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映画『鬼手』感想

予告編
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 5(ご)1(い)4(し)の語呂合わせから、
本日5月14日は『碁石の日』という記念日なんですって。

ということで本日は囲碁の映画の感想文を投稿しますー。
何年か前の感想文ですが、よければどうぞー。


バイオレンス囲碁アクション


 これは良い。観ていて面白い、楽しい。“過激” の膨らし粉を入れ過ぎた感じと、理解し難い設定、そしてそれらをボヤかす不明瞭な時代設定等々、一つ一つは作品の調和を崩し兼ねない劇薬なのにも関わらず、それぞれが無茶苦茶だからこそ足並みが揃っている。賭け囲碁がもたらす静謐でピリッとした緊張感と、アクションが生み出す凄烈な躍動感が、まるで少年漫画のようなパワーを生み出している印象。ハッキリ言うよ、本作にとってリアリティなんてク ソくらえだっ笑!!


 本作は、両親は居らず、最愛の姉までも失った孤独な主人公グィス(クォン・サンウ)が、囲碁を武器に生き抜く物語。囲碁という存在が韓国でどれほど大きいかはわかりませんが、本作における囲碁は『アカギ』での麻雀みたいなもんなのかな?  裏社会での囲碁の代打ちはもちろん、無色透明の碁石を用いた対局、そして四肢や臓器、果ては命までをも賭けるブッ飛んだ感じが、まるで『アカギ』での鷲巣麻雀のように感じられ、日常離れした戦いであることを表現している。

これに負けず劣らずの特訓シーンも良い。暗闇の中で対局を強いられる過酷な環境は、もはや技術だとか才能だとか人間の域を疾うに超え、神や悪魔、或いは鬼などの超人的領域へと精神を到達させることが目的としか思えない。タイトルにもなっている “鬼手”——囲碁用語で、相手の意表を突き、肺腑をえぐる鋭い手を意味する言葉——は、その言葉が持つ本来の意味以上に、修羅という名の悪鬼にまでなりかねない主人公のことを指し示しているよう。それほどに無茶苦茶で、当然そこには合理的な根拠は見当たらない。それを子供にやらせるっていうね……。確かにかっこいいヒーローは幼少期から過酷でオリジナリティに富んだ特訓をしているものですけど、本作ぐらいブッ飛んでいなけりゃ、児童虐待にしか見えないレベルです笑。語弊になりかねないから付け加えておくと、本作の主人公は、姉を死に追いやった大ボスを倒さんとする姿勢はあるものの、その復讐達成へと至るプロセスはとてもじゃないが美しくありません。懲悪モノではあるけれど、どちらかというとアンチヒーローという感じかな。まぁだからこそかっこいいのだけど♡


 本作はそのアンチヒーローの引き立て方が良い。アクションシーンで言えば、彫刻のように鍛え上げられた肉体を際立たせるために、無人の工場を舞台していたりする。無論、「警察は仕事してんのか?」「無人の工場で機械が動いていて蒸気みたいなのが噴き出しているってどういうこと?」といった野暮なツッコミは禁止です。敵方ほど恨み辛みの口上を並べ立てるものの、主人公は寡黙に闘い続ける感じは、時代劇や西部劇の孤高の主人公のようでかっこいい。それを際立たせるように、グィスの横に居る男がおしゃべりで弱っちそうな雰囲気なのもまた良い。



 そして最終決戦……。大ボスの前に100人のプロ棋士を相手にするんですけど、この “100” っていう短絡的な数字もね……、もうホント最高です。繰り返しになりますが、本作は少年漫画のようなのです。過激さを楽しむために施された様々なブッ飛び設定は、現実を忘れさせ、全力で作品に没入させてくれる麻酔的な働きをしてくれるのかもしれません。僕のような人間にとっては特に。しかも囲碁もアクションも、多対一をくぐり抜けていく様が、「オレTUEEEE」感を表現してくれているから面白い。

そして迎える大ボスとの闘い……。階段を上る足元を斜めに映すこのシーンは、序盤、幼少期の彼が大ボスの家の階段を通った時と同じ映し方。このちょっとした反復が再戦(リベンジ)を想起させてくれるし、劇中で度々用いられるこの画角は「これから何かが起きる」という不吉で危険な予感を煽っているようでもあり、少なくとも本作中では漏れなく該当している。このカメラの使い方を「『第三の男』みたいな」と僕はよく形容するのですが、このカメラワークのノワール感って言うのかな?が、バイオレンスで不気味な本作との相性が凄く良い。

意外にもG指定の本作。囲碁に詳しくなくても楽しめる映画だったと思います。


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