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マレーシアを知りたいと思った時、少し距離が縮まった気がした

夫がマレーシア出張に行った日、「マレーシア行きたいな」という言葉が自然に湧き上がって来た。

2017年~2019年にかけて、私はマレーシアの首都 K L (クアラルンプール)にいた。"人のため" (夫の仕事の都合) に引っ越したのは人生で初めてであり、積極的にマレーシアに興味を持つことに苦戦していた。

本来「住みやすさ」を感じるはずが

英語が通じる。整備されている。道が綺麗。モラルがある。治安がいい。
本来住みやすさを感じるポイントなのに、どことなく物足りなさを感じていた。インドネシア語が少し分かるからか、マレー語で書かれた看板やメニューも理解できる。ドキドキワクワクが少ない。

インドネシア語とマレー語は兄弟言語で、7割同じだと言われている。
起源はマラッカ王朝(マレー半島・インドネシアのスマトラ島)で使われていた言語だそうだ。

マレーシアを検索すると、「多民族国家」「多様性」がポイントのようだ。
マレーシア人=マレー人ではない。マレー系、中華系、インド系、その他先住民が共に暮らしている。また、マレー語と英語に加えそれぞれの言語が話されており、祝日には様々な宗教イベントの日が取り入れられている。
(※国教はイスラム教)

ヘナタトゥーの露店

そのせいか、確かにKLに住んでいると "外国人だから"  と目立つことはない。「日本人なんだ」とあっさりしているし、それが心地よかった。
(余談になりますが、2か国語以上話せるのが当たり前の世界なので、日本語・英語・タイ語と少しのインドネシア語ができるからと言って褒められることもなかったですw)

距離を縮めたかったので友達を作った

刺激的だったタイやインドネシアでの生活と比較しては、日々もやもやして過ごしていた。毎日夫と日本語を話し、時々日本人の知り合いとお茶をする。それ以外は英語で話せば問題なく通じる。気が楽だ。

私は東南アジアが好きだ。その点で言えば、間違いなくマレーシアのことは好きだ。でもそうじゃない。満たされない。自分自身に納得いかない。

    ー  マレー語を勉強しよう

言語交換のMeetupに行き、英語と日本語を交換しながらマレー語を勉強することに決めた。英語が通じるからマレー語は不要だと誰からも言われたが、マレーシアの公用語はマレー語だ。やってみよう。

"マレーシアを知ることを諦めてはいけない" という想いが背中を押してくれた。

カメラを持って街を歩くとよく写真好きに話しかけられた。

趣味友達もできた。
当時KLでは、写真を趣味にしている女性が少なく、現地に住む写真好きのマレー系女子とInstagramですぐに繋がった。2人で写真イベントに参加し徐々に友達が増えていった。

ほどなくして、小さな気づきがあった。
    
   ー  それぞれがそれぞれな気がする。混合していないのは気のせい?

疑問が生まれた時、好奇心が湧く

参加していた言語交換Meetupは中華系が中心、写真友達はマレー系が中心。
これは本当に偶然だった。

それぞれの民族が「マレーシア人」というアイデンティティを持ちながらも、混ざりあうことのない社会を形成している、と肌感覚で気づく。
【お互いが尊重し受け入れ合う多様性あふれる社会】という決まり文句から想像していた世界とは違う "何か" がある。

モスクへ。この時はインドネシア人の友達に連れて行ってもらった。

その何かとは?歴史的背景は?政治的背景は?気になりだすと好奇心が止まらない。もっと知りたい、もっと知りたい、と次から次へと欲求が湧き出てくる。

           ー  まさに私がマレーシアに一歩近づいた瞬間だった。

モスクだけではない。中華廟も至る所にある

インドネシア訛りから卒業したい欲

それまで、インドネシア語やタイ語を話したい。インドネシア人やタイ人の友達が欲しい、と思っていた。私の中で "なじみのある国の人と仲良くなりたい" 心理は、「日本人の友達が欲しい」と同じだ。

慣れない生活の中で「Bubur Ayamが食べたい」「ソムタムが食べたい」と、自分の知っているものを共有したかったんだと思う。

よく買い物していた市場

でもマレーシアを知りたいと思った時から「インドネシア訛りではなく、マレー語の発音をしたい」と気持ちに変化が起きていた
気がづけばマレー語のラジオを聞き、街中にあふれるマレー語に耳を澄ませ、マレー語の学校を調べるようになっていた。

また同時に、マレーシアに関する文献を読み、周りを観察し、マレーシアへの興味を深めていった。知れば知るほど分からなくなる底なし沼であり、「分からない。でも面白い」が私の欲求を満たしていく。

デパートではイベントごとに様々なデコレーションが

一緒に参加した中華系のおじさんの言葉。まさに複合社会?

ある日マレー系写真グループ主催の「断食明け撮影会」に参加した。
日本人は私だけ。参加者の中心はマレー系マレーシア人。他にブルネイ人・マレー系シンガポール人、インドネシア人、そして中華系マレーシア人がいた。

イスラム教ではラマダン(断食)の1か月間、日の出から日の入りまで食べ物や水を口にしない。日の入りのアザーンと共に断食が明け、翌朝の日の出のアザーンまで食べ物を口にすることが許される。

食べ物を売る屋台、それを求める人々。
断食が明ける前、静まり返っていた街は突然賑わいを取り戻す。
そしてアザーンが聞こえると人々はまずは水を飲み、デーツ(ナツメヤシ)を口にした後、ゆっくり時間をかけて食べ物を食べる。

ゴザに座り日の入りのアザーンを待つ

"この様子を撮ろう" というのが「断食明け撮影会」だ。
独立記念広場には多くの屋台が並び、断食明けの食事をする用に何列にも渡ってゴザが敷いてあった。

中華廟にて

私と中華系マレーシア人のおじさんは
「私たちはイスラム教徒ではないので」
と配布される食べ物を受け取りゴザに座ることを遠慮していた。

すると広場のイベントスタッフに「いいえ。宗教は関係ありません。何教であっても参加できます。ぜひ一緒にどうぞ」と促され、それを見ていた撮影会の主催者たちが「早くおいで。一緒に食べよう」と輪の中に入りやすいように声をかけてくれた。

ラマダンが明けると、断食明け大祭(レバラン/マレー語でHari raya)が始まる。マレー系マレーシア人にとってお正月のようなものに見えた。写真はその時食べられるお菓子。

この時の中華系のおじさんの言葉が今でも耳に残っている。

「今まで40何年生きてきて、こんな経験は初めて。
同じ国の人間なのにまだまだ知らないことばかりだった。
知る機会を作ってくれてありがとう。」

一つの国家の中に民族ごと社会が存在する「複合社会」。
それぞれが混じり合うことなく(多少は混ざり合い独自の文化となっていると思うが)、社会・コミュニティーが形成されている国家の形。それがマレーシアなんだと改めて感じた。あぁ、興味が尽きない。

写真友達と行ったKLエコパーク

最後に読んだ本を少し紹介

マレーシアに関するこれだ!って本を見つけるのに苦労しました。
(ガイドブックは多いのですが…)
「●●を知るための●●章」シリーズにマレーシア版があればいいのに!涙

もっと知りたいマレーシア  (もっと知りたい東南アジアシリーズ 4)

古い本だが、社会学・地域研究の分野の先生方が書かれたこちらの本を一時期国で購入。マレーシアとは?を各方面から教えてくれる本。基礎知識を入れるのにぴったり。

「古い歴史を持つ若い国」マレーシア。その歴史的背景、風土、民族、宗教、社会、芸術、日本との交流などについて、専門家が執筆。成長著しい東南アジアの変化を正確に捉え、研究成果を取り入れた。

Amazonより

マレーシアにおける社会科学の形成と展開 : 「プルーラル」概念史

こちらは京都大学東南アジア地域研究研究所の「東南アジア研究」より、pdf化されている論文。(View Openを押すと読めます。日本語です!)
プルーラル(複合社会)とは何ぞや?を知るのにとても勉強になりました。

マレーシアにおける国民的「主体」形成: 地域研究批判序説

たまたまマレーシアに来た大学の先輩にお勧めされた本。「先生の本読んだ?面白かったよ」と言われ、夫が日本出張の時持ってきてもらった。
内容はもちろん難しい。が、とにかく面白い。注釈や過去の研究引用、参考文献。とにかくこの本に記されている全てがマレーシアの深さを教えてくれる。

本書は、マレーシアにおける国民的な「主体」形成を、植民政策学、地域研究、自国研究という学問分野の成立過程とのかかわりで論じた刺激的な論考である。

Amazonより


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