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【連載】日本文化のはなし

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日本文化の色々を語る連載。とりあえず隔週月曜更新にします。現状、毎週月曜日は割とこういう系の話をしています。月曜日に知的になる人。
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#勉強

【器のはなし】いつか直したい器たち。捨てたくないし使いたいんだよなあ。

二週間くらい前、おかずを盛り付けた器をレンジで温めて、机に運び置いた瞬間、ヒビがガッツリ入る音がした。このタイミングで、まさかこのまま割れるなんて言わないよなあ?と指を離すと、まだ分裂はしていなかった。しかし油断は出来ない。入ったヒビが深く、貫通している場合、おかずの汁が滲み出てしまう。……それはまあ食べ終わってから机拭けばいいか。 という顛末があった器がこれだ。 なぜまだ取っておいてあるのかというと「いつか直そう」と思っているからだ。正直捨てるか迷った。かなり。この器は

女のふりをして日記を書いたのは亡き娘を思う悲しみを書き残したかったからではないか

『土佐日記』の話する。昨晩考えてたら寝られなくなりそうだった。 紀貫之が女のふりをして日記を書いたのは、亡くなった娘を思う悲しみを書き残したかったからではないかという解釈をした。それとも、本当は新しい試みとして取り組んでいたのが、いつの間にか旅の苦しさにともなって暗い心境を書きつけるものになってしまったか。 出発の時は景気良くワイワイガヤガヤして楽しげな雰囲気なのに、二十一日に出発して二十七日には娘の話題を出しているのよね。「この頃の出立いそぎを見れど何事もえいはず。」(

【古文のはなし】土佐日記を読む。ラスト。とにかくこんなもの早く破ってしまおう。

前回のあらすじ(二月五日) 船の舵取が使えない。「今日は天気が悪くなるから」と言って船を出さなかったのに、普通に天気良くて一日無駄にしたし、海の明神を鎮めるためとか言って貴重な鏡を海に投げやがった。こいつ、マジでなに?とはいえ、京都まであと少し。あとしばらくだあとしばらくの辛抱だよ〜これは俺の余裕の証。(本歌:デッド・エンド/テニスの王子様ミュージカル) 原文↓ 前回↓ ○ 六日、澪標から出て難波に着き、河尻に入る。海の旅が終わり、老若男女みんな額に手を当てて喜ぶこと

【古文のはなし】土佐日記を読む。この舵取は天気も読めないし欲が深い。

前回のあらすじ(二月三日) 京都へと帰れぬまま二月になってしまった。麻を縒って紐にしても、紐を通らない涙の玉しかないから意味がなく思われる。 原文↓ 前回↓ 〇 四日、舵取が「今日の風雲の様子はかなり悪い」と言って船を出さなかった。しかし一日中波風立たず。この舵取は天気も予測できない愚か者だ。 >シンプル悪口。船を出せたはずの日に出さなかったらまあ悔しいだろうけども。 この泊の浜にはさまざまな美しい貝や石がたくさんある。それで、土佐で亡くなった女子を恋しく思って船

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。「二月になってしまった」と嘆き苦しみ

前回のあらすじ(正月二十六日) 海賊がたくさんいるというあたりまでやってきた。怖い怖い。神託に従って進もう。 原文↓ 前回↓ ○ 二十七日、風が吹いて波が荒いので船を出さなかった。みな畏れ嘆く。男たちが気を紛らわすために、漢詩で「日を望めば都遠し」などと引用して、太陽はすぐに見えるけれども都は見えないから太陽の方が近いと思われると言い合っているのを、ある女が聞いて「太陽でさえ天雲の近くに見えるのに、都へ早く帰りたいと思う道はとてもとても遠いことだよ」と詠んだ。 また

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。海の月も山の月も異国の月もすべて同じ。

あらすじ 土佐を出発するも、なんかすごい見送りをしてくれる人が追いかけてきて、宴会とかやってたけど進むにつれてそういう人もいなくなって、いつの間にか年が明けて船旅中だから満足にそれっぽいこともできず、天候悪くあまり進まず、まったくもう早く帰らせてくれませんかね。 原文↓ 前回↓ ○ 十六日、風波が落ち着かないのでまだ同じところに泊まっている。海に波がなくなったらみさきという所を渡ろうと思う。風、波は依然止みそうにない。ある人、波が立つのを見て「霜さえも置かない地域だけ

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。はねといふ所は鳥の羽のやうにやある

『土佐日記』続き。なかなか船は進まないけど日々は過ぎてくもどかしさ。 前回↓ ○ 十一日、夜明け前に出港して室津を出る。人が寝ているような時間帯で海の様子も見えず、月を頼りに西と東の方角を知る。そのようにしていると、夜が明けて手洗いなどいつものようにこなし、昼になった。「はね」というところに着いた。童が「はね」という地名を聞いて「はねという場所は鳥の羽のような形をしているのかな」という。まだ幼い子供の言うことだからみんな可笑しがる。女の子が「本当に名前の通り『はね』のよ

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。海に入る月を見て、松に往く鶴を見る。

『土佐日記』続き。一週間滞在して年末年始を過ごした大湊をようやく出ます。 前回↓ ○ 八日、障ることがあってまた同じ場所にいる。今宵の月は山ではなく海に入る。京都であれば、月は海ではなく山に入る。これを見て、在原業平さんが詠んだという「ずっと月を見ていたいのに、いつもそれを隠してしまう山の端が月から逃げて、月を入れないでくれたら良いのに」という歌を思い出す。もし海辺だったら、「山の端ではなく月が海面を飲み込むのを波が立ち塞がってくれないかなあ」と詠むのではなかろうか。

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。大湊に一週間ずっといるところ。

前回からの続き。前回は、浦戸まで進んできたんだけど、やたら土佐の人たちが追いかけてきてた。 ○ 二十八日、浦戸を漕ぎ出て大湊を目指す。浦戸にいる間に、元の国の守の子である山口千岑が酒などの良いものを持ってきて船に積み込んだ。行く行く飲み食う。 二十九日、大湊に泊まった。薬師がわざわざ屠蘇と白散に酒を加えて持ってきた。誠意のある人のようだ。 >白散知らなかった〜。お屠蘇も実際にはやったことないし。旅の道中でも季節の行事をこなそうとするのすごい。イレギュラーな状況なんだから

【器のはなし】コンニャク印判はコンニャクを使っていない

前回、染付と印判の話をちらとしたが、型紙刷りの話しかしていないので、他のも出していこう。 まずはじめに、印判は大量生産を目的として開発されたというのは言っておかねばならない。転写などで全く同じ絵柄を絵付けすることができる。いわゆるプリントである。今のプリントと違うのは、活版印刷や版画のように手作業で行われることだ。なので、プリントとは言っても、手作業による個体差が生じる。そうでなくても電気ではなく火の窯を使っているので、焼きの温度によって色味が違ったりする。 ○ 古い順