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映画『ブリキの太鼓』感想

予告編
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過去の感想文を投稿する記事【92】

 本日10月10日は「和太鼓の日」という記念日なんだそう。

「10(ドン)10(ドン)」の語呂合わせからなんですって。


まぁ和太鼓っていうワケじゃないんですが、同じ「太鼓」繋がりってことで、本日は映画『ブリキの太鼓』の感想文を投稿しますー。


ネオテニー


 当事者にとっては堪ったものじゃないけど、大人のケンカや情事(或いはそれらに付随する感情に振り回されている大人の姿そのもの)ってのは、客観的、俯瞰的に見ると酷く滑稽。例えば、知っているのに知らないフリをする子供に “ねやごと” を見られる、という状況は、例えコメディやコントにしてもシュール過ぎる気もしますが、やはり滑稽で面白い。この映画にはそんな魅力があるように思えてなりません。


 どこぞの名探偵じゃないですけど、思考は大人で視点は子供という、本作の主人公だからこそ可能な描写の数々が見どころなんです。主人公のオスカル(ダービット・ベネント)は自らの意思で成長することを止め、子供の姿のまま恋愛、セックス、仕事、さらには戦争という経験(知識)まで経て(まさに幼形成熟)、旅から戻ってきて産まれたばかりの生命に触れ、クライマックスにお墓の前に立ちます。

まるで人生を試しに1周したかのような彼が、そこで成長することを選択するというのが、映画として含蓄ある風な終わり方で面白いと思います。



 しかし本音を言うと、はじめのうちは滑稽さより不気味さの方が勝っていたんです。母の房事を建物の上から見るシーンなんか特にそう。“上から見下ろしている” という、親子でありながら本質的な内面の優劣を視覚化したかのような立ち位置と、太鼓を叩くというアクション——「オレが見ているぞ(ここに居るぞ)」という自己主張——が、なんとなく可愛くない表情の主人公(笑)と相俟って、まぁ不気味。

同時にこの自己主張が、どこか母親への屈折した愛や独占欲にも似て見えてしまうというのも要因の一つ(逆に本当に悪意のみだったら、なんて考え出したら余計に気味悪いのでやめにしよう)。

そしてそんな彼に手を拱いていられないと考え、無理矢理ブリキの太鼓(=ある種の自己主張)を取り上げようものなら、あの奇声攻撃だ。まるで「邪魔をするな」「手を出すな」という意思をヴィジュアル化したかのようなこの特殊能力もまた怖いのです。

 だからこの映画は、「オスカルに見られている」感覚と「オスカルの視点を通して見ている」感覚とで、感想が大きく変わってしまう。


 しかしまぁ、実際どーですか? 自身すらも客観視できているが故の “子供のフリ”、“無邪気のフリ”……。“子供の悪意” も “子供の皮を被った悪意” も、どっちにしたって恐ろしいもんだなぁと思いました。


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