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看護師を目指した、18歳の頃の話

今日は今年最初の日曜日で
そして母の誕生日でもあるので
今日は少し
母の話でもしようかと思います。

この記事がどういう風に着地するのか
自分でもわかりませんが
よろしくお願いします。




母がどういう人かというと
実はよくわからないんですよね。

というのも
母は私が18歳の頃に
脳出血という
大病を患いまして

それ以降
うまく言葉を話すことができず
元気ではいるのですが
いまだに入院中で
スムーズなコミュニケーションが
取れないでいるんです。


思春期の男子なんて
基本的には母親と
そんなに喋りたがらないじゃないですか。

それでいて少年期は
あまり人をどういう人間か
判断する力もないので
ざっくりとした印象でしか
把握しませんから

18歳までに思っていた
何となくのイメージしか
残ってないんですよね。

私が大人になってからは
ほぼ寝たきりですから。



母は今まで
企業に就職したことはなく
起業することもなく

バレエのダンサーとして
生徒に教えるような
仕事をしていたそうで

長男の私が生まれてからは
専業主婦でしたから

外部との交流はあまりなく
母親として
家庭を支えてくれているような
存在でした。

教育に厳しいっちゃ
厳しい方で

私は
音楽の道に進もうとしたり
色々と自分で決めたことも
世間体や一般的なレールから
はみ出ようとすると
強く反対する親だったので

ぶつかることもありました。


小学生の卒業文集の中で

・将来の夢は?
・魔法が使えるなら何をする?

という項目があって

両方とも

一人暮らしをする

と書くほど
私は家から出たがっていたように思います。


時代もあるのでしょうが
両親共に
私に公務員を目指させたり
資格取得をさせようとしたり

そういう安定思考だった人だとは
思うのですが

それが私と衝突することもあって
結局親の勧める選択を
選ばざるを得なくなり

自己決定感を
あまり感じられずに
大人になった感はあります。


それが結果として
・他人の課題に干渉しない
・自己肯定感や自己決定感を
 大事にした方が良い

というような
メッセージを発信する私の価値観に
大きな影響を与えているのだと思います。


ただ
母親を嫌っているわけでもなくて
そういう支配しようとしていた背景には

親なりの愛情もあったことなんだろうと
今になってわかることもありますし

基本的には
何不自由なく
育てていただきましたから

感謝の気持ちの方が大きいんですよね。


健康な身体に産んで育ててくれただけでも
有難いですからね。



私が18歳の12月13日
父の誕生日の日の話なんですけど

家で父の誕生日を祝う
パーティを計画していて

母はカレーを作ったり
サプライズでケーキを準備してくれて
いたんですね。


私が学校から帰ってきて
自分の部屋にいると
トイレの方から

バタンっ!

と大きな音がしたんです。

何事かと思って
トイレに行くと
既に父がいて

そこには床に倒れている
母がいました。

まだ意識はあって
父が
「大丈夫か!?」

と母に声かけると

「…だ、だ、大丈夫…」

と一言返しました。

結果として
母がしっかりと
言語を話したのは
これが最後になるわけなんです。


それでも這いつくばりながら
キッチンに向かう母の姿は
今でも覚えていて

おそらく何とかして
料理の準備をして
誕生日パーティを
したかったんだろうと思いますし

その時の母の心情を想像すると
今でも辛い気分になってきます。


そして救急車を呼び
緊急手術を行い

その間3時間ほど
病院の待合室で待っていましたが

その間
父とは一言も
話せず

待合室のテレビで
バラエティ番組が流れていましたが
何にも面白いと感じることは
できませんでした。


手術が終わって
親戚も集まり状況を説明し
その頃には徹夜状態で

親戚から促されるように
父と2人で
家に帰りましたが

残っていたカレーを
食べながら
大泣きしたのを覚えています。

そして
その時は気づかなかった
冷蔵庫に入っている
ケーキを見て
また泣くわけなんですが

男が18歳にもなって
こんなに泣くんだなと

自分でも驚いた記憶があります。


もちろんネガティブな出来事ではあるのですが
その出来事があったから

私は看護師になろうと
思うことができましたし

いつ自分も
不慮の事故や病気になるか
わからないということを
教わりましたから

学ぶことも本当にたくさんあったと思います。


そういう意味では
母には思うことがたくさんあって

大人になった今
ちゃんと話ができるようになれば
良いなとは思いますし

もしくは
もし天国があるのなら
お互い死んだ後に

初めて向かい合って
話してみたいなとも
思うんですよね。

きっと母は
「喋れんで本当に辛かったっちゃけんね!」

とバリバリの博多弁で
何十年も話せなかった辛さや
言葉にできなかった
思いの丈を
話してくれるんでしょう。


基本的に私は天国とか
信じないタイプではありますが

もし天国が存在するのなら
それだけは楽しみだなーと
思ったりしています。

身を挺して
いろいろな学びやきっかけをくれた
母親に感謝しながら

次面会に行く日と
差し入れの誕生日プレゼントを
何にしようか考えようと思います🥲

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