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子と個

先日,全国算数授業研究大会「今こそ問う,個を大切にする授業とは」に参加した。その中で,ある先生が,次のようなことを投げかけていた。

「個を大切にする」というテーマだったが,
何のために?
個の何を大切にするの?
そのためにどうするの?

非常に重要な視点だと思う。

また,教育の文脈において「個」という言葉をよく耳にする。
自分でも「個」という言葉をよく使うときがあるが,「子」との違いについても疑問に感じた。

そこで,今回は,上のような視点に加え,まずもって「個とは何か。」「どういう意味が込められているのか。」について考えいきたい。

調べる前の「子」と「個」の使い分け

・「あの子は」というときは,「子」

・子を大切にする
 個を大切にする
→こう書くと,違うことははっきり分かる。
前者は子どもを大切にするという意味合いが強く,後者は個性や個人の考え,一人一人を大切にするという意味合いが強いように感じる。

・一人一人の子を大切にする
 一人一人の個を大切にする
→どちらかというと,前者の「子」の方がしっくりくる。

・個が強い
→個性が際立っている。一人一人の意思や考えがはっきりしているというような意味合いで使うことがある。

・子を育てる
 個を育てる
→前者は子育ての意味が強いように思う。後者は,個性や個々の力を育てる意味に捉えられる。

ここまで書いてみて,現段階では下のように捉えている。
「子」→子どもの意味合いが強く,特定の子どもを指す場合には「子」を使う。
「個」→不特定多数を指すが,一人のことを意味するときに使う。この言葉を使うときには,「個性」や「個人の意思,考え」という意味合いも混じって使っていることがある。

では,実際,「子」と「個」の違いについて辞書や教育書から探っていきたい。

辞書による「子」と「個性」

「子」
①こ。こども。親から生まれたもの。「子息」
②たね。み。たまご。「子房」「種子」
③人。「才子」「遊子」
④おとこ。「男子」
⑤成人した男子の敬称。特に、地位のある人や学徳のすぐれた人に対する敬称。「君子」「孔子」「夫子」
⑥小さい。小さいもの。「子細」「原子」
⑦物の名の下に添える語。「椅子(イス)」「扇子」
⑧五等爵(公・侯・伯・子・男)の第四位。「子爵」
⑨ね。十二支の第一。動物ではネズミ。方位では北。時刻では夜の一二時およびその前後二時間。

goo 辞書(一部省略)

「子」だけでも意味がたくさんあるが,よく使われるのは①の意味が自分は多い。

「個」
①ひとつ。ひとり。「個人」「別個」
②物を数えるときに用いる語。「個数」 [類]箇

goo 辞書

「個」に付随する「個人」や「個性」については以下のように記載されている。

「個人」
1 国家や社会、また、ある集団に対して、それを構成する個々の人。一個人。「―の意思を尊重する」
2 所属する団体や地位などとは無関係な立場に立った人間としての一人。私人。「私―としての意見」
3 「個人競技」「個人戦」の略。→団体3
[補説]英語 individuale の訳語は「一個の人」から「一個人」を経て明治中期、「個人」に定まったらしい。

goo 辞書

「個性」
個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。「―の尊重」「仕事に―を生かす」「―が強い打撃フォーム」

goo 辞書

「個人」の補説も面白い!もともとは,「一個の人」から始まっているかもしれない。


教育書に出てくる「個」

2冊の教育書に出てくる「個」の用いられ方から,考えてみる。

問題に対して,子どもたちの反応をよせ集めて,一つの結論に達するというしくみになる場合が多い。そうして一応の全体として問題追究の雰囲気が盛り上がっておれば,それでよしとする気持ちがはたらきがちである。ここにもまた,大きな危険性がひそんでいる。それは,全体としての雰囲気に酔って,個のあゆみがみとどけられていないということであり,ふたつめには部分的な追究の反応を肯定していこうとする構えがみられることである。自らの中にひそむこうした授業観は根底から疑ってみない限り,授業は形式だけに流れ,個の確かな教育作用となるには程遠いと考えられる。

富山市立堀川小学校(1973),p.37

教師の眼はひとりひとりの子に突きささってはいないのではないか,どこかうつろに眺めているだけではないかという疑問が,わたくしには久しい以前からあった。教育機器がもてはやされる今日になって,どういうわけかわたくしは,いよいよその思いを強くしているのである。
 それでは個は満足に育つまいと思う。個は結局あぶれあぶれ育つだけだと思う。個を育てることは人間を育てることなのである。したがって社会を育てることなのである。社会や集団にだけ眼をむけて,個をおろそかにしているような教育は,不合理不健全なものだとわたくしは考える。

上田(1972),p.1

どちらの引用も深く考えさせられるものがある。上田(1972)に指摘されていることは今の教育にもつながる。「教育機器がもてはやされる今日」ひとりひとりの子に教師の眼がつきささっていないのではないか。見えやすいところだけで捉えていないか。自分への問いかけとして帰ってくる。

上記のように教育書を読んでいると,「個」と使われるのは,集団や全体の対として個という言葉が使われていることが多い。先ほどの「ある集団に対して,それを構成する個々の人」という意味合いである。

では,「個を一人と読み替えても同じなのか?」
個人的な感覚で言えば,読み替えると意味が変わってしまうと考える。上田(1972)の「個」には,一人一人を育てるという思いだけでなく,個性の意味合いも感じるからである。

ここまでを整理すると,最初に捉えていた考えとそこまで相違がないように思われる。

「子」
→子どもの意味合いが強い。
 特定の子どもを指す場合には「子」を使う。
ex.その子は,その後おにごっこをし始めました。

「個」
→不特定多数を指すが,一人のことを意味するときに使う。
 集団の対になる言葉として使われる。
 この言葉を使うときには,「個性」や「個人の意思,考えという意味合いも混じって使っていることがある。

何のために「個」を大切にするのか?

↑の投稿ともつながる話である。

”教師も子どもも愉しむ”ために個を大切にするだと思う。

個人や個性を大切にしないで,一人一人が授業や学級を愉しむことができるだろうか?
個を大切にしない限り,”教師も子どもも愉しむ”瞬間は増えていきにくいだろう。

授業や学級を,教師も子どもも愉しむ経験を積み重ねていくことで,
一人一人が学びの深まりや広がりを感じ,その瞬間を生きてほしいと思う。

まだまだ問いは尽きない。

「個」の何を大切にするのか?
そのために,何をするのか?

この二つについても,時期をみて整理していきたい。

【引用・参考文献】
富山市立堀川小学校(1973)『個の成長ー可能性の開発を目指して』,明治図書出版株式会社

上田薫(1972)『個を育てる力』,明治図書出版株式会社

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