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見た目が完全に男の子に見える5歳の娘の母が感じること。

うちのコ(5歳、割り当てられた性別は女の子)は服の好みが4歳くらいからはっきりしてきて、ボーイッシュな服を好んで男の子っぽい服ばかり着てたので、髪の毛を刈り上げると完全に初めて会う人には男の子と思われるようになった。もともとの知り合いの友達、ママ友や親戚からはボーイッシュな女の子に見えてるのに、初見では100%迷いなく男の子と思われるというのが最初新しい発見だった。まだ5歳だと性別による仕草、喋り方、体型、声の違いはあんまりないので、服装と髪型だけで完全に男の子に見えるのだ。服装だけボーイッシュで髪型ボブのときにはたまに男の子に間違えられるくらいだったのが、髪の毛刈り上げたら一気に100%になったので驚いた。5歳だとまだ体型も仕草とかも性差はほとんどないからかな。

という状態なので、公園で会ったはじめましての人やお店の店員さんや各種施設の係員さんなどからうちのこは100%「おにいちゃん」と声をかけられることになる。本当の最初の頃は「娘なんです。」と訂正したが、訂正すると「ごめんなさい」と過剰に謝られたり話がややこしくなるのと、私も言いながら心のなかで【果たして本当に娘なのだろうか?】と不安になってきた。もしもうちのコが自分は娘ではないと思っていた場合に、私が「本当は娘なんです。」と訂正していたらもしかしてめちゃくちゃ傷つけてしまっているのではないかとすごく不安だし、反対に男の子の格好は好きだけど男の子に間違えられたくないと思ってた場合は訂正してあげたほうがいいし、、、とどうしたらいいのか分からなくなったので本人に聞いてみることにした。
うちのこに「おにいちゃんって呼ばれるの嫌じゃない?おにいちゃんって呼ばれるのとおねえちゃんって呼ばれるのとどっちがいい?」と直接聞いてみたところ「わかんない。〇〇(本名)ちゃんは〇〇ちゃんだからおかあさんは〇〇ちゃんって呼んで。」と言われた。
私がジェンダーのことでこの子は女なのか男なのかそれともそのどちらでもないのかなんなのかグルグル考えていたので、もうその子どもの言葉を聞いてジェンダーとか関係なく私は私だよっていう大切なことを教えてもらって、感動したというか「そうだよね、〇〇ちゃんは〇〇ちゃんだよね、そのままで大好きよ」と抱きしめた。あぁ、私にもっと文才があればこの気持ちをもっとうまく表現できるのにというのがもどかしいが、とにかくその言葉でハッと大切なことを気づかされて、ジェンダーうんぬん関係なく子供をその子として丸ごと受け止めて愛していればいいんだなと、気持ちを新たにしたのである。子供に親にしてもらうってこういうことを言うのかな。

ということで、初見の店員さんなどにはもう「おにいちゃん」って呼ばれても訂正しないことにした。まぁそれで特に不便はないんだけれど、うちのコが「おにいちゃん」と呼ばれるたびに私の心のなかでは【本当はおにいちゃんじゃないんだけどね、かといっておねえちゃんなのかも分からないけど、、、】と考えてしまい、やはり多少引っかかるのは引っかかる。私はセクシャルマイノリティではないので今まで全く自分のジェンダーについて自分が本当に女なのかもしかしてそうでないのかなんてそもそも考えたことも気にしたこともなかったけれど、LGBTQのなかでも特にTQの方々はこんなにも日常生活の中でジェンダーについて考えることを突きつけられる場面が多いのか!ととても驚いた。

そして、難しいのが私も子供もはじめましての人もみんながしっくりくる呼び方がそもそも存在しないということだ。私は女性として社会に出てから、かなり男社会な場所で働いていることもあり、男性と平等に扱ってもらえず悔しい思いをしたことが何度かあるが、そこにはもっと平等な接し方をしてほしいこういう言い方はやめてこうしてほしいという解決策らしきものは考えつくし、そもそも女性という存在自体が想定されていないような状況に出会ったことはない。でも、この子供への呼び方の場合は、日本語の中には知らない子供に呼びかける呼び名が「おにいちゃん」「おねえちゃん」または「ぼく」か「わたし」など男女どちらかの性別だと勝手に見た目で判断する前提の言葉しかないので、そもそも勝手に見た目で性別を判断しないでほしいとか、性別に関係のない呼び方にしてほしいと思っても、日本語がそういう前提になってないので呼びかけ方がないのだ。私も例えば公園で出会った見知らぬ子に話しかけようと思うとき、「おねえちゃん」「おにいちゃん」以外の呼び方ができない。「ちょっとそこのキミ、お名前何ていうの?」とはこのご時世聞けないし、子供の名前をいちいち覚えていられない。この日本語の中にしっくりする言葉がそもそも見当たらないというのが個人的には衝撃で、文化の中に社会の中にそもそも我が子のような子供が存在することが想定されていないというのがとても寂しくとても悲しく感じた。居場所がないどころの話じゃなくて、自分の存在そのものが社会から想定されていないということを日々人知れず突きつけられながら生きていくのがどんなに大変なことなのか私には想像がつかない。私達の文化がどれだけ男女二元論を前提とした社会になっているか、今まで全く気がつかなかった。

複数のママ友からかけられたことのある言葉に「私も子供のころは髪の毛ショートカットでよく間違われてたんですよ〜」というのがある。うちの子も将来そういうことを言いながら世間一般でいう女性の枠に入って違和感生活いくかもしれないし、そうではないかもしれない。そうではなかったときに、この世界が少しでも生きやすい世界になっていてほしいと思うし、完全には生きやすくはない世界で幸せに生きていくための土台になる愛を与えてあげたいなと思う。子供からしたらもしかして重いのかな?

★★★
私の拙い文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

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