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映画『南極料理人』感想

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過去の感想文を投稿する記事【59】

 明日5月11日(木)と、5月22日(月)にもWOWOWにて放送予定の本作の感想文です。

 学生時代に書いた感想文を引っ張り出してきました。いやーなつかしいなぁ……。こうやって昔の感想を読み返すのも楽しいから、映画の感想文ってなかなか捨てられない。たとえどんなにイタい文章だったとしても笑。まぁ今回は割と平凡な感想ですが。

普段より短めな感想文ですが、よければ読んでくださいー。


制約のある日々、時々波乱…そんな日々を彩ってくれた美味しそうな料理


 冒頭に描かれる南極生活の過酷さ。不意に脇腹をツンと突かれるような緩急の効いたユーモアのおかげでまろやかには仕上がってはいるけど、たかだか8人とはいえ、あの居住スペースはとても狭く、用を足す姿さえ丸見えでプライバシーなんて概念は皆無。1分電話を繋ぐだけで740円も掛かってしまう。そんな隔絶された世界でおよそ1年半も生活するなんて想像は到底及びもつかない。

 それでも全体的なテイストは何となく緩めの ”のほほんコメディ感” が先行し、脱力感と心地良さが共存する奥田民生さん特有の楽曲がエンドロールに流れることで後味も気持ちの良いものになっている印象の本作は、そんな甘い表情の裏に隠れてとても優れた演出がいっぱい詰まっているんです。細かく分ければ幾つもあるけど、総じて共通しているのは、“衣食住” という人間の生活に於いて重要なファクターのほとんどが、上記のような色んな制約が掛けられた南極生活とリンクしているということ。


 朝の体操シーン、食事シーン、TVを観る者と奥の畳の小上がりで麻雀をする者に分かれるシーンなどなど……。ひとつの画面に全員が収まっている構図は正に居住生活そのもの。もう少し余裕をもって画面に収められるところを敢えてキツキツにすることで、基地の中の息苦しく、せせこましい感じがヒシヒシと伝わってくるし、こういう時の画角が第三者的というか、“お芝居を観ている” ではなく、彼らの日常を観察しているとか眺めているように感じて見えてしまうから面白い。その点で言えば、どこまでが台本通りなのかわからないくらい自然体さを醸す一流の演技アンサンブルが繰り広げられているのも、要因の一つであり、また作品の大きな魅力なんじゃないかと。

 それに対して屋外での活動シーンではその多くが遠い所からのアングルがほとんど。屋内とは対照的にあまりに広すぎる南極の地に8人が居て、その内の何人かは「こんなところに置き去りにされている」とでも思っているのではと想像できてしまう。


 リンクさせたような演出は他にも。個人的に気に入っているのは堺雅人さん演じる西村のナレーション。ナレーションベースという説明チックなシーンは映画らしくないというか、本来はあまり好きじゃないんですけど、これに関しては別。自分が一生懸命作った料理にドバドバ醤油をけられた時やエビフライの一件の時も、特にあーだこーだと強く主張しない西村が語るからこそ、口にしないだけで彼も色々と想うところがある人間なのだと教えてくれるようだし、そんな西村が終盤、家族と喋る時と同じ口調で基地のメンバーと喋るように変化していたことで、1年半の基地生活での西村の心情の変化が、より色濃く映えるというもの。


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