最高の私に出会う
石川県金沢市。石川県庁と金沢港の間のあたりにあるコミュニティハウス・シェアマインド金沢で、月に一度開催されているセルフケアセミナー「ゆらっく」。2018年3月開催のセミナーへ参加したときの話です。
このときのテーマは「最高の私に出会う」。
私に出会う。
自分のことは自分がいちばんよく知っているようで、案外よくわかっていない。わからない。それどころか、かつては「自分探し」という言葉もよく見聞きしたし、「自分のほんとうの気持ちはいったいなに?どれ?」というようなことを、あの人もこの人も言ってたり、自分にだってそんな思いが未だに時折よぎったりもするくらいで...だからこそ「自分の声をきく」ことが大切ということも多く言われているのでしょう。
マインドフルネスを体感するこのセミナーでひときわストレートなテーマと言えるでしょう。楽しみにしていました。
セミナーの流れ
最初に「チェックイン」。
話題のお題になるカードを1枚引いて、そのカードに書かれている問いに対する「今、このとき」の自分の答えや感じたことを、自己紹介も兼ねて自由に話して、全員で共有するコーナー。
今回はよりコンパクトに、簡単な自己紹介のみ。
そして「マインドフルネス」のコーナーへという流れになるのですが、今回は、その「マインドフルネス」も、メインのテーマに沿ったワークの一部に組み込まれていました。
<相手がいるマインドフルネスの試み>
参加者が2人1組になって、一方がマインドフルネスをする側、もう一方がその聞き手になって相対します。そして聞き手が投げかける
あなたは何者(どんな人)ですか?
という問いを受けて、マインドフルネス…聞き手の質問に対して浮かんできた答えをしばらくじっと味わって…
本当にそうと言いきれるか?
そうではないかもしれない
ほかのこともあるかもしれない
いまはこう、だけどこれからはかわるかもしれない
自分だけがみえてないことがあるかもしれない
そういう問いと答えを、聞き手の問いかけによりゆっくりと繰り返します。「新たな答え」が浮かんできたら、また、その答えをしばらくじっと味わって…
「答えが浮かばなくなる」「わからなくなる」まで繰り返します。その「浮かばない」「わからない」という内側の感覚を味わいます。
<わからなさを受け入れる(Groundlessness)>
これは、わからなさを受け入れる(Groundlessness)という、ハコミセラピー・トレーニングの一環を試みるワークなのでした。
自分のこれまでの経験で判断をしようとしたり、早く結論や答えを求めたりしがちな意識と習慣。それをやめてみることで自分の意識を開き、自分や他人、ものごとを深く見つめて知っていこうという試み。
深く知るということは、わからなさを認めて受け入れる。その「わからなさ」とは「自分で見えてない自分のある一面」「他者とわかりあえない部分」であって…
いかに「わからない」ことを知るかが、わからなさを受け入れることのはじまりであって、「わからなさ」を認めることこそ、究極の思いやり...???
「わかる」というのは、そういうことではないかと感じたのでした。
ようやく、セミナーのメイン【テーマワーク】へ移ります。
<110歳の自分が若い自分に伝えること>
自分は今、110歳である。
110歳の自分は、若い自分になにを伝えるか
重い病気にかかった人は強い。自分に向き合う意識が強い。
そういう話を見聞きすることはよくあります。
しかし、なにも、病気にかかってはじめてそんな力が新たについたり、鍛えられたりしたわけではない。実は、知恵も能力も、そうなる前から持っていた。ただ、それだけでは不十分だと思っていただけ。
110歳の自分が若い自分に言ってくれること。
それを受けて、現時点ではじめられること、はじめるべきことは、どんなことなのか?
それを問うことで、以前から持っている自分の知恵と能力~「その前から持っていた力」「その前からずっと知っていたこと」~を引き出そうという話。このセミナーではそれを10分あまりで書き出そうという試みがなされました。
そんな勢いで書き出したのがこれ。
敢えて清書も活字に書き出しもしないでナマの状態!
この「ナマの感覚」を自分に刻んで、あらためて意識して、実践していかねば…いきなり全部ではなくとも、まずはひとつからでも…
<「問い」重視の生き方へ>
今回はさらにもうひとつワークがありました。
正しい問いをたてる、ということについて。
問いにもいろいろあって、
なぜ自分がこんな目に遭わねばならない?
なぜ自分はいつもこうなのか?
そういう、自分で自分から力を奪ってしまうような問いもあれば、
こうしたときに自分にできることは何だ?
こういう、自分で自分を力づけるような問いもある。
答えが見つかったときに喜びが湧いてくるような、自分のパワーにつながっていくような問いは、どっちのパターンの問いだろうか。そういう問いはどのようにしたら立てられるのか。
そもそも自分は今、どんな問いを立てているか?
その問いが自分を力づけてないとしたら、どんな問いを立てたら自分が力づくのか?
そういう問いを立てていくということです。
セミナーの場ではこう出ました。
「答え重視」の生きかたから、「問い重視」の生きかたへ。
それが、わたしたちの人生に幅と奥行きをもたらす...
所感:問いは限りなく
相手のいるマインドフルネスの試み。いつもは、自分自身のそのときの感覚や思い浮かんだことをそのまま言い表してみるのですが、他者からの簡単な質問があることで、よりはっきりと、自分の感覚や思い浮かんだことを意識できた感じがしました。
自分の声を、漠然としたままではなく、はっきりと聴く。素早く意識する。そうできるようになっていくためにはなかなか有効な、興味深い試みでした。
◇
110歳の自分が若い自分に伝えることは何か。自分の中に棲む賢人を自ら呼び起こして、自分に問うているその声を聴く。
自分に問うているその問いは、自分の中から湧き上がる。
その問いはどのような立てかたをしている問いだろうか?
自分の中に棲む賢人は、自分自身に力を与えるだろうか?
自分の中に棲んでいる賢人が、自分から力を奪うようであったとしたならば、そもそもそれは賢人だろうか?
答えのようなものが見えたとしても、それで終わりとはならない。その時点から、さらに新たな答えを求める。それは自分が死ぬまで延々と続く…結局、ずっと「問いつづけて」いくということではないのか。
であれば、そのことを認めて、しっかりと意識して、わからなさを受け入れて、問い続ける。そのほうが、おもしろいや。
◇
で、わたしたちは、何を望みたいのか?
短時間で瞬間的に出たものが、案外、自分にとっての核心かも知れません。
自分の声をはっきりと聴くこと。
漠然としたままではなく。
そこに還る。
問いは限りない。
問わずに済むなら、楽だ。
だけども、そんな人生を生きることは幸福だろうか?
問いはどこまでも限りない。
「ゆらっく」セミナーについて
ゆらっく とは…
ゆらっく:『あなた(You)』が、『楽に』なれる場所
「自分としっかり共にいる」
「自分の声に耳を傾ける」
「自分とゆっくり対話する」
講師は福多唯(ふくだゆい)さん。
女性護身術「Wen-Do(ウェンドー)」の、日本人初、かつ唯一のマスターインストラクターとして、女性専用のセルフディフェンスの普及活動に取り組んでおられます。企業や教育機関などでの教育・講演も多くの実績を残されています。
セルフディフェンスから派生した「いろんなパワー(外圧)に対する心的防御」として、日頃の自分の心持ちを整理する、また、自分の内なる声に耳を向けて、自分の思いや感覚を大切にすることが、日頃のセルフケアとしてスムーズに取り入れられるようになるためのセミナーでもある、とわたしは捉えています。
日常のこころのセルフケアのヒントをやさしく知って体験することができる。それにはうってつけの場であると思います。
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