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page 5『 曖昧な色の落とし物 』 ノンフィクション

第3章「 やめたくても、やめられない 」

 あの頃からもう10年が経つ。夫は歳を素敵に重ね、息子はすくすくと成長を続けている。そして私ひとりだけが完全なるマイナスの成長だ。

 この年月で、私の目に映る世界は変わってしまった。物事を「きれいか汚いか」という大前提の元に、見たり考えたりするようになってしまっている。私自身もそれがおかしいとはっきり感じているのに、どうしても強い不安と不快感にかき立てられてしまい、無視しようとするとパニックに陥り、戻すことができない。
「私が弱いから」「甘いから」
もうそれしか、答えは考えられない。

 そして大好きな空の色までも、一段階暗く見えるようになってしまった。
朝の空を眺めることも、シンプルな雰囲気に魅力を感じるところも。本を読むこと、美味しいものを食べること、コーヒーにファッション。
相変わらず、好きなことは変わっていないのに。

 空の暗さの原因は、私もなんとなく気づいている。きっと自分自身の弱さに対する失望と罪悪感の塊なのだ。今の状況が「逃げているだけ」と認めた時からの...

 私でさえ、自分のことを呆れてしまう位だから理解はしてもらえなくて当然だ。けれども今の私を敢えて説明するとすれば、こんな感じだろう。

 ここ日本でも、2020年頃からコロナウイルスの影響が出始め、アルコール除菌やマスクをする生活が私達には既に身についている。ドアノブを除菌したり、衣服にスプレーをしたりする人もいるだろう。
 今はまだあたりまえの対策なのだが、コロナウイルスが落ち着き、対策も不要になったとする。その時に「手のアルコール除菌がなぜかやめられない」「マスクを取ることができない」「除菌掃除がやめられない」「コロナ対策での習慣がやめられない」等という感覚を持つ人が、中にはいるかもしれない。
「今迄やってきたのだから、続けてたほうがいいでしょ?」
始まりはそんな軽い気持ちや感覚だったものが、次第に生活全般に影響してしまう程の強烈なパターン、10年ものとなったのが今の私なのである。

 同じ行動の繰り返しは習慣化しやすく、やっておいて損はないという考え方になりがちだ。
これをいつものようにやらなかったら、今迄やってきたことも何だか少し無駄になってしまうような、そんな感覚もあるのかもしれない。

 この10年で、私の暮らしや内面はどう変わっていくこととなったのだろうか。
シンプルな暮らしも、どうしても菌が気になる
不潔に恐怖を感じる状況も「おかしなバランス」を保ちながら、私と共に今も尚、生き続けている。しかし、私の内面である思考や行動は大きく変わってしまったと言っても過言ではない。

 現に私は「きれい•汚い」に該当することに関しては、完璧思考(完璧主義)をとるようになってしまった。極端な方法で物事を考え、答えを出している。

完璧思考は「白か黒」或いは「0か100」
不潔に恐怖を感じる私で言えば「きれいか汚い」である。

選択肢は、常に2択のどちらかしかなく
「白=きれい=安心」「黒=汚い=不安」
なのだが、完璧思考の今の私は
曖昧なことが一切許せない。
答えが白、きれいで安心となるのは100%きれいな場合のみであり、汚い場合やほんの少しでも汚い場合はどちらも黒が答えとなる。
もしそれが目には見えなくても、想像であったとしても...だ。

もしかしたら菌がついているかもしれない。
だから汚いかもしれない。

そんなふうにほんの僅かでも感じてしまったら、答えは黒となる。少しきれいや少し汚いは存在しないのだ。つまり、グレーゾーンはない。

 一般的な感覚であれば「多少汚れていても大丈夫。」グレーという答えで処理し、その後の掃除はせずにおわりだろう。
 けれども私はこれが許せず、答えが黒となった場合は、不安や不快感を取り除くために私のルールに基づき「手を洗う」「除菌する」「掃除する」等の行動をしなければ安心できなくなっている。掃除をしたからといって、100%きれいなわけではないことも私は理解している。理解はしているけれど、行動せずにはいられない。
「〜しなければ」
そんな言葉に常に捉われてしまうようだ。

 そんな不潔を不安や恐怖に、そして不快に感じる世界で、私は10年間を生きてきた。
ここはあまりにも過酷で厳しい、不安と不快感と枠の狭さに息が詰まりそうなところだ。自分のルールにいつも縛られ、振り回されることばかり。
「その行き過ぎた思考や行動はおかしい。私はおかしいことをしている」という自覚は、はっきりと感じている。葛藤と失望の連続の世界だ。

 自分から迷い込んだ出口の見えない不潔恐怖という名のトンネルの中で、私は途方に暮れながらずっと歩き続けてきた。
暫くして、緊急用の非常出口を発見することとなったが「そっちは険しいから。不安だから。」
そうやって私はずっと、見ないふりをしてきてしまっている。

 結果的に私自身だけではなく、この問題に大切な家族をも巻き込むこととなってしまったことは、今更悔やんでも、悔やみきれない。
 落としてしまった曖昧な色を取り戻したいという切実な想いはあっても、もうどうやって取り戻せばいいのか私には検討もつかない。

 一方で「きれい•汚い」と関係のないところでは、新たな学びも多い10年だった。今迄に経験したことのない嬉しさや楽しさ、そして幸せ...沢山の感情に私は出逢い、時には驚きや悲しみ、怒り、迷い...こうした感情にも幾度となく直面もした。
これらはここまで生きてきた証でもあり、私の宝物でもある。

 生後5ヶ月だった息子は10歳へと成長し、小学5年生となった。
 引っ越しも近場であれから3度。そして徒歩で生活のしやすい場所に、家も持った。
中には4ヶ月しか住まない家もあったが、引っ越しの度に持ち物の見直しを、不要なものは手放すことと更新を繰り返し、持ち家に引っ越す時にはミニマルな家族としての暮らしが自然と身についていた。

 引っ越しの荷造りは、直ぐに必要なものを入れる開ける箱と、直ぐに必要ではない直ぐに開けない箱に分けて荷造りをした。そして直ぐに開けない箱は、後に落ちついた頃に開けてみる。

...... ゴミ?

このように、結局要らない物ばかりで驚いてしまった覚えもある。この経験から、今使っていないものやなくても困らないものをうまく手放す方法を学ぶことができたような気がする。こうして、シンプルに暮らすことは好きで続いている。

 当然息子は成長していくため、生活スタイルも変化。その都度、更新が必要になる。
生活しやすい方法を「考えて、試して、更新して...」そんなことを私は定期的に繰り返すようになっていった。

息子が喋り、歩き始めたとき。
幼稚園入園前の2人で過ごしていた、2歳のとき。
幼稚園に通い始めたとき。
小学校に入学したとき。
進級して、年々成長してきたとき。
    〻
こんな具合に...

 時にその中で「きれい•汚い」に関係する部分に遭遇することもある。すると私は様々な問題にぶつかる度に思考錯誤を繰り返し、私のルールに沿ったプログラミング生活を確立し始めた。「どうしたら如何に手を洗わずに、効率よく家事を進めていけるか...」そのプログラミング生活で私の日常は最適化され、普段の生活では困ることがほぼなく快適になってしまう。

 その後も私のルールはどんどん増え、始めのうちは片手で数えられる位だったはずのものが気付いた頃にはもう数え切れない程となり、とうとう私も幾つあるのかわからなくなった。
「不安対象のものを触ったら手を洗う」「外出したら直ぐにお風呂へ直行する」「気になる箇所の除菌をする」「トイレ掃除を毎日する」「フローリングに洗濯物を落としたら再度洗う」...

 さらに私がルールを守っているだけでは安心して生活ができないからと、家族にまで私のルールをいくつか押し付け始める。これは実は「巻き込み」と呼ばれる病気の症状だった。

私「手を洗ってね」「これは触らないでね」
 「家に帰ってきたらすぐにお風呂に入ってね」

本当にひどい妻で母親だ。相手にお願いをして、
自分の思い通りに行動させようとするなんて。

そんなふうに変わっていく私を、夫はどこかおかしいと感じていたようだ。そんな4年前のある日のことだった。

夫「その症状はおそらく、強迫性障害っていう病気だよ。治療しよう。一緒に病院行くから」

私「...........................  行きたくない」

この症状が病気かもしれない。そう伝えられても私は頑なに、病院受診を断り続けた。
夫がトンネルの非常出口を見つけてくれたのに。
私はそこから、不安で逃げたのだ。
当然夫とは、言い合いが増えていくようになっていく。
私の目に映る朝空の色が、僅かに暗く感じるようになったのは...この頃のことだった。

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