音楽の花嫁_表紙

【長編小説】音楽の花嫁 3/19


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おじいさんの告白を聞いた初めての夜は案の定眠れなかった。ちぎれた戦友の腕や、破片が刺さったおじいさんの腹やら、私の頭が作り出した生々しい画は、私の怯えを餌にして瞼の裏でどんどん誇大化し、頭の中を埋め尽くした。しかし何晩も何晩も再生するごとに恐ろしさは段々薄れていき、そのかわりに成長した私の心の真ん中を占めるようになったのは、「自分ならどうする」という問いだった。私には、親友もろとも戦車を倒すことができるのか。あるいは、何も出来ないままにみじめに戦車に踏み潰されるのか。少なくともおじいさんのように、玉砕の覚悟を決めることなんて出来ない。おじいさんは優秀な兵士だった。退役してからもいろんな会長を兼ねた「偉い人」だった。そして、おじいさんは人殺しだった。一つの爆発が、全部をおじいさんに背負わせた。その一瞬が、おじいさんを、強烈な何者かに仕立て上げた。良くも悪くも……。おじいさんは戦争が嫌いと言っていた。嫌いなものに縛られて、その後の人生が全部決まってしまって、可愛そうだと思った。でも、その窮屈さもまんざらではないようなところが、おじいさんにはあった。戦争が無かったら、おじいさんは何だったんだろうか。あの、荒れ地を踏み締める戦車のキャタピラのように、ずっしりと重い語り口、あの語りと同じ重さで、私が何かを語れるようになる日は来るのだろうか。幼い頃は、大人になったらきっと、そういうことがあると思っていた。でも最近の私は、灰色の諦めの中でくすぶっている。
 今でもたまに戦争の夢を見る。夜中に魘されて、汗びっしょりで目覚める。夢の余韻が残る中で、腕をもがいたり、すすり泣いたり、あまりに速く打つ心臓の音に怯えたりする。しかしそのうちさあっと霧が晴れるように「ああ、私は女だから戦争には行けないんだ」と大命題が現れて、安堵と諦めの中で、再び眠りに落ちる。
 おじいさんは今ではめっきり老衰し、病院のベッドの上で起き伏しする生活を送っている。

 多くの高校生は家と学校の往復で生きている。人によっては、塾とか部活の遠征とかバイトが入る程度。それでなんで無限の可能性なんて言えるんだろうか。ちなみに今の私はそれらのオプションは全部ついていない。
 私はオーケストラ部にいたが、夏休みのコンクールが終わって先月引退したところだった。三年生は十月の文化祭まで参加することも出来るし、そうする人の方が多かったが、私は早く切り上げることにした。楽器は大好きだけど、あの部長ともう同じステージに乗りたくなかった。
 部長は同じクラスにいる。だいたい、他のヴァイオリンの女子二人と一緒に、私の席から少し離れた前の方に溜まって、お喋りしていることが多い。別に気にすることなんて何も無いのに、いつも私は、楽譜越しに指揮者を見る時のように、携帯や手帳を見つつ部長をぼやけた視野の中に入れて位置を把握するのが癖になってしまっている。まるで好きな人を盗み見するみたいだなと思う。もしかしたら、部長のことを好きなんじゃないか、とも思ってもみたりするし、もしそうだったらなんて世界は素敵になるだろうとも思うのだけれど、すぐに筆圧の強いボールペンでまっ黒に塗りつぶされるような息詰まりを感じて、そんな仮定は掻き消される。
 部長達は女子三人で集まって、携帯と私の顔を交互に見ながら、クスクス笑っている。ように見える。自意識過剰かもしれない。ぼやけた視野の中だからよく分からない。でも、きちんと見て確かめるのもの嫌だ。自分が部長たちを気にしているとバレるのが。ありもしない新着メールをチェックしたりして平静を保つ。三人のスカートの丈が全く同じで、その下でくねくねしている六本の肌色もだいたい同じ細さで、ぼやけた視界で見るとなんだか六本足の化け物のようだと思ったらなぜか噴き出しそうになって慌てて盛大な空咳をしてごまかす。化け物の頭がちらりちらりとこちらを振り向く。
 別に、いじめられているわけじゃない。無視されているわけでもなく、化学の実験で同じ班になれば、なんてことなしにちゃんと会話できる。
 部活一筋で、クラスに部活以外の友達を作っていなかったのが、引退後に響いた。もっと、文化祭のクラスの出し物とか、委員会とかに、参加しておくべきだった。とりあえず暇な休み時間を紛らわす程度の友達なら他にいなくもないし、ヴァイオリンの子達ともそもそもその程度の仲だったけれども、手数がごそっと減った感じがする。どうせもう受験なのだからこのまま皆勉強に集中して、最近やたらと携帯を見るようになったクラスメイトのことなんかに気付かなくなればいい。
 放課後は一刻も早く教室内の視線の絡み合いから逃れたく、しかし家に帰りたくはないので図書室で勉強しつつ紺野を待つ。紺野は今コントラバスを弾いている。私と同じく夏休み後に引退する気だったのに、下級生に「低音が足りないからどうしても入ってくれ」とせがまれ、秋まで残ることになった。
 紺野と仲良くなったのも、思えば部長と気まずくなったのと同じきっかけだった。夏休み入りたて、コンクール直前でもっともピリピリしている時、部長は合奏練習の休憩中までをも使ってパート練習をするようになった。いくら部長直属のパートとはいえ、ヴァイオリンの子は実質休憩無しで練習することになるし、他の部員も気が詰まる。なのである日の合奏後のパートリーダーミーティングで、黒一点の紺野は
「気持ちは分かるけど、休みは休みなよ。その方が効率も良くなるよ」
と部長に言った。紺野の言い方は軽い感じで責めたてる口調でもなく、しかも女子ばかりの部活で男子がそう言ってくれるのは女子同士の軋轢から外れるから良いことだと思った。私はよくぞ言ったと心の中で拍手を送ったが、その後ちょっと間が空いたので、
「部長がそれだと、さ。気詰まっちゃうじゃん」
 紺野を援護するつもりでそう言った。しかしその瞬間部長が水に打たれたようにハッと顔を挙げたので、私は言ってはいけないことを言ったことに気付いた。パートリーダー数人の目が一斉に私を向いた。私は女子だった。
「部長……部長だから、……うちが、さぁ……」
 部長の語尾は消え入りそうになり、それからしゃくりあげる声が聞こえ出した。すかさず
「加奈が頑張ってるのは知ってるよ」
「大丈夫だよ、加奈の気持ちみんな知ってるよ」
とヴィオラ、セカンドヴァイオリンのパトリが脇に入る。そうだ、忘れていた。部長はすぐ泣く子だった。私は冷や汗が止まらなくなった。
 部長が一番頑張っているのは、本当に皆よく知っていた。朝一番に楽器庫を開けて朝練し放課後練の後も楽器を持ち帰り、家で弾く。でも私は、自分で自分を追い込んで泣きそうになって、いつも周りから守ってもらっている部長がどうも嫌いで、あまり近付かないようにしていた。というより部長に限らず、オケの頭同士だからといって特に人間関係を濃くしようと努めたりはせず楽器と練習のことばかり考えていた。引退直前にそのバチが当たったように思った。
 結局合奏休憩中のヴァイオリンの練習は自然消滅した。が、私は弦楽器、特にヴァイオリンの子達となんとなくギスギスするようになってしまった。

そんなことがあってしばらくして、紺野がどこかのSNSに書いていた私のスカイプIDを見つけて話しかけて来た。今までほとんど話したことが無かったけれど、みんながいるところでは言えない部活の不満を話してみると、同じことを考えていたことが分かり、お互い救われた気分になった。それからたまたま、私が大好きなインディーズのマイナーなバンドを紺野も好きなことを知り、天文学的な偶然に巡り合ったように二人で興奮して、深夜まで話し込んだ。
 紺野とは男女というより、性別を感じずに好き勝手に話せた。顔も性格も女の子みたいだったので、あまりデートだと思わず、新宿のインディーズ専用のCDショップによく一緒に行った。ずっと行きたかったけれど一人では怖くて行けない、でも一緒に行く相手も見つからなかったインディーズの狭くて小さいライヴハウスにも、勇気を出して二人で乗り込んだ。そのバンドは、私の兄が入っている大学のバンドサークルのOBにあたるので、私が兄経由で手に入れた昔の音源やライヴ映像を貸すと、まるで僻地からの便りを届けに来た人のように有難がられた。
 それが引退直前から直後くらいなのだが、最近になってから、部長が紺野にずっと片思いしていたということを噂で聞いた。なんだか、すごいと思っていた手品のタネがあまりにしょぼかった時みたいにへなへな脱力してしまった。そういうこともあって、部長に嫌われたんだろうか。というかそれならそもそもあのパートリーダー会議で泣いたのは、好きな人に注意されたのがショックなだけで、私はとばっちりだったのかもしれない。どっちにしろ噂はどうでもいいしそれ以上何も知りたくなかった。やっぱり部の人間関係に疎過ぎたバチが当たったのだと思った。
 音楽室とは別の棟にある図書室にいても、時折、一番音が大きくてよく通るトランペットだけが遠吠えのように聞こえてくることがある。そうすると今座っている図書室の席が、オーケストラの中のオーボエの席――オーケストラの真ん中にあり、あらゆる音が平等に聞こえてくる特等席――のような錯覚に、一瞬陥る。オーボエはチューニングを担当する楽器だ。合奏を始める前、私がAの音をロングトーンし、全ての楽器がその高さに合わせてチューニングする。ばらばらの方向を向き、濁り、うねっている音が、次第に私の方を向き、一つの音程に収れんされていくのは快感だった。自分の音は変わらなく、皆の音が自分に寄っていくのだけど、自分自身がいろんな音の石に研がれて、身体の真ん中にある硬質な芯だけが洗い出されていくような気持ち良さがあった。それを思い出すとあの時の清廉とした気持ちが蘇ってきて、勉強にも集中出来た。私は本当にオケが好きだったんだなと思った。
 図書室の入り口で紺野の手の平が蝶のようにひらひら揺れていた。私は教科書を手早くしまって滑るように図書室を出た。六時だが九月なのでまだ明るい。部員らと会わないように、マイナーな北門から出る。言葉は無くとも、これは二学期になってからのお決まりのコースなので、私達はまるでよく出来た双子の機械の人形のように着々と進む。
「また河原行く?」
 紺野は言って私は頷く。ちょっと後ろを振り向いてから紺野が手を差し伸べてきた。それは、ちょうど紺野の方に差し出そうとしていた私の手と出合って、つながれた。
 お金が無くてマックで百円のドリンクを頼むのもためらわれる私達には、タダでいられてマックより同級生に見つかりにくい河原は夏限定の丁度いい場所だった。
「よっしゃー!」
と言って学生カバンを放り投げて斜面にスライディングしていった紺野は四肢を投げ出し仰向けになって、殺人現場の白チョークで描かれた人型のような大まかな輪郭を描いて草むらに埋もれた。私は虫よけスプレーを自分と、それから紺野の死体に適当にふりかけた。スカートが濡れるかもしれないけれど気にせず紺野の隣に体育座りすると、スカートに覆われていない裸の腿の裏に草がちくちくあたった。紺野の一日剃らずにいたひげのようだと思った。
「オーボエの二年、巧くなったよ」
 紺野が顔だけ九十度ずらしこちらを向いて言った。私は体育座りから横座りに素早く変更してスカートの中が見えるのを防いだ。それと下から見上げられるとぶさいくに見えるので顔の向きを変えたら、斜め上目使いの媚びたヤンキーみたいな変な角度で紺野の方を向くことになってしまった。すると紺野がスカートの裾をめくろうとしてきたのでバッと押さえたら、
「いや、ひっつき虫ついてたから」
と言うので、私はまるで全力でとったカルタがお手つきだった時のように恥ずかしくなった。自分でひっつき虫をとった。
 どうもおかしい。私が紺野と同じくズボンを履いている男子だったらスカートの裾や顔の向きを気にしたりしなくていいのに。
「ああ、それで、オーボエの二年が、やたらめったら巧くなったんだよ」
「私がいない方が巧くなるっしょ」
と言うと紺野はフハハと笑って
「そう思う。だから俺も抜けたい」
「でもそしたらコンバス二本だけになっちゃうじゃん」
「だよなー。それもキツいよなー」
 オーボエの後輩はものすごく私になついてくれて練習も熱心で、私の早めの引退を本当に惜しそうにしていたが、あの子ならもうオーボエの主席でチューニングをする役目を任せてもいいと思った。あの席は重いだろうけれど気持ち良さも早く味わって欲しい。
「そう言えば今週の金曜日行く?」
 紺野が身体を起こした。
「え? 何?」
「あれ、メーリス来てない? オーボエのOBの平戸さんが来て指導してくれるから、そのあと皆で飯行こうって話」
「えっ何それ行きたい行きたい」
「じゃあ転送するけど……メーリス壊れたかな?」
 紺野が携帯をいじる姿を見ていると、全く同じ手つきで携帯をいじっていた昼頃の部長の姿と二重映しになった。ハッとした。念のため携帯を見てメールを確認する。
「メール来たのって、今日?」
「そう。今日の昼頃」
「来てない。やられたな」
 私はむしろせいせいして、携帯を宙に放り投げた。バスン、と良い音がして、良い感じに携帯は草に埋もれた。
 そこまでちまちましたことをねちねちやって満足してくれるなら、好きにしてほしい。こっちだって、安心して部長を憎める。
「どうしたの?」
 携帯を拾いながら紺野が聞いてくる。
「部長がメーリス外したっぽい。だって昨日のメーリスは来てたんだから。私が平戸先輩大好きなの知ってるからわざと外したんでしょ。で、明日からまた元通りにすればバレないじゃん。本当せせこましいわ」
「マジか」
「あー。平戸さん、会いたかったなー」
「会いたかった、って、行かないの?」
「部長が来るなら行きたくない、し、部長は私に来てほしくないってことでしょ」
「……」
「ごめん」
 くだらないことを紺野に話してしまって後悔した。そういう面倒臭いところから離れたところにいる者同士として、私達はシンパシーを持っているのに、それを自分で乱してしまった気がした。
「部長って、なんで紺野のこと好きなのかな?」
 私がそう聞くと紺野は機敏に私に背を向けて、草をちぎって投げちぎって投げしだした。まるで親に小言を言われる子供のようだった。
「知らねー。全然心当たり無い」
 ちぎって投げるような口調で紺野が言った。私は話題を変えるべきなのにもっと駄目な話題を持ってきてしまっていた。紺野が苛立っているのが分かる、でもやめられない。
「まだ好きだと思う?」
「気持ち悪いから、さっさと諦めて欲しいんですよね」
 紺野は草が抜かれて剥き出しになった土を丸く指でなぞってならした。ストレスに晒された動物に出来たハゲみたいだなと思った。
「全然、心当たり無い。気持ち悪い。ああいう訳分かんない女は生理的に嫌」
「はははー。生理的に嫌、って、女の子みたいなセリフ」
 私はそう返しながら、やっと安心した。自分は性格の悪い奴だ。紺野が部長を悪く言うのを聞きたいなんて。しかも、私のことを「好き」と聞けないから、その代わりに、なんて。
 紺野と私の間には「好きです」も「付き合って下さい」も無かった。まだ無い、のか、もう無い、のか。一度親がいない時に私の家に呼んで、夕飯を一緒に食べて、それからソファに並んでDVDを観て、それから、セックスの真似ごとに挑戦してみたこともあったのだけれど、お互い初めてだったのでうまくいかずうやむやに終わった。昨日、また親がいなくて(私の母はよく主婦仲間との旅行で家を外す。父は単身赴任中だ)また家に呼んだのだが、キスをしたり身体を触ったりしたもののその続きは「あまりする気がしない」と言われた。確かに私にも、紺野はそういうことをする相手じゃないような気がうっすらとしていた。自分の右手と左手で握手したような、なんだかおかしな感じだった。しかし、キスまでされてしまうとその違和感もどこかに行ってしまうのだった。熱いどろどろが肌の一枚下まで詰まって、はち切れそうになっている私は、それを紺野にぶつけたいという気持ちと、ぶつけてはいけないという気持ちとでぐるぐる廻り、バターのように頭が溶けて、何も考えられなくなった。ただ未練がましく、紺野の身体に腕と手をまとわりつかせているしかなかった。紺野がそうさせたのだ。こんなのは生まれて初めてなのだから、紺野に責任とってどうにかしてほしかった。
 今だって、同じだ。もう大分時間が経っているのに、ひっつき虫をとろうとして紺野が軽く触ったスカートの裾からびりびりとよじのぼってきた信号が、いまだに全ての肌を過敏にしている。身体中繊毛が生えて、全て紺野の方向を向いているようだ。ドミノ倒しみたいなもので、もう自分の意志ではない。一個でも倒した人の責任にしてほしい。
「あの、昨日のことだけどさ……」
 紺野も同じことを考えていたようだった。
「あ、うん。なんか……ごめん。私、一緒にいて楽しくやれればいいよ」
「うん。でも水原は本当はそう思ってないでしょ」
「……」
 ばれていた。全身の繊毛が気配を殺そうとさっと伏せる。
「俺、セックスとかあんま好きじゃない」
「……うん」
「と、思う」
「……うん」
「ごめん」
「……ううん」
 心臓に鉛の弾が撃ち込まれるようだった。ぐりぐりとめり込んで、私の息の根を止めた。「お前のことあんまり好きじゃない」と言われるのと同じだった。違うと分かっているけれど同じに思えた。自分がすごく汚らしい、程度の低いところにあって、紺野をわずらわせていると思った。ぐるりと皮を剥いでそれで無いことにできるならそうしたかった。
 大体毎日河原でキスをしていたのに、今日はしなかった。これからももうしないかもしれない。少なくとも私からは出来ない。
 ちょっとぞっとするくらいに河原は人気が無かった。私達の視界には他に人間はいなかった。滴り落ちそうな真っ赤な夕陽が、空も水面も全部ジリジリと赤く灼いて地獄のようだった。このままここだけ日が暮れず、二人で世界に取り残されて、夕陽に焼けて焦げて、死んで干からびるまで放って置かれてしまえばいいと思った。肌も肉も無くなって骨だけになれば、さすがに私達は永遠に仲良くできるだろう。
「あ、ねえ、結局今日行く?」
 紺野なんて死んでしまえばいいと思いながら、私はわざと明るい声で言った。
「あー、俺、いいや。ごめん、アンコール曲の譜読み終わらせないといけなくて」
「あ……そう」
 きちんと約束していなかった私が悪かったけれど、受験前に一緒に観られる最後のライヴだろうから行きたいね、と話していたのに。
「じゃあ一人で行くね!」
 気丈に振舞おうとして大きい声を出したら大きくなりすぎて、逆に嫌味に聞こえないかと慌てた。
「うん。レポ頼んだ」
 あんなところへ一人で行くと思うとぞっとするが、一緒に来てとねだるなんて無理だった。
 二人で同じタイミングで腰を上げて、駅へ向かって歩き出した。自然と手がつながった。影を見ていたので、左右対称に両側から手が出て来て真ん中でくっつくのが、それこそ双子の機械の人形みたいに見えた。こんなにうまくいくのに、でも、片方は手をつなぐだけじゃ満足出来ず、つないだ右手の一枚下の血潮はもっと体温を欲しがって渦巻いている。性欲も同じくらいなら良かった。というか両方女か男だったらよかったのだろうか。でもそうしたら私は紺野をこんなに大事に思えるのだろうか。握った右手からぼろぼろと細胞劣化して自分があっという間におばさんになるような気になった。私だけ熟れて発情して、早く腐って朽ちるのだ。同じ速度で紺野が朽ちるより、一緒に、熟れさえしないでいる方が良い。
 紺野は私が他の人とセックスしても良いのだろうか?


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