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爆竹の音、繋がる思い出、揃ってこそなんだな、と思った話を回想と共に

バンコクの片隅。家の裏で響き渡る爆竹音。「今年は1月22日だったような」とカレンダーで日付を確認する。今日は1月21日、春節前日の大晦日だ。

あまりにも自然に納得した自分に少し笑ってしまった。

かつては母が過ごした長崎での思い出話に「春節?中国のお正月?長崎では
爆竹を鳴らすの?ランタンって何?」と目を輝かせていた子供の私。
時は流れ、自分の中で "当たり前のイベント"  になった春節に、今まで見てきたもの(体験)は宝物なのかもしれない、とふと感じた。

マレーシアのCNYは煌びやかなものだった

  ー 春節で一番に思い出すのはマレーシアでの春節だ ー
(初めて「それっぽい」春節を目の当たりにしたのがマレーシアだった、というシンプルな理由ですが笑)

クリスマスのデコレーションが撤去されるのは、新年を過ぎ、春節前。
クアラルンプールの街はGONG XI FA CAI(恭喜發財)の文言と赤い装飾で彩られ、街は春節、Chinese New Year (CNY) 仕様に変わりゆく。

デパートのド派手なデコレーション

国民全体の3割弱を中華系マレーシア人が占めるマレーシア。CNY大晦日には爆竹が鳴り響き、夜はそこらじゅうで花火が上がる。春節らしい春節を体感したのはここが初めてだった。
ただ、CNYはあくまで彼らの新年であり、マレー系マレーシア人やインド系マレーシア人にとってはただの休みでしかない。もちろん外国人の私にとっても同じで、中華系のマレーシア人が何をするかなど知らず旅行へ出かけていた。(今思うと本当にもったいないことをした…)

CNY、ペナン島旅行

当たり前だが、中華系マレーシア人はお正月。となれば中華系のお店は閉まっている。ある時そのことをすっかり忘れてペナン島へ行ってしまった。

約59%が中華系マレーシア人で占められているペナン島。世界遺産の街ジョージタウンへ足を運ぶも、ほとんどのお店が閉まっており随分と寂しいものだった。デパートへ行っても、中華系の店だけ閉まっている。

CNY、ペナン島旅行。閑散としたジョージタウン。

ベトナムの旧正月、テトTếtはテトだった

マレーシアの次に住んだベトナム(ホーチミン)で迎えた旧正月、テト。

当たり前だけど、" 旧正月=春節=中国正月 " という方程式は成り立たない。頭では分かってるのに、その時が来るまでなかなかピンとこなかった。

CNYと時期は同じだが、ベトナムのお正月「テト」。現地で空気を感じてようやく実感できた。(何事も体験せよとは言ったものですね)

厳密には、中国とベトナムの太陰暦には若干ずれが生じるのだそう。なので時期が完全に一致するとは言えない。

ホーチミンの街が黄色と赤に染まり出すと、一年で最も、人が、街が、浮足立つ季節の到来を感じる。日本人の私にも馴染みのある十二支の置物が露店に並び、いたるところでLi Xi袋(赤いお年玉袋)が目につくようになる。

テトの花と言えば、南部は黄色、北部はピンク

ベトナムの十二支と 日本の十二支は少し違う。牛・兎・羊・猪にあたる4つの動物が別の動物として知られている。
・日本はウシ、ベトナムは水牛
・日本はウサギ、ベトナムはネコ
・日本はヒツジ、ベトナムはヤギ
・日本はイノシシ、ベトナムはブタ

街にはお正月仕様の写真スポットが

ベトナム人のお宅にお邪魔する機会がなかったので、本当の意味でのテトは知らない。それでも、華やかに彩られた街でアオザイ姿で家族写真を撮る姿、十二支テーマパークのようになる公園、休み前から「テト大変だよー」と愚痴るベトナム人の友達、地元に帰る人々、そんな空気感に私の心も躍った。

初めての春節はタイ、そしてインドネシアの“ イムレック “

実は初めて春節はタイだった。
2005年、交換留学生だった私のHost Familyは中華系タイ人だった。当時は「なんで中国の正月?」と思いながら親戚の家へついて行き、挨拶と食事をしてアンパオ(お年玉)をいただいた。

2010年のヤワラート

その次は大学時代のタイ留学だ。当時は今ほど大きく取り上げられるイベントではなかった気がする。Central worldのイベントを見て、Siam Paragonで写真を撮った。

今振り返ると、中華系タイ人の中では大切な事には変わりないが、一留学生の私が知る余地のない「家族のイベント」だったのかもしれない。

Depokの家の近所

タイ留学から6年後、インドネシアで春節、(インドネシア語 Imlekイムレック) を迎えていた。住んでいたDepokの街は特別中華系が多いわけではない。多くはイスラム教徒だ。当時働いていた学校では、1クラス40人。うち2・3人が中華系インドネシア人でキリスト教や仏教を信仰していた。

北ジャカルタは中華系インドネシア人が多く住む場所

イムレックだからと言ってDepokの街の雰囲気は変わらない。が、デパートではライオンダンスのショーや中国楽器の演奏会が催され、「イムレック(春節)が終わると雨が降るよ」とインドネシア人の友達に言われたことが印象深く残っている。

そして長崎に辿り着いた

長崎ランタンフェスティバル

それは不思議な感覚だった。
長崎は地元から遠いわけではない。今まで行ったことのある場所だ。

私の父は長崎で仕事があるたび中華街で角煮まんじゅうを買って帰ってきていた。学校での授業も、長崎の出島の話になるとやたら熱が入っていたように感じる。(九州のことが取り上げられると嬉しくなるアルアル)

美しいランタンに写真を撮るのを忘れ見入った

そんな普段から異文化を感じる長崎。今回、はじめて春節期間に行く機会があった。長崎在住の友人に連れられ、ランタンで彩られた街を歩く。美しくド派手な装飾、京劇、中国獅子舞・・・

不思議と各地での思い出がよみがえり、点と点が繋がるような繋がらないような、むず痒い感覚を覚えた。

再びタイで思うこと、むず痒い感覚の正体

2021年の春節。私は再びバンコクにいた。
そして色々な国で見た記憶と照らし合わせながら、春節装飾を眺めていた。

バンコクのチャイナタウン「ヤワラート」

そしてすぐに、長崎で感じたむず痒さの正体に気が付いた。圧倒的な「知識のなさ」だ。確かに今まで中華系の文化に興味を持つことがなかった。

”わぁ、中国正月だ。わぁ綺麗!” それで終わっていたからこそ、長崎で「私よ、そうじゃない」「色んな場所で見てきたのに、どうしてそれぞれが繋がらないんだ」ともどかしさを感じたんだ。

「これは誰だろう?」「こんな風に変化して伝わったのか」「これは少し違うな。伝えた華僑の出身地が違うからかな?」「これは共通してる」
そんな風に、経験と知識を合わせた納得感と知的好奇心をくすぐる感情になりたかったんだと思った。

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