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映画『マレフィセント2』感想

予告編
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 本日投稿するのは、4年前(2019年)の今日、10月18日に公開された映画『マレフィセント2』の感想文ですー。

 一作目の感想文は無いんですけど、もしよければ読んでくださいー。


原点回帰


 前作も含め、映像の爽快感が魅力のひとつである『マレフィセント』。まるで空を飛ぶマレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)の目線を想像させる冒頭の映像は、ジェットコースターに乗っているかのような、映像としての気持ち良さも然ることながら、物語の舞台となる世界の距離感を観客の頭の中に構成してくれる上手い手法だと思います。人間が暮らす王国と妖精たちが暮らす国はこれくらい離れているんだ、と視覚的に認識することで国同士の隔たりもイメージし易くなっています。


 マレフィセントの魔法はまさに天井知らずと言っても過言ではありません。本来、魔法の尺度(←こんな言葉は無いかもしれませんが……。魔法でどんなことまで出来るのか、という可能領域のことだと思ってください)が不明瞭だと、作り手の都合がまかり通ってしまうため、興醒めしちゃうことがままありますが、前作ではそんなご都合主義チックな描かれ方は無かったし、何より作品内のファンタジーの色味を濃くし、そして主人公である彼女自身に唯一無二感、最強の魔法使い感を付加することに繋がるよう描かれていたからとても面白かったです。


 だから正直なことを言うと、本作で彼女と同じ種族の存在が提示されたことが、巡り巡って作品を破綻させてしまうんじゃないかという懸念もちょっとあったんです。予告編やTVスポットを見て同じように感じた人も居たんじゃないかな?

 でも本作はそんな矛盾を回収し、ディズニーらしいハートフルな大団円で締め括ってくれました。「みんなが知る物語とはちょっと違うでしょ?」という茶目っ気が少し織り交ざられたマレフィセントの語りで終わった前作の時も感じましたけど、「本当にヴィランなのか?」と疑ってしまう程に素敵な後味。今思えば先述の懸念も、物語の中でこれから起こるであろう事態に対する不穏な雰囲気にマッチしていたし、そこからのハッピーエンドへの振り幅にも繋がっているわけだから結果オーライ。



 人々に夢を与える天下のディズニーですから、もちろん残酷な描写は存在しません。しかし本作には、まろやかに濁されてはいながらも人類が繰り返し犯してきた戦争という大きな過ちを彷彿とさせる箇所が幾つもある。新しいものや異端という、ただ知らないだけの存在に敵意を示すのは、勇気ではなく臆病。受け入れられない、或いは自分や身内以外を拒絶してしまうのは、“弱さ” の表れ。たしかに人間は “変化” と相対すのが苦手な動物なのかもしれませんが、それでも尚、本来、逆にそれが出来る唯一の動物でもあるはずなのに、手を取り合おうと歩み寄るのは、ヒトならざる姿の者ばかりという皮肉な世界観は、争いが弱さを発端にすることを証明しているかのよう。

 そうやって幻想の敵を作り上げ、火薬や武器を蓄え備える様が、戦争に至る過程のダイジェストに見えてなりません。教会(大聖堂?)に妖精たちを閉じ込めて鉄粉を撒き散らすシーンも、見方によってはホロコーストすら想起させられる。その重た過ぎる後味が故に、個人的になかなか忘れられずにいる映画『縞模様のパジャマの少年』を思い出してしまいました。

在りもしない危機を吹聴し、その原因と言わんばかりに弱者や異端といったマイノリティな者たちを吊るし上げ、敵と仕立て上げる。そして、王や貴族といった権力者に情報を支配・制限され、ある種の情報弱者と化した民衆に対し偏見に満ちた思想を押し付ける。大袈裟に聞こえるかもしれませんけど、やっていることは全く同じ。おとぎ話の世界ですら、ヒトが最も残忍で恐ろしいとは……。


 そんな物語をどうやって大団円に持っていくのかって話なんですけど、ここでシリーズの本質に辿り着くのが素敵……、というか流石だと思ってしまう。戦争という正義の無い事態、愛の無い事態を “真実の愛” が収めてくれる。正直、歯の浮くような言葉だけど『眠れる森の美女』から続くこのキーワードに回帰する流れは、作品としての矜持とすら呼べる素晴らしい流れだと思います。


 前作では描かれなかったマレフィセントの変身した姿を拝めたとかもあるけど、シンプルにCGがより美しくなっているのがわかり易い見所のひとつ。妖精たちの可愛い仕草や映像美だけでも観る価値アリです。


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