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映画『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司』感想

予告編
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コミュニティ


 今年の劇場は、うるさかった! いやぁ、嬉しいっ! 昨年の劇場版を観に行った際も、ほぼコロナ禍前ぐらいの混みようでしたが、(たまたま僕が観に行った上映回がそうだっただけかもしれませんけど)今年は一段と騒がしかった。やっぱりこれが良い。大人になるとナンセンスなユーモアに着いていけなくなるけれど、上映中に聞こえてくる子供たちの笑い声だけで、「あ、ちゃんと面白いんだ」と安心できる。

 そんな本作は、『クレヨンしんちゃん』シリーズ初の3DCGによるアニメーション。たしか昨年の劇場版の上映後だったかに流れた特報映像で初めて知ったんだったかな? 正直に言うと、ずーっと不安だった3DCG化。でも今年の春先くらいだったかに公開された予告編映像で、期待値が爆上がりしたんです。映画本編の序盤にも流れていた、しんのすけとみさえのチェイスシーン。3DCGアニメーションの中にクレヨンしんちゃんっぽい風合いを残しつつ、おバカな追いかけっこが描かれます。「いつものしんちゃんと違う」という不安感を、なるべく早めに取り除けたシーンだったと思います。

 また、中盤以降、特に最終決戦の最中のバトルシーンは、どこか板野サーカスを彷彿とさせるような戦闘アニメーションもあり、これまでの『クレヨンしんちゃん』には無かった見せ方になっていた印象です。あと、ひまわりや春日部防衛隊の面々ら子供たちの下膨れ気味な頬っぺたがプルンとしている感じも、3DCGアニメーションならではの本作の魅力の一つかもしれません。とはいえ、来年の劇場版は通常のアニメーションに戻るっぽくて……。なんだかんだ言って今まで通りのアニメーションの方が個人的には好きなので、ちょっとホッとした自分が居ます。




 白状すると、本作は映画版『クレヨンしんちゃん』シリーズの中では好きではない部類に入ってしまいます。あくまでも「個人的には」ですが。とはいえ、『クレヨンしんちゃん』っぽい要素を羅列しているだけかのような見せ方、どこか押しつけがましい「がんばれ」という説教感などなど。その他にも、臭い靴下の前に既に臭い靴を吸い込んでいたという違和感、家の間取りが普段と微妙に異なる等々、気にならざるを得ない点が多く見受けられたのも事実。そんなこんなを考えると、だいたい嫌な想い出として記憶に残ってしまう。だからこそ、僕は “騒がしい” 劇場で観るんです。僕がどんな風に受け取ろうと、劇場の子供たちが退屈していなければそれで良い。それが一番大切。だから、良い風に捉えていきます。




 鑑賞後、帰宅してから改めて、本作の基となった『エスパー兄妹』のエピソード(原作コミック第26巻)を読み直しました。たしかにラストでひろしが「がんばれ」と言ってはいますが、本作のそれとは若干雰囲気が違う。これから頑張って生きていくことを決心した者への応援のような言葉。本人の「頑張る」という意思を素直に肯定している感じ。膝をついてしまっている相手に立ったまま一方的に浴びせている本作とは違い、同じ高さの目線でのセリフでした。わざわざ原作の話をしましたが、決して「本作は間違っている!」なんてことが言いたいわけではなくて、こういった細々とした違和感があるからこそ、逆説的に主人公・野原しんのすけの魅力が際立つんじゃないかと思うんです。
 
 しんのすけが幼少期のミツルと出会うシーン。現状への不満が大きいミツルに対し、「お菓子がある」「TVでカンタムが流れている」という、たったそれだけの理由で現状に満足できてしまうしんのすけが描かれます。これはしんのすけだからこそ可能なこと。大人のキャラクターがやってしまっては成立しないはず。相手の事情は何一つ理解していないけれど、だからこそ、そんなおバカな五歳児だからこそ、何者にもフラットに接することができる
 また、そんなフラットさがあるから、その後の玉入れシーンでミツルに同調して「頑張らない」姿勢を示すしんのすけから、「相手に同情してやっている」感が漂ってこない。相変わらず事情も何もわかっていないけど、“とりあえず歩幅を合わせてみる”。シンパシーだとかエンパシーだとか流行りの言葉がありますが、その手前の段階。小難しいことを考えず、シンプルにやってみせた行為。しんのすけは、ずーっと昔からそういう素敵な行動が取れる子だった、と思い出す。これらの裏表の無さは、『クレヨンしんちゃん』の野原しんのすけならではのアプローチの一つなんじゃないかな。そして最終的には、「がんばれ」と口を揃える周囲とは異なり、唯一しんのすけだけが、ミツルと一緒に頑張る姿も描かれる。



 他人の無責任な「がんばれ」は、非常に危うい言葉。理解云々も大切だけど、もっとシンプルに、経験でも想い出でも何でも、何かしらを共有している繋がり(≒コミュニティ)があるからこそ、言葉というのは相手に達するもののように思います。SNSのコメントに関連する騒動が多く見受けられる世の中ですが、そういった上辺だけの心無い言葉と同様、繋がりの無い言葉の危うさを再認識させられるようです。仕事も趣味も、或いは社会的にも、終始繋がりが無いかのように描かれていたミツルが騒動の引き金になったという本作の物語からは、繋がりの重要性が問われていたのかもしれません。

 今のコミュニティだけに縛られない、繋がりは一つだけじゃない。きっかけはお菓子やカンタムロボだったかもしれないけど、そんな些細なことだけでも「仲間」と言い切ってしまうしんのすけの姿もとても印象的。コミュニティや繋がりのきっかけは、何も劇的じゃなくても良いんだと言ってくれているようにも感じます。誰彼構わずというのもまた違いますが、誰かと繋がれる一歩目のハードルを高くし過ぎないだけで、世界が広がるかもしれません。


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