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元・無敵の人が伝える「無敵の人の心理」

最近ネットで「無敵の人」という言葉が話題になっている。
自分が生きるのに必要な物全てを失って、もうこれ以上失うものが無い。
そんな人は逮捕されることも、刑務所に入る事や死刑になる事も恐れないから、凶悪な犯罪を犯す。
そんな人を「無敵の人」と言うそうだ。

(解釈が違っていたらすみません、ご指摘ください。)

そんな「無敵の人」は意味なくやる。死刑目的でやる。社会への復讐の為に凶悪犯罪を犯したりと、理由は若干様々だ。

そんな「無敵の人」はどのようにして生まれるのか。
それもまた十人十色で様々だが、基本的は仕事や恋人など全てを失い絶望したときになり得るのだ。
自分が努力してもどうにもならない時心が追い詰められる。
仕事を失ったり、仕事が欲しいのに見つからない。
それらを社会のせいだと解釈して絶望する。
そしてこの絶望している時に、寄り添ってくれる人がいなければ孤独にやられて心が黒くなり、絶望が狂気や憎しみに変わる。
この時に「無敵の人」が生まれる。


だから「無敵の人」は遠い存在ではなく、誰にでもなり得る可能性が充分にあるのだ。
潜在的に「無敵の人」が潜んでいる可能性は高いし、
同様に「無敵の人」になりそうな人も多くいると、私は推測している。

そんな私はかつて「無敵の人」で、社会への復讐の為に何か大犯罪を犯そうとも考えたほどヤバかった過去がある。
今は心が安定していて、どんな理由があっても殺人はダメだと考えているほどなので安心してほしい。(ぇ

昔、私は毒親によって全てを奪われた。
簡潔に言えば、毒親の妨害のせいで仕事を失った。
配偶者へ執拗な妨害をし、気力を奪わせ逃げるように仕掛けられた結果、配偶者に逃げられた。
私へ執拗にストーキングと監視・暴力をし、自由や給料も奪われ何も出来ない環境に居させられた。

尚、私は毒親のネグレクトで幼少の頃から耳に障害を持っていて難聴だ。
故に会話が上手く成立せず消極的な性格になり、友達が作れず、本当に友達が一人もいなかった。
だから相談する相手はいなかった。

けれどこの苦しい状況でも必死に生きていこうと、再び就活をしたり毒親から逃げようと引っ越しを繰り返した。
しかし、難聴という障害があるから簡単に仕事が見つからず、偏見で誰も雇ってくれなかった。

そして毒親の妨害は続いた。
だから警察や弁護士・行政に助けを求めたが、誰も味方してくれなかった。
私はもう成人しており、自立出来ていても「親の子供」という時点で「子供」扱いされ、どんなに毒親が悪いことをしても毒親の主張が優先された。
そしてあの頃は今よりも毒親被害者の子供に対して手を差し伸べる程寛容な社会ではなかったのだ。

私に味方はいなかった。
社会は私を助けようともしてくれなかった。
私はこんなにも辛くても、頑張っても上手くいかない。

私はもう仕事が見つからないから稼げない。
配偶者も遠くに逃げて、もう新しい恋をする気が無い。
私にはもう失うものが無い。

そう思ったとき私は自殺を考えた。

だけど、ただ自殺するのでは空しい。
私は人知れず孤独に死んでいく。
毒親は何も悲しまないだろう。
それじゃ意味が無い。
そう思ったとき、毒親と社会に復讐することを考えた。

まずは巻き込み型自殺。
電車や新幹線で自殺すれば、沢山の人に嫌な影響を与えられる。
そして毒親へは遅延の賠償金を支払わないといけない地獄が待っている。
この様な自殺方法なら大きなニュースになるから遺書を残せば社会へ復讐したい気持ちを認知させられる。

次に無差別殺人型
これもなるべく多くの人を殺せば、その分死んだ人の周りは悲しみ絶望を与えられる。
そして毒親へもその分賠償を払わないといけない地獄が待っている。
近所の人や世間からバッシングで生きづらくなるだろう。
秋葉原での通り魔事件の様に…
そして自殺をした時よりも大きくニュースになり、「なぜ事件が起きたのか」犯人の心情や背景の調査が入りメディアを通して私の社会への恨みを示せる。
一番有効なやり方がこれだと思った。

最後に毒親を本当に殺すこと。
更に実家を火事にして燃やし尽くそうとも考えていた。
これは毒親への直接的な復讐だったので、私としては一番この方法の実行へ傾いていたと思う。

だけど、それらの行動に移す直前に逃げたはずの配偶者から救いの手を差し伸べられ、海外に逃げる事ができた。
そして海外でメンタル療養をして、心は完全に落ち着いた。
だから私の「無敵の人」による凶悪犯罪は計画に移す前に終わったのだ。

あの時、「無敵の人」だった私は凶悪犯罪をすることを恐れていなかった。
なぜならやはり、失うものが無かったからだ。
私の心は既に死んでいた。
もう自殺一歩手前だったから、死んだも当然だった。
だから微妙に生き永らえた時間は第二の人生。それは復讐の道だった。
だから逮捕されることも、刑務所に入ることも、死刑になる事も怖くはなかった。
毒親に、弱者を守ってくれない日本社会に復讐をし改革を求められるなら…
私のようなクズの命は惜しくない。
ついでに幸せそうに生きている人々に絶望を与えたい。
私だけ孤独で苦しむなんて不公平だ。
そう思っていたのだ。

今は勿論そんな考えは全く持っていない。
子供もできて、大事な存在ができて命を無駄にできなくなった。
勿論、私を苦しめた毒親は嫌いだし、毒親被害者を救えない社会は変わって欲しい。だけど「無敵の人」となって凶悪犯罪をする気は全く無くない。
どんな理由があっても殺人とかしてはいけないと思っているほどに改心している。

今このnoteを読んでくれている人には、あの時「無敵の人」だった私の気持ちを「どう考えてもおかしい。頭が狂っている」と思うだろう。

だけど自分で頑張ってもどうにもならない時、全てを失った時、
友達など誰も寄り添える人がいなくて孤独だった時、
未来に希望が全く見えなくて目の前は「死」となるのだ。
この時、追い詰められた心は平常心を失い、
何をしでかすか分からない「無敵の人」となるのだ。

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