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page 6『 曖昧な色の落とし物 』ノンフィクション

 「 きょうはくせいしょうがい 」あれから何度
検索をしても、答えは同じだ。
私の状態はこれでもかというほど、夫が口にしていた強迫性障害という病気の不潔恐怖の症状に、ぴったりと当てはまっている。これではもう
病気だと認めざるを得ないような状況だった。

 治療法は薬物療法と行動療法だそうだが、行動療法の内容を理解すればする程、私の不安は募り重圧となっていく。
これ以上の不安要素を受け入れられる自信がどうしてもなく、現状維持が1番安心という想いになってしまう。

汚いものを敢えて触って、手を洗わずにひたすら我慢。不安が下がるのを身体で覚えていく治療?
そんなの私に出来るはずがないでしょ...


 想像するだけで、頭がおかしくなりそうだ。
それにしても私はいつからこんな弱い人間になってしまったのだろう。携帯電話を片手に、私は
がっくりと肩を落としていた。

 この10年、そして今も生活は出来ている。夫は
4年前迄は出勤は早朝から、帰宅は夜12時過ぎがあたりまえ、遅い時は深夜2時頃だった。
その後は大分落ち着き、12時迄には帰宅できるようになったものの、現在は今年行われるある舞台へ向けてのプロジェクトチームに所属している。そのため休日出勤も1ヶ月程度の出張も度々あり、自宅に居る時間は決して多くはない。
家事は手伝ってもらわずとも出来ていて、さらに時間のゆとりも楽しみも私には一応ある...

 そんな言い訳としか思えないようなことを考えながら、私が携帯電話の画面に視線を戻したその瞬間のことだった。「えっ...!? ためこみ症?」
画面に映るその言葉に、私の目は釘付けとなってしまった。その後の説明を読んだ私は驚きを隠せず、動揺していた。

 先日夫とニュースを見ていた時に、ゴミ屋敷の報道があった。その家は室内全体の天井部分にまでゴミが高く積まれ、溢れ返ったゴミが前の道路にまではみ出していた。
その映像を見た私は口にする。

私「どうしてゴミなのに、溜め込むのかな?」

夫「君と一緒でしょ」

私「私と一緒...?全然似てないと思うけど」

きっぱりとそう答えたことを私は覚えている。
しかしそれは、大きな間違いだったようだ。
先程の記事には、ためこみ症は現在は強迫性障害とは別の独立した疾患となったが、以前は同じ強迫性障害の症状の一部だった、とそう書かれている。
 外見上は反対のことをしているように見える私とゴミ屋敷も、根本的な部分に着目すれば確かに一緒なのだ。自分自身のことは棚に上げて、なんと愚かな発言を...あの時夫が口にした言葉の意味を、私は今やっと理解していた。

 他の脳疾患や精神疾患が隠れている場合もあるそうなので一概には言えないが、心の病気の可能性がきっと高いのだろう。
「どうして?」本人だってそんなことはわからないはずだ。私だってどうして過剰な行為を止めることが出来ないのか、わからないのだから。
他の人から見たら、私も同じように見えるのだとその時初めて自分を客観視することとなった。

どうして菌が気になり、除菌掃除をするのか
どうして汚いと思うものが増えていくのか
どうして手を洗うことがやめられないのか

理由はわからないが、病気だと認めたのであれば、解消されない理由は治療から逃げているからだ。
治療という現実から、不安になりそうなことから、今の私は逃げているだけだから。
前には進んでいないから。
 新しいことに踏み出すという勇気は、何処へ消えてしまったのだろう。踏み出そうと考えるだけで、パニックになってしまいそう。

 この10年で私の不安対象は、家の外にあるものは全てというところまで広がっている。エレベーターのボタンも、スーパーのカゴもベンチも地面も。自宅から1歩でも外へ出たら、何もかもが苦手だ。
外出時に身につけた衣類やバッグ、アクセサリー外から買ってきた食料品や生活用品。
そして、家の中の物でもフローリング、ドアノブ、ゴミ箱、窓、掃除機...自分が汚いと判断している物を触る度に手を洗いたくなってしまう。

 こうして年々手を洗う回数は増え続け、1日に何回洗っているのか、私にももうわからなくなってしまった。
トータルすれば既に、一般的な人の一生分位の
回数は、手を洗ってしまっているのではないかと思う。私の場合は何分も何時間も洗い続けてしまうというものではなく、頻繁に洗いすぎてしまうことが問題だった。

 近年は目の病気にも悩まされ、涙囊炎と鼻涙管閉塞症という病気を発症し、週1回の通院に日帰り手術も数回受けている。目薬は1日12回。元々緑内障の持病もあり、それも含めると計14回。目薬の前には、手を洗わなければならない。
特に術後は感染症にかかりやすいため、ますます手を洗う回数は増えていく。

 ただでさえ手を洗いすぎている状態で目薬、さらに外出となると、手を洗う回数もその分追加されていく。手ばかりを洗いすぎて、近年は次第に外出まで苦手なものとなってきている。
 なるべく手を洗わずに済むようにと外に出ることを極力避け、なるべく家の中での生活へ。不安になりそうなことから、前もって逃げるという回避行動を私は繰り返していた。

 次第に、毎年冬を迎えると手の洗いすぎによる手荒れにも私は悩まされるようになってきた。
これだけ頻繁に手を洗えば当然のことで、手はガサガサになり、ハンドクリームが手放せない。
ここ数年は冬はあかぎれ、春夏は良くなっての繰り返しだ。

冬は辛くても、春になればまた落ち着くから...

そんなふうに毎年私は軽く考えてしまっていた。

 しかし2021年の春、事態は一変することとなった。強迫性障害と思われる症状が、なぜか急激に悪化し始めたのだ。

 1度の手洗いに対して手を1回洗うだけでは安心できなくなった私は、2回3回と手を洗うようになっていく。3回洗い終わりようやく一安心する。
そんなことを続けていると、遂にエスカレートしすぎてしまった手洗いの回数と頻度に、手が追いつかなくなってしまった。

手は常にふやけていて、真っ白でぶよぶよ。
全ての手の指と指の間の水かき部分の表皮に穴が空き、破れその後真皮までパックリと開き、赤くただれてしまい、一向に塞がらなくなってしまった。

痛すぎて...家事ができない。

明後日から夫は、1ヶ月弱の出張。
息子は小学生。

こんな状況になってもまだ、私はどうしても手を洗うことがやめられない。
どんなに手が痛くても、自分が汚いと思うものを触った後は手を洗わずにはいられない。

やっぱり、頭がおかしいとしか思えない

私はパニック状態に陥っていた。

私「どうしたらいいの?もう無理。助けて。
出張には行かないで。居ない間、生活出来ない...」

2021年6月。遂に手荒れも精神的にも限界を迎えることとなってしまった私は、必死に夫に家に居てもらえるように頼み込んでいた。

 どんなに冬に手が荒れてもここまで酷くなってしまうことは1度もなく、生活は出来ていたのに。
いつかこうなってしまうのでは...という思いは頭の片隅にはあった。そして春頃から症状が急速に、そして確実に悪化してきていることは自分でも痛いほどわかっていた。
それすら見て見ぬふりをしてきてしまったのだ。

どうしようもなく「こだわり」が強くなった最近の私は、この10年間ですら気にならなかったことがさらに気になってしまい、頭から離れない。
そして、不安が襲ってくる。

 だから手を洗うことに対しても「コロナ禍だから.,」と理由を付けて、今まで以上にしっかりと時間をかけて洗っていた。見えない菌に対しての対策(アルコールでの除菌掃除や洗濯等)も少しの妥協もしていなかった。
 少しでも菌が気になってしまった時は、その都度気が済むまで安心できるまで、自分で対処してきた。例えそれが夜遅くであっても、どんなに疲れていても、どんなに眠たくても、どんなに手が痛くても...フローリングが汚れてしまったと思ったら、部屋中の床拭き。
そうやって自分を追い詰めてきた。
その結果が今、手に現れただけ。

 そんな私に、夫は何度も何度も「病院に行こう」と助言してくれていた。私はそんな助言からも治療からも「不安だから。生活は出来ているから。」と逃げ続けていた。
そして、生活すら出来なくなった。

1日があっという間に終わっていく。
家事に手間取り、朝の空やコーヒーの愉しみなんて以ての外。心のゆとりも時間のゆとりもシンプルな暮らしも、もう今は探しても何処にもない。
凄まじい勢いで日々ぼろぼろになっていく手との格闘に、痛みと恐怖を感じるだけ。それでも...

やめたくても、手を洗うことがやめられない。
こんな簡単などうしようもないことなのに、
どうしても自分でコントロールが出来ない。

そんな自分に失望し、毎日嫌気がさしていた。

「忘れたい。忘れられればいいのに...」

「ここは汚いとか、手を洗わなくちゃとか
覚えていられないように...」


「いっそのこと、記憶なんてなくなっちゃえば
いいのに...」


私は本気でそう思っていた。

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