【古文のはなし】『土佐日記』を読む。大湊に一週間ずっといるところ。

前回からの続き。前回は、浦戸まで進んできたんだけど、やたら土佐の人たちが追いかけてきてた。



廿八日、浦戸より漕ぎ出でゝ大湊をおふ。この間にはやくの國の守の子山口の千岑、酒よき物どももてきて船に入れたり。ゆくゆく飮みくふ。
廿九日、大湊にとまれり。くす師ふりはへて屠蘇白散酒加へてもて來たり。志あるに似たり。

二十八日、浦戸を漕ぎ出て大湊を目指す。浦戸にいる間に、元の国の守の子である山口千岑が酒などの良いものを持ってきて船に積み込んだ。行く行く飲み食う。
二十九日、大湊に泊まった。薬師がわざわざ屠蘇と白散に酒を加えて持ってきた。誠意のある人のようだ。

>白散知らなかった〜。お屠蘇も実際にはやったことないし。旅の道中でも季節の行事をこなそうとするのすごい。イレギュラーな状況なんだから、わざわざやらんでも……と思ってしまうな。


元日、なほ同じとまりなり。白散をあるもの夜のまとてふなやかたにさしはさめりければ、風に吹きならさせて海に入れてえ飮まずなりぬ。芋しあらめも齒固めもなし。かやうの物もなき國なり。求めもおかず。唯おしあゆの口をのみぞ吸ふ。このすふ人々の口を押鮎もし思ふやうあらむや。今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「九重の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」とぞいひあへる。

元日、未だ大湊にいる。酒に溶かしていない白散薬を持っている人が、それを「夜の間だけ」と言って舟屋形に挟んでおいたので、風に吹かせて海に入れ飲めなくなってしまった。芋茎も荒布も歯固めも無い。このようなものもない国である。探しにも行かない。ただ押鮎の口をだけ吸う。この吸う人々の口を押鮎は何か思うことがあるだろうか。こちらの正月イベントが貧相なので今日は都のことばかりを思ってしまう。「九重の門の、しめ縄のなよしの頭と柊はどのようだろうね」と言い合う。

>ローカルルールなのか、昔の慣習なのか、謎の名詞が並んでいる!芋茎、荒布、歯固めは正月に食べて長寿を願う縁起物らしい。押鮎の口を吸うのも同様に。しめ縄に魚の頭と柊がついているのは、なんとなく理解できる。
芋し=芋茎は、ずいきだそうで。瑞気……?
荒布=海藻を干したもの。
歯固め=歯を固める、健康を願うもの。鏡餅など。
押鮎=鮎の塩押し、固いので口を吸うくらいしかできない。


二日、なほ大湊にとまれり。講師、物、酒などおこせたり。
三日、同じ所なり。もし風浪のしばしと惜む心やあらむ、心もとなし。
四日、風吹けばえ出でたゝず。昌連酒よき物たてまつれり。このかうやうの物も
來るひとになほしもえあらでいさゝげわざせさすものもなし。にぎはゝしきやうなれどまくるこゝちす。
五日、風浪やまねば猶同じ所にあり。人々絶えずとぶらひにく。
六日、きのふのごとし。

二日、まだ大湊に泊まる。住職が物や酒をよこす。
三日、同じところにいる。風や波がもう少しここにいて欲しいと惜しんでいるのだろうか。
四日、風が吹いたので出られない。昌連が酒や美味いものを献上する。このように物を持ってきてくれる人をそのまま帰すわけにもいかないので何かお礼を持たせるが、良いものもない。贈り物はたくさんだが、お礼は少しなので心狭い。
五日、風も波もやまないので同じところにいる。人々は絶えずやってくる。
六日、昨日とだいたい同じ。

>ずっと先に進めないターン。


七日になりぬ。同じ湊にあり。今日は白馬を思へどかひなし。たゞ浪の白きのみぞ見ゆる。かゝる間に人の家の池と名ある所より鯉はなくて鮒よりはじめて川のも、海のも、ことものども、ながびつにになひつゞけておこせたり。

正月七日になった。ずっと大湊にいる。今日は白馬の節会に想いを馳せたが意味がない。ただ波の白いのが見える。そうこうしている間に、ある人の家で「池」と名前についているところより、鯉はなくて鮒をはじめとして川魚も海魚もそれ以外のも、長櫃につめて、運んで寄越してきた。

>白馬の節会=正月七日に白馬を見ると邪気を払うという中国の俗信によったもの


若菜ぞ今日をば知らせたる。歌あり。そのうた、「淺茅生の野邊にしあれば水もなき池につみつるわかななりけり」。
いとをかしかし。この池といふは所の名なり。よき人の男につきて下りて住みけるなり。この長櫃の物は皆人童までにくれたれば、飽き滿ちて舟子どもは腹皷をうちて海をさへおどろかして浪たてつべし。

若菜が今日が七草粥を食べる日だと知らせてくれた。歌が入っていて、「地名に池とついているけど、実際には淺茅生の野邊であるから水もない、そんな池で摘んだ若菜ですよ」
なるほど趣深い。この「池」というのは場所の名前だった。身分の高い人が夫に着いて下向し住んでいるようだ。この長櫃に入って届いたものは全て子供にまで渡したので、満足して水夫たちは腹鼓を打ち、海までも驚かせ波を立ててしまいそうだ。

>満腹になった腹で太鼓を打つ文化、ずっとある。


かくてこの間に事おほかり。けふわりごもたせてきたる人、その名などぞや、今思ひ出でむ。この人歌よまむと思ふ心ありてなりけり。とかくいひいひて浪の立つなることゝ憂へいひて詠める歌、「ゆくさきにたつ白浪の聲よりもおくれて泣かむわれやまさらむ」
とぞ詠める。いと大聲なるべし。持てきたる物より歌はいかゞあらむ。この歌を此彼あはれがれども一人も返しせず。しつべき人も交れゝどこれをのみいたがり物をのみくひて夜更けぬ。この歌ぬしなむ「またまからず」といひてたちぬ。

このようにして色々のことが起こった。今日、わりごを持たせてきた人、その名前を今思い出そうとしているのだが。この人は歌を読もうと思ってやってきたのだった。その人が波が立って出発できないことを憂えて詠んだ歌はこのようだ。
「行く先を阻んで立つ白波の声よりもここに残されて泣く私の声は波よりも大きい」と詠んだ。
とても大声なんだろう。持ってきたものはさておき歌はどうであろうか。この和歌をみんなしみじみと聞いたが、誰も返歌をしなかった。出来る人もいたが、歌に感心するのみで返歌をしたがらず飲み食いして夜が更けた。この歌の主は、「まだ退出しませんよ」と言っていなくなった。

>返歌が出来る人っていうのは筆者である紀貫之のことだろうか。あまり良い和歌ではなくて触れたらやばいみたいな空気が流れてた、みたいな感じかなあ。
わりご=弁当容器の一種。


ある人の子の童なる密にいふ「まろこの歌の返しせむ」といふ。驚きて「いとをかしきことかな。よみてむやは。詠みつべくばはやいへかし」といふ。「まからずとて立ちぬる人を待ちてよまむ」とて求めけるを、夜更けぬとにやありけむ、やがていにけり。「そもそもいかゞ詠んだる」といぶかしがりて問ふ。この童さすがに耻ぢていはず。強ひて問へばいへるうた、
「ゆく人もとまるも袖のなみだ川みぎはのみこそぬれまさりけれ」

ある人の童がこっそりと「私がこの歌の返しをしましょう」という。びっくりして、「素晴らしいね。詠めるだろうか。そうなら早くやってくれよ。」と言う。「帰らないと言って立った人が戻って来るのを待って詠みたい」とのことで探したが、夜が更けてしまったからだろうか、そのままいなくなってしまった。「一体どのように詠むつもりだったんだ?」と質問をする。童は恥ずかしがって言わない。強く問いただすと、
「行く人も留まる人も袖を濡らす涙の川ばかりが水際を濡らしていくのだなあ」


となむ詠める。かくはいふものか、うつくしければにやあらむ、いと思はずなり。童ごとにては何かはせむ、女翁にをしつべし、悪しくもあれいかにもあれ、たよりあらば遣らむとておかれぬめり。

と詠んだ。こんな歌を読むとは。かわいいからであろうか。意外だった。童が詠んだことにしてはどうにもならない。年寄りが署名をするべきだ。悪くてもなんであっても、機会があったら送ろうととっておいた。

>やはり和歌を詠む時は何かに書きつけているんだな。和歌を書いたものに署名をするが、返歌したのが子供とあっては重みが足りないとかそういう理由で他の大人の作ということにした。子供の自由研究を親がやっちゃうみたいなやつの逆だ。



どれくらい意訳してもいいか迷う。思い切って崩しまくってもいいが、一度ちゃんと訳さないとそれは出来ないことが分かった。

船が出せないほど荒れた波わけより大声で泣くという人に、誰も厳しくも優しくもせずやんわりと過ごそうとしている空気感が面白い。この出来事が童の素晴らしい和歌によって完結したおかげで、土佐日記にエピソードが収録されたんだろうなあ。童に感謝すべき。



こういう系の話が好きな方は↓をどうぞ。

次回更新 11/20:続きかも
※だいたいリサーチ不足ですので、変なこと言ってたら教えてください。気になったらちゃんと調べることをお勧めします。

めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。