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共に感じる

個の自立を願うなら、一人ひとりに合う物差しを持たねばならないであろう。教師としてより、一人の人間として、その子に共感していけるよう、自分を磨かねばならないであろう。

京都教育大学附属桃山小学校(1989)p.11

子どもの自立について最近考えることが多かったのだが、この言葉が響く。
一人一人に合う物差しをもつことは、前回考えたフィードバックともつながる。

その子の現在地と願いを探ることを大事にしていきたい。こういった言葉に出すだけではなく、今できる限りで一人一人を想像して書き出してみる。
そうすることが、”一人の人間として、その子に共感していけるように”という部分につながると思う。

その子に思いを巡らせ、接したり、言葉を伝えたりする中で、
「一緒に考えてくれている」
「一緒に楽しんでくれる」
「同じ方向を向いてくれる。」
1つ1つの過程を共に感じる。
そんな存在として、子どもの隣にいたい。

ただ下の文章を読んで、1学期の自分と痛いほど重なることがあった。

わたしたちの日々を振り返ると「忙しい」を合言葉としているような所がある。〈中略〉本来は、子どものため、子どもを知ろうと取り組んでいる日記が、返事を返さなければならない義務感を伴ったものとして感じられてきたなら、わたしたちは一度そこで立ち止まらなければならないだろう。〈中略〉共に生活していながら、子どもが今何をし、何を考えているのかを知ろうとしていない自分、あるいは知る機会をみすみす見逃している自分に気付くのである。

京都教育大学附属桃山小学校(1989)pp.14-15

それこそ、ノートをチェックしているときに、「忙しい」を合言葉に作業的になる感覚があった。今一度、何のためにしているのかを心に留めつつ、時間の作り方は吟味していきたい。

【引用・参考文献】
京都教育大学附属桃山小学校(1989)『子どもの自立を育む授業の構想ー学習を味わう子どもを求めてー』明治図書出版株式会社



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