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映画『パピヨン(2019)』感想

予告編
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 TOHOシネマズがどーのこーの~、と述べておりますが、例によって公開当時の感想文なので、あまりお気になさらず。

 よければどうぞー。


光と闇 希望と絶望


 たとえどれほど古い映画のリバイバル上映でも、老若男女問わず観に来るもの。無論、大いに偏りはあるでしょうけど。しかし本作『パピヨン』、おっさんとじいさんしか居なかった笑! たまたま自分が行った回だけがそうだった……?いやいや、休日の六本木ヒルズのTOHOシネマズよ?! こんなこともあるんだなぁ……。まぁ客層から察するに、みんな ‘73年の『パピヨン』(以下:前作)に思い入れがあるのかな? あの名作をどうリメイクしたのか気になっていたのは僕一人だけではないはず。


 一番の違いは〈自由〉の有無。本作では、ギアナでの物語の前後——パピヨン(チャーリー・ハナム)が自由だった時代も描かれているんです。華やかで楽しそうな時間や、大切な人と愛しい時間を過ごしていたパピヨンの姿が、映画『プリティ・ウーマン』の名シーンのパロディなどが織り交ぜられながら描かれていて、物語の掴みの印象が全然違う。それは、本当に楽しそうだな、幸せそうだな、と思えるくらいに。

 終始〈自由〉が描かれず、その先に求めるものを問われても漠然とした回答しか出せなかったパピヨンが、まるで “自由に縛られた男” に見えたのが印象的だった前作と比べると、アプローチが大きく違います。あらすじこそ同じですが、この〈自由〉と〈不自由〉の落差のおかげで既視感は微塵も感じません。


 ここでの「不自由≒絶望」みたいな表現も面白いと思います。囚人の一人が他の囚人達の前で公開処刑されるシーンも、泣き喚き、暴れながら命乞いをする囚人にギロチンが落とされる瞬間をドアップにし、処刑される囚人の恐怖を描いていた前作と違い、少し引き目の画角で静かに刑が執行された本作は、どちらかというと処刑を見ている囚人達の目線。その断頭台が置かれたアスファルトに広がる赤黒い染みが、これまで数多くの者が首を落とされたこと、そして逃げよう、逆らおうとする者にはこれが待っているという事実を物語っていて、言葉にしなくても彼ら囚人達の絶望や観念が窺い知れます。ここが印象的だから、後々のシーンで主人公が自身の血で独房の壁に手形を残すシーンが映えるようにも思えます。

 「俺は元気そうに見えるか」というやりとりを用いていた前作とはまた違った “生の確認” って感じかな?「俺は生きているのか?」という暗中模索、或いは「生き抜いてやる」という信念の表れなのか。本作における血の痕(跡)は、ある種の “生” の象徴なのかもしれません。人間の中で最も強い精神とも呼べ得る “生” の描き方があってこそ、この物語はより面白くなる気がします。

 脱獄モノの鉄板というか、脱獄する者の近くで脱獄に失敗する人間をちゃんと描いていたのも、絶望を視覚化する意味でも、また希望を浮き彫りにする意味でも良かったと思います。


 でもやっぱり『パピヨン』と言えば一番の名シーンはクライマックスに他ならない。以下、言い過ぎの自覚はあるから許してください笑。
 囚人、脱獄、自由、友情……。まるで『ショーシャンクの空に』のような感動がここにはあります。不思議なのが、再会する瞬間に大きな感動が押し寄せてきた『ショーシャンクの空に』とは違い、別れの瞬間こそが2人(パピヨンと親友のドガ(ラミ・マレック))のドラマとして一番の盛り上がりになっているというのが面白い。デビルズ島内の囚人たちの生活を描いた直前のシーンが暗かったから、ここでの日の光がより一層素敵に見えるし、独房の中で暗闇に居続けたパピヨンにとっては光こそ希望の象徴であり、しかもそれが “光” というものの中で最も眩い太陽で、さらにはその光が海を越えた先(≒自由)から煌めいている……! 清々しいまでに美しいシーンです。

 今更ですが “パピヨン” ってのは犬種のことじゃなく、蝶のことです。蝶の中には夜行性の鱗翅目の昆虫と同様に、光に集まる習性の個体もあるんだとか……。彼の胸にある刺青の蝶の種類はわかりませんが、きっとそんな種類の蝶なのかもしれません。


 肩入れとか好みもあるでしょうけど、前作も本作もそれぞれ素晴らしい。ただ(こんな言葉は無いと思いますが→)顔力(かおぢから)はマックィーンに軍配かな笑? 当時のフィルムの粗さのせいもあるとは思いますが。


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