見出し画像

映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』感想

予告編
 ↓


信じること


 冒頭、主人公ハロルド・フライ(ジム・ブロードベント)のもとに手紙が届きます。それは、かつて同僚だったクイーニー(リンダ・バセット)がホスピスに入院中で、死期が迫っているという報せ。

 彼は返事の手紙をポストへ投函しに行こうとするのですが、急に考えが変わり、およそ800kmも離れたホスピスを目指し、手ぶらのまま歩き出し始める……。



 ざっと調べてみましたが、東京からだと、だいたい本州最西端の下関市ぐらいまでの距離みたいです。作中でハロルドの正確な年齢が示されることはありませんでしたが、定年をとうに過ぎているし、なによりジム・ブロードベントが演じているという事実だけでも、主人公がかなり高齢であることが窺い知れます。お年寄りが何の準備も無しに800kmも歩くとは……よもや本気とは思えない決断から始まる物語。

(とても個人的な話ですが、僕自身は800mですら歩く気になれません。電車、バス、タクシー、レンタサイクルetc. 交通機関が整っていることには感謝するばかりです。)


 ハロルドは、たまたま立ち寄ったお店の女性店員からの一言がきっかけで行動を起こす。『イーディ、83歳 はじめての山登り』感想文でも同様のことを述べましたが、人生を動かすきっかけは、何も劇的とは限らないのだと思わされました。彼女のセリフに合わせ、これ見よがしに光が差し込む描写は、まるでハッとさせられたハロルドの心情を表現していたよう。

 その他にも、たとえば雲の割れ目から、どこか神々しささえ感じられる陽の光が差し込むといった描写など、〈光〉が希望や前向きな気持ちのメタファーとして用いられる瞬間が度々見受けられました。

 また、一人黙々と歩くシーンが多いためか、イギリスの豊かな田園風景や自然の光景を大きく映すようなカットがたくさんあったことも、そういった描写が映える要因の一つだったのかもしれません。


 今しがた『イーディ~』の話を述べましたが、なにも似通った感想を述べたいがためだけに引き合いに出したわけではありません。本作を観たことで「人生を動かすきっかけは劇的とは限らない」という個人的な想いに、僕の中でちょっとした変化が生まれたんです。




 ハロルドは、何の根拠も無く、女性店員の言葉を信じました。神への信仰を問われ、あっさりと「信じていない」と答えるような男だったのに、何故か彼女の言葉には影響を受け、理由もなく信じてしまった。そんな非合理的な動機一つで始まったこの物語には、“信じること” について描かれているシーンがたくさんあります。


 ある時、何の因果か、たまたま相席となったハロルドに個人的な悩みを相談した男性は、ハロルドの、これまた特に根拠の無い助言を受け入れ、行動に移すことを決める。

 またある時、モーリーン(ペネロープ・ウィルトン)に電話越しで弱音を吐いていたハロルドは、彼女の助言に従い、勇気を振り絞って見知らぬ他人を信じ、声を掛けて助けを求める。

 ハロルドの噂を聞きつけ、「巡礼」などと信仰に関する言葉を謳いながら人々が集まることもあった……。

 挙げれば切りがありまあせんが、本作では様々な “信じること” が描かれています。



 そんな本作はある時、女性店員の言葉も含め、現実を突きつけられるシーンが訪れます。〈希望〉なんて形容してしまえば聞こえは良いですが、実のところ、科学的根拠も合理的な理屈も存在しない——信じるだけでは何も起きない——のが現実。ハロルド自身もそれを痛感します。

 それでも尚、本作における一番の魅力、最も美しいポイントは、“信じること” にある気がします。“信じること” こそ、本作における感動の理由に他なりません。

 たしかに、信じるだけでは結果は変わらない。ただ、信じることで行動は変わり得る。それを丁寧な筆致で描いたのがこの映画だったんじゃないかな。



 ハロルドとモーリーンは、とある出来事をきっかけに、長い間仮面夫婦のような関係になってしまっていました。それはつまり、互いが互いを信じられず、〈愛〉をも信じられなくなっていたということ。そんな二人が、この物語、彼の旅路を経たのちに、改めて愛の言葉を口にします。

 〈愛〉というのも、ある種、“根拠が無いまま信じること” の一つかもしれません。悲しい過去をきっかけに、愛も何もかも信じられなくなってしまったけれど、クライマックスで再び愛を信じる。


 歯が浮くようなことを述べている……、そんなことは重々承知ですとも。


 でも、本作を観て最も心に残ったのが、以上のことだったんです。「人生を動かすきっかけは劇的とは限らない」という個人的な見解への変化とは、まさにこれ。きっかけそのものではなく、“信じること” 自体が人生を動かし得る、もとい、人生を動かす行動へと繋がり得る。過去に『イーディ~』感想文の中で述べたことは、少しばかり言葉足らずでした。本作での感想を以て、ようやく言いたいことが形になった気がします。



 本作では、主人公夫婦の日常が描かれることもなく、本編開始早々に手紙が届き、すぐにポストへ向かうという展開になります。予告編や、映画情報サイト等に記載されているあらすじからも汲み取れる通り、何かしらの強い想いを抱えてハロルドは行動を起こしたわけですが、それが一体どんな想いなのか、特に明示されないまま物語が動き出す。なんとなくフワッとした導入ではあるものの、そういったテンポの良さや、イギリスの綺麗な街並みといった光景のおかげもあり、とても観易く感じられます。

 ともすれば、一度鑑賞し、ハロルドの想いを知った上で改めて観直してみるのも面白いかもしれません。初見時とは異なる目線でジム・ブロードベントの名演を味わってみるのも一興のはず。

 ……これは、再び映画館に行かなきゃですね笑。



#映画 #映画感想 #映画レビュー #映画感想文 #コンテンツ会議 #ハロルド・フライのまさかの旅立ち #レイチェル・ジョイス

この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,744件

#映画感想文

67,197件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?