見出し画像

映画『燃ゆる女の肖像』感想

予告編
 ↓

PG-12指定


 本項の冒頭、「何の話?」と思われてしまいそうですが、この感想文を書いた当時……というか、本作が公開されていた数か月前だったか、或いは時期が被っていたかはうろ覚えですが、『思い、思われ、ふり、ふられ』って映画がやってまして……。そんなことを引き合いに出した “よもやま話” です。すみません、気にしないでください。


思い、思われ、見て、見られ


 感想文の頭に毎回、小見出しみたいなのを付けていまして、今回は「視線」にしようかなぁと思っていたんですけど、映画『黒い司法0%からの奇跡』感想文で既に使っててさ……。いや別に、明確な理由は無いんですけども、最近用いたばっかの見出しと同じになるのもどうかなぁと思っちゃっただけで笑。そんなこんなで余所の映画タイトルをもじってみただけです。ただの遊び心というか、おふざけなので、『ふりふら』とは一切関係ありません。……まだ観てもいないしね。


 いやぁ、めちゃくちゃ良かった! ずっと見ていられる、というか見入ってしまいます。絵画とか芸術に関してはズブの素人なので、僕がこんな言い方しても説得力無いんですけど、まるで芸術を眺めているような時間でした。


 本作の舞台は18世紀頃。貴族の娘・エロイーズ(アデル・エネル)と、彼女にバレないようにお見合い肖像画を描くよう依頼された画家・マリアンヌ(ノエミ・メルラン)の物語。この「バレないように」というフックがあるからこそ、対象(エロイーズ)を観察するマリアンヌの視線が際立ってくる。

 序盤、エロイーズと一緒に散歩をすることになるが、彼女は背中を向けており、おまけにフードまで被っています。ザッザッと無言で歩き出す彼女の後ろを追うカメラは、彼女の顔を見たいマリアンヌの視線・心情のよう。すると次第にフードが外れ、露わになるブロンドの髪。そしたら突然、エロイーズが崖に向かって走り出して、「えっ、まさか?!」と思わされた瞬間、振り返る……。
 ってね。我ながら、字面だけじゃどうにも伝えられないのが情けないんですけど、ここの緊張感からしてまず見事。もっと言えば、学生たちがマリアンヌをモデルにしてデッサンをする冒頭のシーン——対象(モデルのマリアンヌ)をじーっと見つめ、よく観察し、視線をキャンパスに移し、筆を動かす——で、“見る”、“見られる” を描き、観客に見せてから物語が始まるのも素晴らしい。この冒頭シーンがあったおかげで、静謐な美しさを醸し出す本作にのめり込むことが出来たに違いありません。


 中盤、ずっと “見ていただけのつもり” だったマリアンヌが、“見ている”=同時に “見られている” でもある、ということに気付かされるシーンも印象的。これによって、それまでの “見ていた” シーンの全てがより意味深いものになり、ここから後のシーン全てがより鮮やかになっていく印象。

 しかもこの “見る/見られる” という構図が、同時に “思う/思われる” にも見えてきてしまうというのもミソなんじゃないかな。それが最終的に、感動のラストに繋がっていく。(何回目だ?笑→)素晴らしい!


 クライマックス、並びにラストシーンに関しては、是非観て貰いたいので割愛。まぁ実を言うと、どう解釈するかが人それぞれというか、明確な正解がわからない、ってのも正直なところ。そしてそれは映画全体に言えることで、セリフもそれほど多くないし、BGMも無い。先述したような視線の妙も然ることながら、他にも良い点がいっぱいある本作の魅力をもう少しばかり述べていきますけど、あくまでも僕個人の勝手な解釈。もし、本作を心の底から楽しみたいのであれば、先に鑑賞した方が良いと思います。本当に、素敵な良い映画だと思うからさ。



 序盤、濡れた服を乾かすために裸になり暖炉の前で温まるマリアンヌ。本作におけるこの〈炎〉の役割は、「危うさ」みたいなものなのかな、と思う節が多々あります。これから先に描かれることを物語っているよう。

 劇中、度々パチッ…パチッ…という、焚火のはじけるような音が聞こえており(それこそBGMが無いからこそよく聞こえてくる)、炎が間際にある時ほどその音は印象的。そしてある時、“燃ゆる女の肖像” を描くきっかけ(?)となる、ある出来事が描かれるシーンでは、エロイーズとマリアンヌの間に炎がある。そしてその炎越しに彼女を見つめ、逆に見つめられていて……。

 “見る/見られる” という、“思う/思われる” が強烈に示される瞬間の二人の間にある炎と、その後のエロイーズの足元の炎が、「これ以上近付くと……」みたいな禁断感を表しているように思えてしまいます。この時代における女性の不自由さ故の葛藤が視覚化したような感覚になった気分。

 少し話は戻りますが、序盤の裸姿も、あくまでもこの物語(舞台となる屋敷)には男性的な視線が無いことの証明、或いは男だ女だといった性的な愛情を凌駕した純粋さを表しているのかもしれないとすら思わされました。

 ベッドシーンに関してもあまり明確に描かれることはなく、なんていうか、そういう行為は匂わせながらもエロく見えないようにしているようにすら感じます。


 いやもう、キリが無い。言ってしまえば、全てのシーンに思う所があると言っても過言ではありません。“見る/見られる” ということが “思う/思われる” であることを知った上で、〈見る〉こと、或いは〈見られる〉ことを選択する二人。そしてそれが結末に繋がることもわかっていて……うわぁっ!切ないっ!! 今年の映画でも指折りのクライマックス。安い謳い文句しか出て来ないのが本当に恥ずかしいのですが、マジで感動しました。


#映画 #映画感想 #映画レビュー #映画感想文 #コンテンツ会議

この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,711件

#映画感想文

66,387件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?