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映画『グランツーリスモ』感想

予告編


リスペクト


 IMAX上映がオススメです。もはやIMAX一択と言っても過言じゃないかもしれません。でなければドルビーアトモス等々、上質な音響での鑑賞をオススメします。全編IMAX仕様の本作は、とにかくレースシーンの迫力が半端じゃない。YouTUBEにアップされている特別映像などでも明かされていましたが、実際に200km/s以上の速度で走行しながらの撮影や、FPV(一人称視点)ドローンによる躍動感ある映像など、凄まじいスケール感を堪能するには、劇場での鑑賞が一番です。

「劇場の音響だからこそ感じられる、体の芯にまで響く車の走行音が……」
「ドローンによるダイナミックな映像が……」
「低い位置から撮られた映像によって感じられるスピード感が……」etc.

挙げたら切りが無さそうな、そんな筆舌に尽くしがたい映像体験については、もうこれ以上は述べません。実際に鑑賞してのお楽しみ。



 ゲーム(正しくはレーシング・シミュレーター?)のプレイヤーを実際のレースに参加させるという、とんでもない実話を基にしている本作で描かれるのは、実際にゲームプレイヤーから本物のプロレーサーになったヤン・マーデンボロー氏の物語。そんな本作には、周囲から色眼鏡で見られながらも、逆境や試練に立ち向かい、勝利を掴み取っていくというメチャクチャ胸アツのスポ根映画のような魅力があります。(それこそ挙げれば切りがありませんが、)「~~になんか無理だ」という先入観や偏見に立ち向かい、胸を熱くする感動映画は山ほど存在しますが、そんな名作たちにも引けを取りません。

 そういった見応えも然ることながら、物語のテンポが良いのも面白さの要因の一つ。展開は早いものの、決して置いてきぼりを食ったりはしません。その上で、単に展開が早いだけではなく、そのスピード感を損なうことなくドラマ部分もしっかり描かれています。

※気にするほどではないかもしれませんが、この辺りから軽ネタバレ含みます。ご容赦ください。


 個人的に好きなのは、レース直前にヤン(アーチー・マデクウィ)のもとに父親のスティーブ(ジャイモン・フンスー)が訪れたシーン。顔を合わせて早々のスティーブの落涙は、彼がヤンのもとへと向かう道中や部屋をノックする直前まで、様々な想いをずーっと巡らせ続けていたことを容易に想像させてくれます。何と声を掛けようか、何を伝えるべきか、でもちゃんと会って話したい、等々、考えただけでこちらまで涙が溢れてきてしまいます。

また、ヤンとオードリーが東京観光でクラブに訪れていたシーンも素敵でした。前出のシーンなどでヤン、ジャック(デビッド・ハーバー)それぞれが語っていた特異な感覚——「無になる感覚」「でも全てがある」「周りがスローになるよう」——を連想させるような映像のおかげで、オードリーと二人で居る際のヤンの心情もまた、それと同様に最高の感覚なのかもしれないと思わされる。速い展開や躍動感ある映像が醍醐味ではありますが、こういうところも抜け目ありません。




 話は変わりますが、物語の序盤、『グランツーリスモ』のゲームをプレイしているヤンに、父親のスティーブが声を掛ける——「たまには外の空気も良いぞ」——と。

僕自身、幼少期から外で遊ぶよりは、映画やアニメ、漫画、ゲームなどに興じる方が好きだったし、実際にその経験や想い出も理由の一つにして現在の仕事を選んだわけでもあるのですが、やはり同様のことを家族や友人から言われたことがあります。もちろん、悪意は無いだろうし、善意から来る発言だとは重々承知の上ですが「外で体を動かすことの方が健全である」——「もはやそれが正しい。正義である。」——とでも言わんばかりの無意識のマウンティング(と形容するのは流石に穿った見方ですけど)にも似たものを感じてしまいます。

たしかに “シミュレーション” というくらいですから、バーチャルな疑似体験、模擬的な体験に過ぎません。本物には及ばない。劇中でジャックが「直感は教えられない」と口にしていたように、感覚的なものを知ることは難しいのかもしれません。けど、人の気も知らずにとやかく言われるのは、時に鬱陶しく感じたり腹立たしく思ってしまったりするもの。何故、どんな時にそんな嫌な気持ちになるのか。それはきっと、その外野の意見の中にリスペクトが足りなかった時

息子の将来などへの心配があったが故の言葉でしょうけれど、ヤンにとっては自身が積み重ねてきたものを「部屋にこもってゲームをして遊んでいるだけ」と軽んじられていると感じてしまったのかもしれません。

一方、プロのレーシングドライバーにとって本作で起こる出来事は、急に畑違いの奴らに肩を並べられてしまう、同じ土俵に入り込まれてしまうといった感覚。それまでに積み重ねてきたハードなトレーニングや命懸けのレースといった数々の積み重ね、延いてはそれらによって構成される現在の自分自身を軽んじられているような錯覚にも繋がりかねない。つまりはリスペクトをあまり感じられない。
 


 実をいうと僕自身も、「ゲームが上手いからって実際のレースは無理でしょ」と思ってしまっていた口。国籍や性別、見た目といった無根拠の理由付けで決め付けてしまう、そんな偏見は良くないとわかってはいたはずなのに、それでいても尚、案外、誰しもそういった色眼鏡を知らず知らずのうちにかけてしまうように思います。わざわざ口にはしない、けど、やっぱりどこか無意識のうちに、下に見てしまっている……。もっと言えば、何か問題が起きた際、上手くいかなかった際には、「これだから〇〇は~」と、根拠のない要素をこじつけてしまう。世の中にもそういう風潮が溢れているような気がします。



 だいぶ遠回りになりましたが、本作を観てとても印象的に思えたのは、そういった様々なリスペクトの有無。ジャックに対して傲慢な態度を見せたり、レース中に汚い手を平然と使ったりしてくるキャパ(ヨシャ・ストラドフスキー)の存在は、物語を面白くさせる敵役としても良かったし、彼の独りよがりな感じが対比となることで、ヤンたち日産のチーム内にあるリスペクトの精神が浮き彫りになっていたように思えます。本作の物語の基となったヤン氏の才能などへのリスペクトはもちろんですが、サポートしてくれるチームメンバーの存在、支えてくれる人たちの存在の重要性もしっかり感じ取れるのも本作の素敵なところ。


 『グランツーリスモ』シリーズは、確かに現実のレースではない。けど、感覚やセンスだけでは辿り着けない、コンマ幾つといった次元の精度での積み重ねが存在するのも事実。本作、延いてはゲーマーたちにプロレーサーになるチャンスを与えようとしたGTアカデミーには、徹底した研究や高精度な物理演算といった『グランツーリスモ』の作り手やエンジニアたちへの信頼・リスペクトがあるように思うんです。だからこそ、こんな奇跡のような実話が生まれたんじゃないかな。


 
 たしかに才能もあったのかもしれない。でも、想いを貫ける心の強さも大切。また、過程や道程を軽んじるわけではありませんが、逆にそういったものだけに縛られない、新たな活路を見出すこともとても重要。そしてだからこそ、時には起きてしまった事態や結果に対して「どう受け止めるかが人物を決める」というジャックのセリフにも重みが生まれてくる。
そんな格言っぽさが際立つのも、ある意味スポ根ムービーらしくて好きなポイントの一つです。


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