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映画『アメリ』感想

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 過日、新宿武蔵野館にて鑑賞。仕事が終わって取り敢えず映画館に向かい、何を観ようかと調べていた時にふと目に入った「デジタルリマスター版」の文字。『アメリ』なんて懐かしいなぁ、と思いながらフラ~っと立ち寄ったものの、よくよく考えてみたら最初に観たのは10年ほど前のこと。本作と同じくジャン=ピエール・ジュネ監督作の『天才スピヴェット』を観に行く前に、予習がてらで鑑賞したのが初見だったはず。

 あらすじの詳細はともかくとして、作品そのものの印象だけはなんとなく記憶に残っていましたが、やはり人間、10年も経つと感性が変化しているのか、今回の鑑賞でまた新たな鑑賞後感を味わえました。けれど相変わらず、非常に趣深くて素敵な映画だったな、という感想だけは変わらなそうです。

 


 空想好きな主人公・アメリ(オドレイ・トトゥ)の日常や恋愛模様を、パリ・モンマルトルを舞台にして描いた本作。独特の世界観や、その合間に挟まれるちょっとブラック気味なユーモア等々、公開から20年ほど経った今なお色褪せないセンスや雰囲気の魅力については言わずもがな。というか、言葉に形容できるものじゃないかもしれません。天井の低いミニシアター(笑)で、空席もある中、座席に深く腰掛け身体を預けながら眺める本作の味わいは格別でした。
 物語の序盤、アメリが「映画鑑賞中の人の顔を眺めるのが好き」と第四の壁(観客側。カメラ目線)に向けて語り掛けてくる瞬間がありましたが、きっと多分、本作を鑑賞中の僕の顔は、そういう顔になっていたことでしょう。

 今思えば、劇中では他にも彼女が第四の壁に目線を向けるシーンがありましたが、もしかして「映画鑑賞中の人の顔を眺めるのが好き」な彼女の性格を反映させていたのかな?笑

 


 本作には、性的な描写がちらほら見受けられます(ちゃんとチェックしていなかったのですがPG指定とかなのかな? 調べても載ってなかったのでよくわかりませんでした)。行為の真っ最中の男女のシルエット、或いはその動きによって各所が軋んだり揺れたりする音。果てて絶頂を迎える際の喘ぎ声。あとは妊娠して次第にお腹が大きくなっていく女性の裸体が写った記録写真によるタイムラプス的な映像。はたまた「精子が~」「卵子が~」といった調子の直接的な言葉で語られていた冒頭のナレーションなどなど。

 他人との付き合い方がいまいちわからず、“一、二度ほど試した” ものの、恋愛もよくわからない。そんな彼女がそれらのことをどう捉えているかが何となく窺い知れる性的描写だったと思います。性的描写が即ち〈エロ〉とう短絡的な捉え方をしておらず、ただの事実というか生物的な現象としか思っていないというか……うーん、上手く言えない。

  しかしそんな彼女が終盤、それらを知ることになる。けれどこれまでとは描かれ方が違う。ベッドの上でニノ(マチュー・カソビッツ)と裸で抱き合っているような瞬間はあるものの、それはあくまでも事後の様子。両者共、臀部や乳首といった部分は映されてはいない。直接的に描かない、或いは映さないことによって、本作における(少なくともニノとの間柄においての)そういった展開を、性的な視点で観客に消費させないようにしているかのよう。

  それこそ、先述したように第四の壁に向けて語り掛けてくる彼女のことですから、逆を言えば「観客に “見られている” こともわかっていた」とも見て取れる。これまで作品内で平然と描かれていたそういう行為を、途端に濁して表現するというのは、彼女自身の心情の変化の表れだったのかもしれません。ニノと出逢い、結ばれたことによって、彼女の中での認識がそれまでのシーンとは明らかに変化していたことを表現していた描かれ方だったんじゃないかな。

 


 また、以前鑑賞した時は何とも思っていなかったレイモン(セルジ・メルラン)の模写。いや、何も思っていなかったというか覚えていなかっただけかな? まぁそれはさておき。鑑賞後、彼が模写していたルノワールの『舟遊びをする人々の昼食』という作品を調べてみたんです。(僕には芸術の素養なんて皆無なので見当違いのことしか述べられませんが、)確かに劇中で彼女が気にしていた通り、“中央でグラスを持つ女性” だけが引っ掛かるような気もします。心ここに在らず、というか……。

 けれど、ある意味ではアメリを象徴するような存在のようにも思えてくるんです。レイモンとアメリの日常の中にも「見つめる」「観察する」(或いは「覗く」?笑)という描写が紛れ込んでいたのと同様に、絵を描くことというのは、同時に何かを見つめることのようにも思えます。よく見つめ、観察しなければ正確には描けない。本作にとって、その絵の中の “グラスを持つ女性” は、まるでアメリ自身。“グラスを持つ女性” だけが上手く描けないレイモン、そしてその女性が何を考えているのか、誰を想っているのかがわからないというアメリ。心の在り様を掴み切れないでいるという状態が、その瞬間のアメリ自身の暗喩だったのかもしれません。

 

 「10年も経つと感性が変わる」なんて述べましたが、観る度に新たな感想が生まれ得るのが映画というもの。感性が云々に限らず、リバイバル上映や復刻版の上映があれば、今後も足を運んでみようと思います。

 


 そういえばこの感想文を書く際に初めて知ったのですが、実は彼女、KGBだったんだとか笑。どうやら2023年にジュネ監督が『アメリ・プーランの真実』という短編映画を製作していて、そこで彼女がKGBだと語られていたそうなんです。
 ……ただ、一応探してみたんですけど、YouTUBEに載っていた動画には日本語字幕とかが無かったので、正直何を言っているかはさっぱり。この話については、あくまでネット情報なんです。決してその情報を疑っているわけじゃないんですけどね。

 観る方それぞれの好みだとは思いますが、「実は彼女はKGB?!」と意識しながら観ると、また新たな発見に繋がるかもしれません。


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