぶ」を支える』を使い分けられていました。自分にはまだつながりが分からないので整理してみたいです。
・自分の思う「学び」と目の前の子どもの姿とのズレ
・これまでの子どもの「学び」の変化

夏休みだからこそ,自分自身でこれまでの指導や支え方を振り返り,夏休み明けにつなげていきたいと思います。

若松先生,濃密で楽しい学びの時間をありがとうございました。

【引用・参考文献】

若松俊介(2022)『教師のための「支え方」の技術』明治図書

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